何故、人は「木」切るのか、セミパブリック空間には集合知を

神宮外苑の杜が未だ揺れている。土地利用、まちづくりに多少なりとも関わってきた者として、思案している中、解剖学者にして「バカの壁」を著した養老孟司氏の言葉にハットさせられた。

戦後日本の特徴を一言で言えば、都市化に尽きます。戦後の日本社会に起こったことは、本質的にはそれだけだと言ってもいいくらいです。都会の人々は自然を「ない」ことにしています。
木や草が生えていても、建物のない空間を見ると、都会の人は「空き地がある」と言うでしょう。人間が利用しない限り、それは空き地だという感覚です。
なぜ自然がないことになるのかというと、空き地の木には社会的・経済的価値がないからです。都会で「ある」のは、売り買いできるものです。売れないものは、現実に「ない」も同然。だから「空き地」と言われるのです。」
岡山県の小さな古い神社で、宮司さんが社殿を建て直したいと思いました。その宮司さんが何をしたかというと、境内に生えている樹齢八百年のケヤキを切って売った。その金で社殿を建て直しました。(樹齢八百年のケヤキ)を売ったお金で建てた社殿は、千年はぜったいに保ちません。これがいまの世の中です。
 
出典:「子どものいない社会」が理想になっている…養老孟司「日本の少子化が止まらない本当の理由」 「いきなり大人になってくれたら便利だろう」と思っている PRESIDENT Online 2023/02/22 14:00 

日本の土地問題、空き家問題の本質を鋭く指摘している。そこには、土地を含む生態系、空気感、歴史・物語、あるいは非常時対応等を含む「空間」としての価値を見出す利用者・生活者側の見方・考え方と、土地所有者・事業者側の見方・考え方のギャップである。どちらを重視するかで「空間づくり」「まちづくり」が大きく変わってくる。

明治神宮外苑の「木」

この2つの見方・考え方の相克の象徴的事例が現在進行中の「神宮外苑」である。

参考:明治神宮外苑 ウィキペディア 
参考:明治神宮外苑の再開発計画が明らかに まちの姿はどう変わる? 2022年5月20日 NHK 
参考:神宮外苑地区まちづくり 三井不動産 宗教法人明治神宮 独立行政法人日本スポーツ振興センター 伊藤忠商事株式会社 

社殿立て直しのために樹齢800年の木を切る側の感覚からすると、たかだか樹齢100年程度の神宮外苑の杜を伐採して、再開発するのは当然なのだろう。しかし、そもそもこの外苑の由来、そして「杜」は100年先を見越して計画された「人工の原生林」であり、ようやくその計画が花開く時期に来たといえる木々である。

出典:100年前に計画された明治神宮「人工の森」の奇跡 2020.11.5 mi-melle

その折に、次の100年に向けて再開発すると云う。「神宮」は「再開発」という概念が成り立つ「まちづくりの場」なのか。歴史を伝えるための「式年遷宮」なら理解できるが。伊勢神宮と違い、創建102年の明治神宮には守り伝える歴史性がないということだろうか。

出典:「1本ずつに歴史、代えは利かない」 神宮外苑樹木伐採に石川幹子中央大教授が異議 多くは国民の献木 2022年3月2日 東京新聞Web


議論を呼ぶ中、2023年2月17日に東京都知事より施行認可の公告が出され、2023年3月22日より明治神宮第二球場の解体工事が着手されている。なんとなく、東京オリンピックに向けての旧国立競技場の建替え・解体騒動[現行施設撤去⇒設計・変更⇒白紙撤回(約62億円無駄)]を想起する。

セミパブリック空間には「集合知」を

要するに、養老氏云うところの「金にならないもの(木、空き空間)は価値がない、なくてもいいもの」ということで、できるだけ、「金になる不動産に仕立て上げる」という開発事業者と、「神宮の維持に必要な金を確保する」神宮側との経済的合理性に沿った計画であるが、果たして、いま、事業主体に求められている「SDGs」に沿ったやり方と云えるであろうか。「誰一人取り残さない」SDGsの理念)ではなく、「多くの人を取り残している」のではなかろうか。SDGsウォッシュと評されないように祈る。

限られた関係事業者だけの声ではなく、「セミパブリック空間」である神宮外苑という空間に関心を持つ人々の「群衆の英知 The Wisdom of Crowds」「集合知 Collective Intelligence」にもうすこし耳を傾けてもいいのではなかろうか。そして、行政(地方自治体)はその仲介をしてこそ存在価値があるのではなかろうか。いまや、経済合理性だけが社会経済的な価値評価の基準ではない。

 

【追記】