
概要
2022年11月のChatGPT公開以来、報告書の草稿、会議の議事録、先行研究のレビューといった知的作業の多くが短時間で処理できるようになった。この変化は便利さの話にとどまらない。「知的労働のどこまでが自動化されうるのか」「そのとき人間は何によって価値を持つのか」という問いを、社会の真ん中に投げ込んでいる。
AIは「悲しい」という語を文脈に応じて適切に使えるが、悲しみを自分のこととして感じているわけではない。意味とは、身体と記憶と関係性が絡み合った経験の堆積であり、情報として記述できることと、その経験の当事者であることは別の話である。AIが意味を表現できても、意味の当事者にはなれない。この非対称性が、人間の価値を考える出発点となる。
イノベーション(創造的破壊による社会的刷新)の歴史を見ても、蒸気機関を鉄道という新しい産業に結びつけたのは技術ではなく人間であった。経済学者シュンペーターが論じたように、社会の文脈と価値判断を伴った創造的な組み合わせは、既知のパターンを再配列するAIとは根本的に異なる営みである。ペニシリンの発見が実験の失敗から生まれたように、「何を驚くべき発見とみなすか」を決めるのは人間の感受性である。
文化もまた、情報の集合ではなく人が担う意味の秩序である。ある地方の祭礼は、外部からは伝統行事に見えても、当事者にとっては亡くなった家族との連続性や世代継承の責任と結びついている。AIはその外形を模倣できても、意味の秩序を当事者として担うことはできない。グローバルな技術の均質化が進むほど、逆説的に「自分たちの文化とは何か」という問いが強まる。
人口減少が進む日本社会では、人間の存在そのものが価値の源泉となる局面が増えてくる。祭りは人がいなければ開かれない。看取りは人が傍らにいることで成立する。2070年に人口が約8,700万人まで減少すると推計される社会において、「あなたの苦しみを他人事として処理しない」という実践は、制度や技術だけでは完結しない。
哲学者サルトルは「人間はまず存在し、そこから自分が何者かを作っていく」と述べた。フランクルは、どれほど過酷な状況にあっても「どのような態度を取るかの自由」だけは奪えないと論じた。AIが高度化するほど、この自由の意味は増す。意味を問い、目的を選び、責任を担い、他者と関わりながら自分と社会を作り続けること、その営みそのものに人間の価値がある。
本文
- 序 問いの誕生(歴史的文脈)
- 1 AI革命の哲学的意味(道具はどこまで思考に近づくのか)
- 2 人間とは何か(意味を付与する存在としての人間)
- 3 思惟の固有性ではなく、思惟の条件
- 4 イノベーションを起こすのは、AIではなく人間である
- 5 文化は情報ではなく、人が担う意味の秩序である
- 6 アイデンティティとは固定された属性ではなく、自ら問い続ける物語である
- 7 人口減少社会における人間の価値(存在することの意味)
- 8 知識社会の先へ(意味社会・価値社会への移行)
- 9 人間が人間であることの価値








