道傍に春を探索

2023年2月19日(日)、「気温18度」の予報に誘われ、自宅から1年ぶりに柳瀬川回廊を経由して、巷で評判の「黒塀の枝垂れ梅」まで、道傍の春を探し散策した。昨年とはルートを若干変え、今年は清瀬金山緑地公園を抜けていくコースとした。親水性に配慮した河川の護岸や河床工事、緑地公園、バーベキュー広場、そして道傍の春を告げる梅等々、いろな発見があった。

最近の気候変動に起因する雨量の増加は、中小河川と云えども従来の25mm・50mm計画雨量対応ではもたず、50mm・100mm対応が求められている。河川工事は短区間では意味をなさず、長区間の整備が不可欠である。従って、工期は長くなる。まさに、河川工事(治水工事)は自然との戦いである。

途中の清瀬金山緑地公園での休憩を含め、11:30~15:30の約4時間、19,000歩。三寒四温の春の先駆けを全身に感じる心地よい疲れを感じた1日であった。明日からは、また気温が下がる。

柳瀬川回廊

河床・護岸の整備が続いている

今年もシロサギとカモに出会えた

水の流れを感じるのは心地よい

民地側の道傍にも春

ここにもカモが

清瀬金山緑地公園

初めて訪れた清瀬金山緑地公園の中心地

混雑していないときはバーベキューができるとのこと

安全できれいなバーベキュー場所 一人バーベキューの方も居た

黒塀の枝垂れ梅

黒塀手前の廃タイヤ脇のまさに道傍の春

見えてきた黒塀

黒塀枝垂れ梅全景

まさに枝垂れ梅

赤梅は全開も白梅はこれから

道傍に春を味わう散策でした。

テレワークの実態、インパクト、そして行く末

コロナ禍も3年が過ぎ、コロナウイルスによる致死率も低下し、いよいよwithコロナ社会に移行しようとしている。コロナ禍における移動制約は、Zoom等のリモートコミュニケーションツールの普及と相まって、テレワークを加速させた。その実態、インパクト、そして今後の行く末について、各種実態調査等を踏まえて整理した。

 

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2022年の振り返り

今年もあとわずか。

まる3年を経過するも、コロナ禍は収まらず、第8波の様相を呈しつつ年末を迎えそうである。

本年2月に発生したロシアのウクライナ侵攻は未だ収まらず、こちらも世界の地政学的リスクが拡大しつつ年末を迎える。

日本海には、年末に至るも北朝鮮のミサイルが飛び交っている。

年末に、にわかに防衛論議が起き、サッカーワールドカップカタール大会の盛り上がりを吹き飛ばしている。

一方で、メディアが注目しなかった重大な出来事も少なくない。誰一人取り残さない(SDGs)と謳うなら、こうした事実に目を背けるわけにはいかない。

時代の揺らぎを感じさせる2022年であった。

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まち歩き TOKOROZAWA STREET PLACE 2022

2022年11月19日(土)~20日(日)、「TOKOROZAWA STREET PLACE 2022」が開催されていたので、散歩を兼ねてぶらぶらした。目玉は、国登録有形文化財「秋田家住宅」が特別公開され、内部が見られる。そして、以前から、気になっている「インフラスタンド」で開催される「KAWARA市」がこのイベントの一環として開催される。

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コロナ禍の神社と七五三

2022年11月13日(日)、快晴(最高気温24度)、息子の孫2人(長女、次女)の七五三のお祝いに東伏見稲荷神社に行った。長女の孫が3歳のとき以来なので4年ぶりである。その間にコロナ禍になり、コロナ禍下での七五三となった。

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地方はどこへ行くのか 衰退する地方

新型コロナ第7波のピークが過ぎた2022年9月9日~9月13日にかけて田舎(徳島)に帰省した。今年もまた、地方の実態を、地方創生の難しさを色々感じた。本当に、今後、地方はどうなるのだろうか。たまたま、「知恵泉」(NHK 2022年9月13日 22:00~22:44 放送)で、日本民俗学柳田国男の「農民は何故に貧なりや」「自らのベースを深く知る」「長い時間をかけて培ってきた『民衆の知恵』にこそ、経世済民のカギがある」ということを知った。沁みる。

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上田研二氏を偲ぶ

2022年5月15日、㈱高齢社(2000年1月1日設立)を興し、そのノウハウを余すことなくオープンにし、高齢者の働く場づくりの支援をしたいと一般社団法人高齢者活躍支援協議会(略称:高活協)を立ち上げ、高齢者派遣事業の普及に尽力された上田研二さんが亡くなられた。そして、先日(2022年7月25日)、高活協主催での「偲ぶ会」が催され出席しました。改めて、ここに生前の上田さんを偲び、哀悼の意を表したいと思います。

2年前に出版された「53の言葉」に託した遺言が、本当に「遺言」になってしまいました。

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「協働」を超えて 「コレクティブ・インパクト」の市民参加へ

「国づくり」から「まちづくり」への流れ

「市民参加/住民参加」が謳われ久しい。しかし、市民参加/住民参加とはそもそも何を意味するのか。いつから、そのような概念が出てきたのか。

封建時代(鎌倉時代~江戸時代)が終わり、明治維新後からは近代国家への国づくり、そして第二次大戦敗戦後の復興を経て、新たな国づくりに邁進した高度成長期時代が続く。1970年(昭和45年)に、総人口に占める 65歳人口の割合が7%を超え、いわゆる「高齢化社会」に突入するなか、第一次オイルショック[1973年(昭和48年)10月~1974年(昭和49年)8月]が起こり、高度成長時代は終焉し、低成長時代へと一大転換を迎える。

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