建物探訪 近代建築と歴史的建築

近代建築-旧岩崎邸・迎賓館赤坂離宮・国会議事堂-

2017年5月27日(土)、東京都内に立地している近代建築の旧岩崎邸、迎賓館赤坂離宮、国会議事堂を観て廻った。都内での移動と入館手続きを考えて自宅の最寄り駅発の日帰りのバスツアーを利用した。

 旧岩崎邸

旧岩崎邸は上野・不忍池に近い「旧岩崎邸庭園」として公開されている。旧岩崎邸の敷地は、江戸時代には越後高田藩榊原家の中屋敷で、明治時代初期に牧野弼成(旧舞鶴藩主)邸となり、1878年(明治11年)に三菱財閥初代の岩崎弥太郎が牧野弼成から邸地を購入し、現存する洋館、大広間(かつての和館の一部)は、岩崎財閥3代の岩崎久弥によってジョサイア・コンドルの設計で建てられ、1896年(明治29年)に竣工したとされる。

往時は約1万5,000坪の敷地が現在は3分の1に、20棟あった建物も現存するのは わずか洋館・撞球室・和館の3棟のみになっているとのこと。戦後、GHQに接収され、その後、日本政府に返還され、現在は東京都が管理している。洋館は迎賓館的に利用され、より価値があったとされる和館は、1969年(昭和44年)に司法研修所庁舎建設のために和館の大部分が撤去(現在は、湯島ハイタウン、池之端文化センター等)され、敷地が約1/3になったとのこと。何とももったいない。

現在、洋館の一部を修理中でその全貌を観ることができないが、内部は拝観でき、その財力を忍ばす造りと装飾を垣間見ることができる。庭にある銀杏の大木は樹齢400年と表記されていた。

蛇足ながら、三菱Gのスリーダイヤモンドのマークが岩崎弥太郎出身の土佐山内藩の門から来ていることを示す銘板があり、納得した。因みに、土佐山内公の現当主は第19代で、今年8月4日に開催するふるさとテレビシンポジウムの殿様サミットのパネルディスカッションに出演頂く予定である。

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迎賓館赤坂離宮

迎賓館赤坂離宮は、2016年度から、外国からの賓客の接遇に支障のない範囲で通年一般公開されている。この日は,特段そうしたことも問題なく拝観することができた。西門の入場口で空港なみのチェックがあり、待ち行列ができている。ペットボトルは異物混入がないことを確認するするために一口飲まされていた。

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迎賓館赤坂離宮は、元紀州藩の屋敷跡に東宮御所として、鹿鳴館や上記の旧岩崎邸、三菱一号館などを設計した建築家ジョサイア・コンドルの弟子にあたる宮廷建築家片山東熊の設計により、1909年(明治42年)に建てられた。そして、所管、利用方法等が変遷したが、108億円(工費101億円、内装費7億円)をかけて、本館は村野藤吾、和風別館は谷口吉郎の設計協力により、田中角栄政権当時の1974年(昭和49年)3月に現在の迎賓館が完成した。2006年(平成18年)から2008年(平成20年)にかけて、大規模な改修工事が行われ、2009年(平成21年)12月8日、旧東宮御所迎賓館赤坂離宮)として明治以降の文化財としては初の国宝となっている。

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まず、本館に入り、外交に使われた部屋を観て歩く。その途中の通路はほとんど真っ白の無地の塗りで、海外の同様の施設の絢爛豪華な、あるいは文化的価値の高い絵画・壁画に彩られた空間と比べると、その歴史的な深みの差は遺憾ともし難い。

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本館を出て、主庭に廻り西洋風の庭園を見る。あまり感動はない。そして、前庭に廻り、写真でよく見る外観を見る。そして、正門からの儀典用の長いアプローチを見る。

全体に、よく頑張って造ってはいるが日本らしい良さは感じられず、日本の迎賓館としてはやはりアイデンティティが感じられる和風の建物・邸園が良いのではなかろうか。京都だけではなく、東京圏にも和風の迎賓館が欲しいものである。そのベースとなるものは少なからずあり、リノベーションすれば良い。

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国会議事堂

国会議事堂を観る。確かにこれも大正9年から昭和11年にかけて17年を要して建てられた近代建築である。これは、現在もその役目を果たしている。庭には、全国都道府県の木も植えられている。

国会議事堂は鉄骨鉄筋コンクリート造で、外装は3種類の花崗岩を使った石積みで、内装には33種類の大理石、2種類の蛇紋岩をはじめ、沖縄県宮古島産珊瑚石灰岩(貝を含む巨石、トラバーチン)等が使用され、建築材料や設備の素材のうち、郵便ポスト、ドアノブの鍵(マスターキー)、ステンドグラスを除き、すべて純国産品を使用しているとのこと。

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暑い中、観覧者が全員揃うまで待たされて、案内人に連れられ、説明を聞きつつ、館内を観て回る。傍聴席が観覧者で満員状態になっている。建物は、確かに、乱闘にも耐えられそうな頑丈なしつらえと見て取れた。

普段、通りがけに見る光景とはまた違った建物としての国会議事堂を観ることができた。

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歴史的建築

日光東照宮

都内の近代建築を見てほぼ2週間後(2017年6月9日)、今度は江戸時代の歴史的建造物である日光東照宮を観に行った。以前にも観に行ったことがあるが、主だったところが修復中であまり詳細を見えなかったが、今回は本年3月10日に国宝「陽明門」が修復なったとのことでいろいろと見てまわった。

日光東照宮は、1617年(元和3年)徳川初代将軍徳川家康公を御祭神とする神社で、現在のおもな社殿群は、三代将軍家光公によって、1636年(寛永13年)に造営されたので、今から約380年前ということになる。これらの社殿群は平成11年12月「世界文化遺産」に登録されている。

高速道路から降りて、日光街道の杉並木を抜け、午前11時過ぎに到着し、車を二荒山神社駐車場に止め、日光東照宮に向かう。表門脇で拝観料一人1,300円を払い、入ったところで音声案内ガイドの家族セット(3人分1,000円)を借りる。これは多言語対応で、紙の印刷物の施設名にタッチすると説明が聞こえてくると云うものであるが、説明が簡単過ぎて、時々、他の団体の案内人の説明を聴いて補足する。500円は高いが、家族割りで333円なら妥当と云うところか。

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三神庫を眺め、神厩舎では有名な「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿を観て、修復なった陽明門をくぐり、麒麟にちなんで奉納されたキリンビールを眺め、左甚五郎作と伝えられる「眠り猫」が掘られた坂下門をくぐり、奥宮に通じる200段の階段を上る。この石段は一段毎に一枚岩を用いているとのこと。よくぞこのような石を集めここまで運んで設置したものだ。そういえば、この日光東照宮の石塀や基礎を観ていると城壁のような整層積みである。坂下門の横の擁壁はややはらんでおり、崩壊の危険を感じるがそれ以外はしっかりしている。

 いずれにしても、この階段は結構きついが、途中に「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し急ぐべからず」との高札があり、しっかり上れと励まされているようだ。途中で眼下に見える修復中の本社風景もなかなか良い。周りに広がる杉の木立の風景も何ともいえない。f:id:newseitenx:20170610173715j:plain

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奥宮から降りてきて、本社に上がり、拝殿、石の間、本殿を、そして唐門を観る。拝殿横にある将軍控えの間は、現在は徳川宗家御当主が来られたときに控えるとのこと。ちなみに現在の徳川宗家御当主は第18代目である。今年の8月4日開催されるNPO法人ふるさとテレビ主催のシンポジウムで基調講演を頂くことになっている。ここでもまた、不思議な縁を感じる。

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鳴き竜で有名な本地堂(こちらはお寺)を拝観するが、こちらはかなり俗世界を感じる。確かに、天井に描かれた竜の下で音を鳴らすと反響するが、商売気が過ぎる。

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表門を出てから、改めて、五重塔、銅鳥居を観てから、二荒山神社に行く。

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この日光東照宮エリアは絢爛豪華な装飾に彩られたエリアと、家康公の墓所である奥の院の黒を基調とした静かなエリアの空間対比がすばらしい。そして、何よりも推定樹齢600年とされる杉の木を始め、杉の木立の醸し出すパワーに圧倒される。昭和大修理、そして平成大修理と、歴史に残る建物は常なる修復をするだけの価値がある。

 

こうして、江戸時代から明治大正・昭和期にまたがる建物探訪をしてみると、改めて、建物及びその敷地空間には精神性が重要であることを思い知らさされる。コストパフォーマンスやデザイン優先主義から、社会施設は後世においてもレガシーとしてリスペクトされる空間としてのあり方が問られるべきではなかろうか。いろいろ、思い知らされる歴史探訪であった。