「協働」を超えて 「コレクティブ・インパクト」の市民参加へ

「国づくり」から「まちづくり」への流れ

「市民参加/住民参加」が謳われ久しい。しかし、市民参加/住民参加とはそもそも何を意味するのか。いつから、そのような概念が出てきたのか。

封建時代(鎌倉時代~江戸時代)が終わり、明治維新後からは近代国家への国づくり、そして第二次大戦敗戦後の復興を経て、新たな国づくりに邁進した高度成長期時代が続く。1970年(昭和45年)に、総人口に占める 65歳人口の割合が7%を超え、いわゆる「高齢化社会」に突入するなか、第一次オイルショック[1973年(昭和48年)10月~1974年(昭和49年)8月]が起こり、高度成長時代は終焉し、低成長時代へと一大転換を迎える。

高度成長の歪はいたるところに現れる。国土利用/土地利用的には、都市のスプロール化が進展し、土地神話(地価は上がり続ける)もつくられ、1991年(平成3年)のバブル崩壊までその神話は続く。当時は、大規模プロジェクト構想や通信網整備等の目標を掲げた新全国総合開発計画新全総)[1969年~]の期間中であったが、その次の第3次全国総合開発計画三全総) [1977年(昭和52年)]では、一転、「定住圏構想」が打ち出される。

参考:全国総合開発計画(概要)の比較 国土交通省

 高度成長の産業活動の歪として、公害問題が起き、1967年(昭和42年)には公害対策基本法が成立、1970年(昭和45年)には公害国会が召集され、1971年には環境庁(現 環境省)が発足する。

参考:高度経済成長と郊外の激化(1965~1974年) (独法)環境再生保全機構  

そして、世情的には、1969年(昭和44年)の東大安田講堂事件、1972年(昭和47年)の日本赤軍浅間山荘事件」などの社会的な事件が起き、団塊の世代が旧来の日本の価値観とぶつかりあったり、新しい価値観で行動することによって生じたものであり、結果的には新しい価値観と消費の世代の生まれた10年であった。

出典:第四章 ~高度経済成長の終焉とオイルショック~ 昭和40年代 秋葉原電気街振興会 

こうしてみると、概ね1975年(昭和50年)頃を境に、成長志向の中央集権的な「国づくり」が終わり、それ以降は、地方あるいは生活に密着した身近な「地方づくり」「まちづくり」に国も国民も関心がシフトしていったと云えるのではなかろうか。別の味方をすれば、一定レベルでのナショナルミニマム/シビルミニマムが達成され、身近な問題対応には地方分権/分散型へと対応がシフトせざるをえなかったとも言える。しかし、それは逆の意味で、国としての勢いが薄れることでもあり、1990年以降の「失われた30年」がそれを象徴している。

「まちづくり」とは

そういう意味で、国力が落ちている日本の再生は、国(国会・政府)が主導して「国づくり」(日本創生)を行うべきである。一方で、成熟し、多様化した地方の再生は、地方自治体(都道府県、基礎自治体)が主導して「地方/地域づくり」(地方創生)を行うべきであるが、より身近な問題・課題を扱う「まちづくり」は住民/市民主導が妥当な流れと思われる。

補:「市民」の意味合いとして、英語のcitizenが含意する国民・市民・一般人・民間人を含めて、当該基礎自治体地域に居住していない一般市民(就業者、訪問者、関心者/関係者等)を含む場合は「市民」が妥当と思われる。以降においては、こうした意味合いで「市民」を使用する。

参考:citizen は、「市民」だけじゃない!! 2019-04-20 21:00:54 Ameba

すなわち、「地方づくり」、特に「まちづくり」とは、市民主導あるいは市民参加がベースになる。市民参加の法的位置づけは下記のとおりであり、その運用実態には問題があることが指摘されている。

  • 地方自治法に基づく市民参加:選挙、直接請求、請願・陳情、住民投票
  • 地方自治体独自の市民参加:公聴会・審議会、アンケート、ワークショップ、            市民会議・市民委員会、姿勢モニター、市長への手紙
  • 既存の市民参加の問題点
    • 時間的・空間的制約により参加者が限定される
    • 市民から様々な意見がでても、それを市政に反映させる明確な制度がなく、言い放し、聞き放しになってしまう
    • 市民が参加するための、市民に参加してもらうためのコストがかかる
    • 市民参加の制度が分かりにくく、市民にとって身近でない

出典:Theme/「市民参加」・「協働」を目指して Case/「藤沢市市民会議室」・「志木市」の取り組み 早稲田大学社会科学部 政策科学研究 上沼ゼミナール 内山克明 

要するに、現在の基礎自治体の公的な意思決定プロセスにおいて、市民の位置付けは意見照会的でしかない。個別の身近な問題/課題については、本来的に市民主導であるべきであり、基礎自治体の窮状(人材、財源等)を鑑みるにその方が望ましい。最近はそうした方向での活動(NPO等)、仕組み(協働、合意形成支援システム等)ができつつある。

参考事例:梶が谷駅前まちづくりにおける市民まちづくり活動

     大磯町における住民主導型集合知づくり(公的施設利用の代替案づくり)

「協働」を超えて「コレクティブ・インパクト(Collective Impact)」へ

市民主導/参加の形態として、従来は個別個別の形態から、それらが協働する形態まdが従来の現状で、それぞれの協働体が更に連携(集合)してより大きな社会的影響力(インパクト)を発揮することをめざす「コレクティブ・インパクト(Collective Impact、集合的インパクト)」という概念が最近、注目されている。

コレクティブ・インパクト(Collective Impact)とは、2011年に、米国コンサルティング会社、FSGのJohn Kania氏とMark Kramer氏が「Stanford Social Innovation Review」の論文で発表した概念・用語とのこと。

<コレクティブ・インパクトの5つの条件>

  1. 共通のアジェンダ:全ての参加者が変革に向けたビジョンを共有していること
  2. 共有された評価システム:データ収集と効果測定により、取り組みを評価するシステムを共有していること
  3. 相互強化の取り組み:参加者個々の強みを活かし、取り組みを相互に補完し合えること
  4. 継続的な コミュニケーション:信頼形成に向け継続的かつオープンなコミュニケーションが行われていること
  5. 取り組みを支える組織:取り組み全体をサポートする独立した組織体Backbone Organizationがあること

出典:あらためて「コレクティブ・インパクト」とは? 2020年04月13日MOJO Consulting BLOG 

このコレクティブ・インパクト(CI)の特徴として、「エビデンスベースでの意思決定を重視しており、社会問題に対して大学による調査やデータ分析が組み込まれている。このことは、特定の地域での一過性の成功ではなく、モデルとして汎用性を持たせることにもつながり、CIという手法が注目される要因の一つとなっている。」とのこと。この特徴は、このCIを支える支援ツールとして、デジタルプラットフォームが有効であることを示唆している。

出典:現場視点で広げる、サイエンスコミュニケーターの可能性ー北海道大学CoSTEPフェロー 西尾直樹氏 2022.04.15 JST

 

確かに、単純な社会課題は一つの主体/活動体によって解決可能な場合もあるが、多くの地域課題は包摂的なアプローチが必要とされ、単独の組織や個人による取り組みだけでは限界がある。あるいはそれぞれの主体/協働体のユニークさ故、更なる連携が難しいことも少なくない。こうした状況をブレイクスルーし、「新たな結合」(イノベーションの源泉)を促すものとして、コレクティブ・インパクト(Collective Impact)の可能性を感じる。面白い概念である。自らもトライしてみたい。

注:筆者作成の思案