藤井聡太6段にみる経験知と創造知の戦い

時代をつくる棋士の系譜

藤井聡太棋士(15歳)が、全棋士が参加する第11回朝日杯将棋オープン戦佐藤天彦名人(準々決勝)、羽生善治竜王(準決勝)、広瀬章人八段(決勝)を破り、初優勝を果たし、わずか16日で5段を抜け、6段に昇段したと話題になっている。

藤井聡太六段は、大山康晴十五世名人-中原誠十六世名人-谷川浩二永世名人羽生善治永世七冠-渡辺明永世竜王棋王に続く一時代を築く可能性を秘めていると期待されている。是非、そうなって欲しいし、その成長のプロセスを見てみたい。

 

実力主義の将棋の世界

将棋の世界は、羽生竜王(47歳)と藤井聡太六段(15歳)が戦うように、年齢に関係ない。かって「神武以来の天才」 と云われた加藤一二三九段(当時、76歳)も藤井聡太四段(当時、14歳)と対局し、負けて現役引退を表明した。

準決勝で敗れた羽生竜王藤井聡太六段に年齢差に関係なく棋士としてリスペクトし、更なる成長への糧としている。凄まじい実力社会である。この年齢差に関係なく、同じ土俵で戦い、その上で、勝っても負けても相手をリスペクトする将棋界とは一体どういう仕組みでそうのような文化を生み出し持続されているのであろうか。

プロ棋士の収入源のベースは新聞社を中心とするスポンサー企業であるとのこと。その原資を、日本将棋連盟が預かり、対局料、タイトル戦・トーナメント戦の賞金、段位等に基づく基本給として配分するとのこと。勝てなければ解説やCM等のフリンジ収入も減ることになる。

勝つことが全ての厳しい競争社会であるが、将棋の世界での競争に敗れても、別の世界の人生を歩めるように特定レベルへの到達に年齢制限(満23歳の誕生日までに初段、満26歳の誕生日までに四段に昇格できなければプロ棋士養成機関奨励会を退会処分)を設けてある。仕組みとしての人生設計へのフェールセーフと云える。

俯瞰力、そして経験知と創造知

羽生竜王藤井聡太五段(当時)の強さを評する言葉の中に「パターン認識の能力が高い」と云うのがあった。これをみて、想起されたのがサッカーの中田英寿選手で、「グランド全体を俯瞰できる」能力が高いと評されていた。俯瞰力は空間のパターン認識力に通じる。この能力が高ければ、創造性が高まるのかもしれない。

将棋は、知のスポーツと云えるが、知の中には経験知だけでなく、創造知もある。将棋が、経験知>創造知 の世界であれば、将棋界に下克上は起こりにくい。しかるに、歴史を見るに若き天才と呼ばれる棋士が全盛期を過ぎ、下り始めた先達の天才を追い詰め、取って代わっている。ということは、経験知<創造知 と云うことの証左か。

それは、昨今話題のリアル棋士とAI(ソフト)との戦いをも示唆している。既に、電王戦もあり、リアル棋士が負けている。これは、圧倒的な経験知の学習量の違いにあるとされる。しかし、AIが経験知の膨大な学習(ディープラーニング)に留まるなら、いずれAIとの戦い方に慣れた創造知を有するリアルな棋士(若手棋士)がそのうちAIに勝てると思われる。しかし、AIが学習を超え、判断・創造領域まで進化したときは、リアルな棋士との創造力の勝負になり、その結末は、最終的には感性力(ひらめき)によるのかもしれない。

実社会を顧みて

さて、将棋の世界を離れ、現実の社会を顧みると、歴史(経験知)に学ばず、創造もせず、動いている事象の多さにある種の怖さを覚える。このような状態であれば、まさにAIに取って代われても不思議ではない。歴史を学び、創造し、イノベーションを継続していかなければ、社会の未来は危うい。

政治、経済、アカデミズムのそれぞれの世界で、将棋界のような継続的な下克上が起きて欲しい。経験知を超える創造知を有する若者が自由に戦える場が欲しい。そうでないと、日本のプレゼンスは落ちていくだけではなかろうか。

藤井聡太六段の出現は社会にそうした風を起こすきっかけになるかもしれない。藤井聡太六段にはもっともっと社会に刺激を与え続けて欲しいものである。