国家戦略会議(議長:野田首相)の分科会として設置されたフロンティア分科会(座長:大西隆東大教授)の第4回会議(2012年7月6日)が開催され、<フロンティア分科会報告書(案)> あらゆる力を発露し創造的結合で新たな価値を生み出す「共創の国」づくりが提出された。
2012年2月1日に第1回会議が開催されてから約5ヶ月というから、テーマの割には短期間での結論(報告書案)といえる。バックキャスティングというコンサルタント会社がよく使う手法も用いられている。
その報告書(案)の中で、2050年の日本のあるべき姿として下記のように記載されている。
<あるべき日本の姿=「共創の国」> 日本各地に高付加価値分野の産業が立地し、アジアをはじめとした世界各地の産業集積とつながっている。それらの地域には世界中のヒト・モノ・カネ・情報が集積し、活発な知識創造を背景に次々とイノベーションが生まれ、新たな価値が創出されている。その結果、日本経済は安定的に成長を続け、前世代が残した借金は確実に返済されつつある。 正規-非正規といった就労形態の区分はなくなり、人々は自分の適性や環境に応じて時間・日数・働く場所などに柔軟性をもたせながら働いている。一生を一つの会社で過ごす生活は多数派ではなくなり、年齢などに応じて、何度も異なった職業に就くことが一般化している。この背景には、ICT の発展や、どの世代でも再教育によって新しい能力を得られる制度がある。また、多くの外国人が日本で働くようになった一方で、日本人も当たり前のように世界各地で活躍している。もはや仕事場に国境はない。 働き方の変化によって、家庭は団欒をとりもどした。仕事上や経済上の理由から、結婚できなかったり、子どもをもてなかったりすることはまれになり、少子化傾向は大幅に改善した。「育児休暇」「介護休暇」といった特別な配慮も不要となった。テクノロジーの発展によって介護や家事の負担も著しく減少した。このため、ボランティア活動、地域活動、創作活動、生涯学習などに使える時間が増え、支え合ったり、みずからの力を高めることが容易になった。職場や学校でのストレスによる身体的・精神的負担も軽減され、人々は比較的健康な生活を送っている。 生活に余裕ができたため、伝統文化や芸術を楽しむことや豊かな自然と触れ合うことが広く国民全般に定着した。それによって、芸術文化を多面的に学ぶ環境や芸術家の活動基盤が確立され、人々の創造性や生活の質の向上がもたらされている。また、科学知識や身体知識などが融合し、新たなオリジナル文化も登場するようになった。 日本は、ヒト、経済、文化、伝統、技術などを含め利用可能な資源を効果的に運用しながら、安全保障はもとより、経済や環境などに関する国際的なルール・制度づくりに進んで関与するとともに、災害支援活動、環境に関する科学的知識といった国際公共財の供給者となって、国際的に敬意を払われる国となっている。日本人は、平和の創造に積極的な貢献をしているみずからの国に誇りと自信をもっている。
これは福島原発事故にみられた国会事故調のいう「人災」の原因ともなる願望的あるべき論である。このまま何も変わらなければ到来が予想される厳しい「来るべき日本の姿」があって、そうならないために目指すべき「あるべき姿」(To Be)があるべきである。やはり、まだまだ楽観的すぎるのではなかろうか。シナリオとしての説得性が弱い。
「共創の国」づくりのためになすべきことの中に人財戦力の一環として、次に様な記載がある。
具体的には、定年制を廃し、有期の雇用契約を通じた労働移転の円滑化をはかるとともに、企業には、社員の再教育機会の保障義務を課すといった方法が考えられる。場合によっては、40 歳定年制や 50 歳定年制を採用する企業があらわれてもいいのではないか。もちろん、それは、何歳でもその適性に応じて雇用が確保され、健康状態に応じて、70 歳を超えても活躍の場が与えられるというのが前提である。こうした雇用の流動化は、能力活用の生産性を高め企業の競争力を上げると同時に、高齢者を含めて個々人に働き甲斐を提供することになる。 これと並行して、生活保護、失業保険など、これまでのセーフティネットのあり方や役割分担を整理統合していく必要があろう。とりわけ、高齢世代のもてる力を発揮し、若者たちの経済的負担を軽減し、将来に向けたチャンスや希望をあたえるために、世代間の所得移転に強く依存した現在の年金制度も改めるべきである。また、未来世代に負担やしがらみを残さないために、未来世代につけを回さない政策を実行していく必要がある。各世代の差を合理的な範囲に修正するよう、給付の削減や負担増を継続的に進め、できるだけ早い段階で、世代間の所得移転から世代内移転を強めるよう社会保障制度を改革するのが望ましい。こうしたことは、後述する「尊厳ある生」の保障の持続可能性を高めることにもつながる。
従来概念の生活弱者を対象としたセーフティネットだけではなく、流動化した人財環境で就業する個人を支えるフェールセーフがないと、組織のフリンジ・ベネフィットを享受している人財の流動化は起こり得ない。報告書案が提示している40歳定年制等は大企業、行政にまず適用して欲しい。報告書案のいう「眠れる人財」はそこにいるからである。
従業員だけでなく、経営者層側にも相談役、名誉・・・と言った形でいつまでも居座ることなく、経営者としての実力があるなら、別の分野の会社に転身してその実力を発揮して欲しいものだ。
同じ事は政治の世界にも言える。ちょうど1年前の「世代別選挙区を採用したら議席配分はどうなる? 現在80人しかいない“青年”衆議院議員が160人になる可能性」(日経ビジネスONLINE 、2011年7月7日)という記事によると、次のような弊害の起こる可能性が指摘されている。
今年3月11日に発生した東日本大震災の復興対策にあたって、この仮説を証明するようなことが起きた。復興財源を捻出するため、引退世代が恩恵を受ける「公的年金」は削減対象にならなかった。一方、子育てを行う若い世代が恩恵を受ける「子ども手当」は真っ先に削減の対象となった。 この背景には、日本の国会議員の年齢構成において高齢者が多く、若い世代の利益が守られるような力学が働いていない可能性がある。その結果、孫は祖父母よりも1.2億円も損をするという「世代間格差」を引き起こしている。
一方で、厚労省は70歳定年制を目指す動きにある。 そして、そうした法制度に関係なく、すでに70歳定年で、全員が正社員という会社もある。未来工業(株)である。カンブリア宮殿にも登場(2011年1月20日放送)した会社だ。
つまり、人財の流動化は人財を抱え込んでいる大企業、行政といった大組織の話であるということだ。
さらに、報告書の最後に、「政治家と国民に向けてのメッセージ」が記載されている。
5.フロンティアを切り拓き「共創の国」を実現するために(概要版より) 1)政治が信頼を回復しなければ、将来に対する不安は払拭できない。いかなる政党も国家ビジョンを示し、その実現のための専門知識に立脚した政策作りを行い、それをさらにマニフェストで示し、政権獲得の暁には国民に見えるかたちでPDCAサイクルに乗せ、確実に説明責任を果たしていくことが必要。 2)未来を切り拓くためには国民みずからが意識変革をする必要がある。一方、政治は国民に日本が進むべき道を指し示し、国民に意識変革と協力を要請するリーダーシップが必要。 3)国家ビジョンは、日本という一つの共同体に生きる我われが、これから将来に向けてともに歩んでいく道を照らすもの。本報告の内容が、国家戦略会議における議論の材料にとどまらず、広く社会全体で国家ビジョンを議論するためのたたき台となることを期待。
マニフェストを無視する野田政権下での報告書案を提出する委員の心中を反映した呼びかけとなっている。
全体として、基本的には精神論であり、既視感が否めない。イノベーション論の換言的表現とも言える。イノベーションがなぜ日本で起こらないのか、その原因を見極め、それをブレイクスルーする国としての仕組みづくり、環境づくりこそをこれからの国家ビジョンの柱に据えられていいと思う。そうでなければ、現在の閉塞感は変わらない。このフロンティア分科会が新たに打ち出した目玉は何か、報告書案からは読み取りにくい。
「課題先進国」日本という概念は、小宮山宏前東大総長が提唱して久しい。そして、報告書案で謳われていることは、失われた10年あるいは20年前から言われ続けてきたことである。
インターネットの普及を受けてグローバル化した昨今において、個人の存在が増しているがそうした観点からの国家ビジョンへの言及はない。昨今、急速に拡大している「組織」意志と「個人」意識のギャップの拡大についての言及もない。これは民主主義国家の根幹的問題と思われるが。また、日本が世界にリスペストされる国家としての振る舞いについても言及がない。劇的な情報・知識の拡大が可能となっているという歴史的転換点からの言及もない。
この分科会が目的とする国家ビジョンを語るには、もう少し歴史観を踏まえた国家観が必要ではなかろうか。まさに、国民総意の叡智を結集した国家ビジョンを議論し創る場づくり・仕組みづくりが必要ではなかろうか。移ろふ政党のマニフェストではなく、国民のディファクト的総意を形にしたいものである。