保証人制度に想ふ

先だって、NHK「追跡!AtoZ」で「保証人ビジネス」を取り上げていた。その取材班の書いた記事もある。なぜかNHKサイトのものよりもDIAMOND onlineサイトの方がしっかりしている。普通の会社ではありえない話であるが。

保証人とは、借金をする人の保証債務を負う人や、身元等を保証する人を言い、保証人ビジネスとは、そうした保証人が見つからない人に保証人を紹介するビジネスをいう。

Wikipeiaによると、債務保証、身元保証以外にも、一般的に保証人といわれているものには次のようなものがあると記載されている。

* 婚姻時には、偽装結婚でないことを証明するために、2人の証人が必要である(739条2項)。なお、この証人は金銭的な義務は負わない。 * 賃貸住宅を借りる場合、基本的に保証人が必要であるが、最近では保証人が居なくても部屋を借りることのできるシステムが増えつつある。[3]ウィークリーマンションでは不要の場合も多い。都市再生機構のUR住宅(旧公団住宅)では、「保証人不要」をセールスポイントにしている。 * 高校、大学、大学院、専門学校等に入学する際・企業に入社する場合に、身元保証人が必要になる場合がある。 * 奨学金を貸与される場合に、連帯保証人を求められる場合がある。 * 市営住宅などの公営住宅を借りる場合、連帯保証人が2名以上必要である。 * 病院に入院する場合に、連帯保証人が必要になる場合がある。

確かに、金銭的な債務の与信としての保証(人)制度はあり得るが、今時、他人の債務を保証する人が本当に存在するのだろうか。これこそ、共済なり保険という「大数の法則」による仕組みで担うべきものである。住宅ローンを借りる時の保証会社はその一種である。大数の法則が成立しない個人レベルでの保証人ビジネスはそもそもありえない。

問題は、そうした多様な金銭的債務の保証人を要する事案に対応した仕組みとしての保証ビジネスが十分でないところにある。バングラデシュのグラミン銀行に代表されるマイクロクレジットの仕組みもあるが、保証人ビジネスの保証人を必要とするような人を対象にしたマイクロインシュランスの仕組みも作り出す必要がある。規制緩和が不可欠である。

さらに問題は、非金銭的な事案に対してまで、保証人が何故必要なのか、この理由がよくわからない。保証人がないと何故リスクカバーが出来ないのか。惰性的にそうしているだけのものがあるのではなかろうか。自らの目利きの無さを保証人制度に転嫁しているだけではなかろうか。なんとなく、江戸時代の5人組、戦前の家制度、戦時時代の隣組等を思い出せる。

非金銭的な事案における保証人制度は、本人の力量・資質以外のところで本人を評価しようとするものであり、仕組み自体がおかしい。政界で、「地盤、看板、鞄」を受け継げる二世・三世が有利と言われるのと構図は同じである。身元・出自の保証なら、戸籍謄本で十分である。戸籍制度自体、惰性の仕組みで近代的仕組みへの脱皮が不可欠であるが、現時点ではこれを利用するのが次善の策である。