地方をベースとした新たな働き方の実践 ~サイファー・テック社に学ぶ~

先日(2014年11月12日)、主宰している創発交流会において、徳島県美波町に本社を移し話題になっているサイファー・テック株式会社の吉田基晴社長に基調講演をお願いし、意見交換もさせて頂いた。

東京に本社を置き、出身地の美波町サテライトオフィスを置いていた会社形態を、東京側をサテライトオフィスにし、美波町に本社に移転させたとのこと。逆転の発想である。

これにより、いろんな事が大きく変わったとのこと。

まず、社長以下、社員一人一人が「半X半IT」という仕事のために大切なもの(X)を捨てずに働ける生き方を標榜し,実現できているとのこと。「X」には、社員それぞれのこだわりのサーフィンあり、狩猟あり、農業(コメ作り)あり、漁業(釣り)、等々。確かに、こういう働き方、生き方は田舎でしかできない。

これは、自らの生き様を貫き持続するためにビジネスをしているとも言える。当然、心身ともに健康にもなる。このような余裕(遊び心)を持ったビジネスの仕方の方がクリエイティブにもなるし、イノベーションも起こせるかもしれない。現在の「田舎で生きる」、「田舎でビジネスをする」一つの形を示している。成長のピークを過ぎ、成熟社会に移行した時代においては、このような会社起こしや経営、生き方をしたい人は、日本のあちこちにいると思われる。

結果して、東京で一IT企業として、人材募集しても集まらなかったのに、美波町での「半X半IT」を打ち出し求人すると、3人の募集人員に180人も応募してきたとのこと。社員も増え、増収増益とのこと。これはすごい。それだけ、今の日本には、働く場所と生き様を一致させたいという人が多いということを物語っている。

また、田舎(本社)と東京(サテライト)と行ったり来たりしているとのことであるが、これは地方をもベース拠点の一つとする「兼居」スタイルであり、ビジネス活動空間のネットワーク化である。本社、ラボ等がハブであるということである。「知」あるいは「IT」ベースのビジネスであればこうした兼居・ネットワーク活動空間形態は成り立つ。仰々しく、行政が金と口を出さなくても、民主導で地域の新たな生き方が実現できるのではなかろうか。

事実、吉田社長は田舎で事業体を置くことの社会的な存在感の大きさを語っている。確かに、東京ではあまたある企業の単なる1社に過ぎない存在が、田舎ではその存在感が大きくなる。まして、若く新しい感性をもつベンチャー企業の存在はその地域にとってはものすごく刺激になると思われる。地域興しにもなる。

吉田社長は、そうした地域興しの期待・ニーズに応えるための会社(株式会社あわえ)も興している。ボランティア組織ではなく、株式会社にしたのは自律した持続性を維持するためとのことであるが、同感である。日本のボランティアは何故か無償に近いイメージがあり、行政も単に安い労務提供体として利用しているがそれはおかしい。欧米では日本の株式会社以上にしっかりした収入を得て経営をしているボランティア団体が少なくない。残念ながら、今の日本では、ボランティア事業的な活動においても、ソーシャルビジネス体としての株式会社、あるいは一般社団法人形態の方が持続的な活動を可能とする。

地域に生まれ育ち、都会でビジネス感覚を磨いた者がその生き様を発揮する場、空間が都会である必要はない。日本である必要もない。いまや、ビジネス空間はネットワーク(移動、通信)で繋がっており、1カ所である必要はない。組織もネットワーク状であっても良い。社長が居るところが本社機能所在地である。

新しい感性の持ち主が新たなビジネス形態をあらゆる場所、あらゆる業種で興して欲しいものである。そうした雑多な勃興が絡まり合って次代に向けての大きなうねりとなり、イノベーションを引き起こすのではなかろうか。自らもそうしたうねりの中に身を於いてもうしばらく汗をかいてみたい。

 

中村修二氏のノーベル物理学賞受賞と成長戦略

ノーベル物理学賞受賞者に青色発光ダイオード(LED)を開発した赤崎勇・名城大教授、天野浩・名古屋大学教授、そして母校の後輩である中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授が選ばれた。「20世紀に火をつけた白熱電球に変わるエネルギー効率が良く環境にも優しい革新的な新しい光源を発明した。21世紀はLEDランプによって点灯する」と公式発表で評価されている。

公式発表で中村修二氏は、「Shuji Nakamura, American citizen. Born 1954 in Ikata, Japan. Ph.D. 1994 from University of Tokushima, Japan. Professor at University of California, Santa Barbara, CA, USA.」とアメリカ国民として紹介されているが、もちろん出自は日本人である。

二重国籍の実態:「ノーベル賞中村氏は日本人」とする安倍首相、「日本国籍を喪失」とする日本大使館、2014年10月12日

中村修二氏 略歴 1977(S52) 徳島大学工学部電子工学科卒 1979(S54) 徳島大学大学院工学研究科電子工学専攻修了。日亜化学工業 入社 1994(H 6) 徳島大学より工学博士取得

1999(H11) 日亜化学工業 退社 2000(H12) カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)教授に就任 2003(H15) 米国国立アカデミー(工学)に選出 2014(H26) ノーベル物理学賞受賞

中村修二氏は、小生と同じ大学出身(小生の2学年下)であり、中村修二氏が在学当時の指導教官の一人である多田教授(当時)は、大学のプールでよくお見かけしていた。当時はそうした関係は知らなかったが。

徳島大学のサイトには、中村修二氏のDr.論の表紙の写真が掲載されている。タイトルは「InGaN高輝度LEDに関する研究」とある。

中村修二教授(カリフォルニア大学サンタバーバラ校)がノーベル物理学賞を受賞、2014年10月7日、徳島大学

地方の大学に光…中村氏ノーベル賞、YOMIURI ONLINE、2014年10月10日 09時00分

カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)のサイトには、受賞を祝い、特集が組まれている。 ▶UCSB Materials Professor Shuji Nakamura Wins Nobel Prize in Physics

受賞者3人は日本の応用物理学会の会員であり、学会のホームページに特集が組まれアップされている。 ▶【特集】2014年ノーベル物理学賞受賞

中村修二氏が在籍していた日亜化学工業のサイトには、このノーベル賞の受賞に関する正式発表はない。産経新聞号外(2014.10.7 20:26)に『ノーベル物理学賞を受賞した中村氏がかつて所属していた日亜化学は7日、「日本人がノーベル賞を受賞したことは大変喜ばしい。とりわけ、受賞理由が中村氏を含む多くの日亜化学社員と企業努力によって実現した青色LEDであることは誇らしい」とコメントした。』とある。

この淡々としたコメントの背景には、よく知られた裁判がある。 ▶Tech-On! スペシャルレポート 中村裁判  食い違うそれぞれの「真実」 日亜化学工業社長と中村氏 「青色LED訴訟」の深層、Tech-On!、日経BP社

実は、昨年の今頃、中村修二氏の来日機会の折りに、母校である徳島大学工業会(工学部のOB会)の関東支部総会(於:東京)に基調講演をお願いしたが、その際に、もしノーベル賞の受賞が決まれば講演どころではなくなるという心配をしながらお願いをしていた。幸か不幸か、昨年は受賞がなく、基調講演をお聞きすることができた。1年遅れでノーベル受賞が決まったという次第である。

その基調講演の感想を記したのが下記のメルマガである。基調講演時の質疑応答の際の「研究の原点、原動力は怒りである」と言っていた中村修二氏の言葉が忘れられない。

月刊メルマガ「FellowLink 倶楽部」 2013/11/1 #4 【1.何がスタンダードか】

なお、渡米当時の中村修二氏へのインタビュー記事が下記に再掲載されている。 ▶苦境に陥ればこそ,新たなアイデアがわく―中村修二氏が語る渡米後の生活 中村修二氏(University of California Santa Barbara, Materials Department, Professor)、2014/10/08 13:07 出典:日経エレクトロニクス、2001年4月9日号、pp.180-185(記事は執筆時の情報に基づく)

中村修二氏がアメリカに流出したことに関して、今後とも優秀なエンジニアほど海外に流出するのではと懸念する声が上がっている。そうした流出を防ぐ仕組みとして、中島聡氏はストックオプション制度の活用を提言し、「そういうシステムがあるからこそ、米国には世界中から優秀な技術者たちが集まり、そしてそこで得た財産を元に彼らがまた別のビジネスを立ち上げたり、投資家として起業家たちをサポートする、そんなエコシステムが成り立っているのです。」と指摘している。

中村修二さんだけでなく優秀なエンジニアの海外流出は続く ローリスク・ローリターンからハイリスク・ローリターンに変わったエンジニアの環境、日経テクノロジーonline、2014/10/16

青色LED特許訴訟に関する一考察、中島聡、 2014年10月09日、ハフィントンポスト日本版

イノベーションは国の成長力の源泉であり、イノベーションを惹起するのはイノベーショナルなプロフェッショナルである。イノべーショナルなプロフェッショナルをリスペクトし、適切に報い、かつ知的刺激のある土俵という仕組みがなければ、グローバルな土俵で生きられる人ほど海外に流出するのは必然である。そうした人(海外出身者も含めて)が、日本に本拠地を置きつつも、グローバルレベルで活躍できる仕組みをつくることこそが日本の真の成長戦略ではなかろうか。地方や企業に補助金をばらまくだけが成長戦略ではない。

 

朝日新聞の誤報問題と新たなメディアの勃興

朝日新聞の誤報と謝罪

朝日新聞の謝罪が相次いでいる。8/5慰安婦誤報(朝日新聞は記事の検証結果の特集記事報道と位置づけ)、9/6池上連載拒否謝罪、9/11吉田調書誤報・慰安婦問題謝罪、9/14任天堂記事捏造問題謝罪。一気に溜まっていた膿を出しているような気がしないでもない。あるいは、出さざるを得ない状況が生じているのかもしれない。

慰安婦問題を考える、朝日新聞DIGITAL(2014年8/5日初出)池上彰さんの連載について おわびし、説明します、朝日新聞DIGITAL、2014年9月6日03時00分みなさまに深くおわびします 朝日新聞社社長、朝日新聞DIGITAL、2014年9月12日03時07分任天堂と読者の皆様におわびします 朝日新聞社、2014年9月14日05時00分

慰安婦誤報は、その発端となった記事が出てから謝罪までに32年を要している。この間に、国家間の問題を惹起している。

1982/9/2朝日新聞朝刊(大阪版)22面「朝鮮の女性 私も連行 元動員指揮者が証言 暴行加え無理やり 37年ぶり危機感で沈黙破る」新聞記事画像、日本専門家活動協会報道検証機構従軍慰安婦問題の経緯 ―河野談話をめぐる動きを中心に―、国立国会図書館 調査及び立法考査局、レファレンス 平成25年9月号

吉田調書も世界的に注視されている中で、事実(調書)と異なる報道がされ、世界からの認識を歪めている。政府は、吉田調書のみのならず、政府事故調査委員会のヒアリング記録の公開に向け動いている。

「吉田調書」 福島原発事故、吉田昌郎所長が語ったもの、朝日新聞DIGITAL(2014年5月初出)政府事故調査委員会ヒアリング記録、内閣官房

マスメディアの報道品質とリスクマネジメント

影響力の大きいマスメディアとしての記事の品質管理、リスクマネジメントがなされていない事を露呈している。こうしたマスメディアにおける誤報問題をリスクマネジメント問題として論じたペーパーに、誤報に関するデータが掲載されている。

朝日新聞慰安婦問題とメディアの誤報リスクマネジメント、SYNODOS、2014.09.18 Thu

このペーパーに記載された誤報検証サイトにおける誤報の登録件数を調べたデータを見ると、誤報は朝日新聞に限ったことではない。朝日新聞を批判している側のマスメディアにも誤報は多々ある。「ハインリッヒの法則とよく似た事故の階層構造が誤報にもみられる」とあるが、人(記者、編集者)が介在する仕組みにおいては当然と思われる。しかし、何故、「報道」という製品の品質改善・リスクマネジメントが機能していないのであろうか。

その一つが、やはりしっかりした調査報道、検証報道、訂正報道を回すあるいは促す仕組みが欠けていることにその主因があると思われる。例えば、東日本大震災からの復興、福島第一原発事故の収束等に関する調査・検証報道が十分になされないまま推移している。この点について、大前研一氏は「『大本営発表をそのまま伝えるだけ』という戦争時の姿勢と本質は全く変わっていない」と厳しく指摘している。

▶追記:その後、「誤報欄」常設のすすめ、京都大学大学院教育学研究科准教授・佐藤卓己、2014.9.28という提案記事が出ている。

記者クラブ等の便宜供与や、各種審議会等へマスメディアが委員として参画したり、さらには企業・団体等の広告に大きく依存する限りは、第三者的な報道を期待するのは難しい。マスメディアの立ち位置が問われている。

ネット社会がもたらす情報の受け手側の変化

一方、情報の受け手側も、マスメディアが報道する事は正しいというある種の「神話」があったのかもしれない。公開された吉田調書を始め、国民が知りたい情報が国民に秘匿されており、報道されている事実は情報ソース者及びマスメディアによって選別され切り取られた事実でしかない。その切り取り方によって、偏向も、誤報も生じる。受け手側も、情報に対するリテラシーを向上させる必要がある。それには、情報に関する非対称性を解消するしかない。

日々、膨大なニュースが発生し積み上がっていくなかで、限られた掲載しかできない制約の中で、その全てをカバーし、ストックし、分析・検証することには限界がある。しかし、インターネットでは情報の受け手側でもそれが可能となる。

例えば、筆者も、かって阪神・淡路大震災時にFEMAに倣って、関係主体の震災後の3ヶ月間の対応(活動)を調査し整理した3ヶ月後報告を出した際、紙媒体が主流の当時に於いては、莫大なマンパワーの投入を余儀なくされた。所属会社のマンパワーを利用できたからこそ可能であった。しかし、東日本大震災の時には、同等以上のことが、組織に頼らずとも可能であった。

東日本大震災 情報支援サイト「復興日本

また、小保方論文疑惑の際には、マスメディアがインターネット上に流通していた情報の後追いに終始した感がある。専門家は行政廻りの審議会等にいるだけでなく、在野にくまなく存在する。ネット上の記事、情報は発信が容易であり、ストックが容易であり、比較検証が容易である。

ネット社会の新たなメディアの勃興

このため、今、ネット社会では、SNSFacebooktwitter、Blog等)だけでなく、ニュース比較サイト、キュレーションサイトあるいはキュレーションメルマガ等が勃興している。これらはキュレーションメディアと総称されることもある。これは、ある意味で読み手の選択・判断能力に評価を委ねているとも言える。更に云えば、これはある種の専門的集合知と言えるかもかもしれない。発信主体が限られていた従来とは明らかに土俵が変わってきている。同じニュースを多様な発信主体の発信内容を比較すれば、それなりの真実に近づく。

【最近話題の新たなキュレーションメディアサイト】 ▼グノシー(500万DL) ▼スマートニュース(400万DL) ▼NewsPicks(21万DL)

参考:▼「イノベーションのハブとしての役割を果たしたい」—新たなメディア像を描く「NewsPicks」の現状と未来、現代ビジネス、2014年09月20日 追記:▼興隆する『キュレーションメディア』の側から見える市場、2014年09月24日

筆者も、1年前から、専門家・知、イノベーション、仕組みに焦点を当てたキュレーションメルマガを編集・発行している。

FellowLink倶楽部

人あるいは組織は、何かを判断するとき、判断のよりどころとなる情報を集める。これまでは、そうした情報を発信するのは、マスメディアがその大宗を担っていた。しかし、いまは違う。上述したように、インターネットを活用した多様なメディアが勃興している。それが更なる個人の発信を促している。いま、マスメディアとソーシャルコミュニケーションとのせめぎ合いが始まっている。その流れに棹さしてみたい。

帰省路と田舎の諸相

圏央道とカーナビ ~圏央道の効果を実感~

今年もお盆に帰省した。今年は、行きは高速道路で、帰りはフェリーを利用した。これまでは一般道路経由(府中街道等)で東京川崎ICから高速道路を利用していたが、この東名高速道路に乗るまでに約2、3時間を要していた。ところが今年は、平成26年6月28日に圏央道東名高速道路まで繋がったので、圏央道の入間ICから高速道路に乗ってみることにした。

昼の暑さを避け、8/11 16:00に自宅(所沢)を出て、入間ICから圏央道にのり、そのまま海老名JCT東名高速道路に入り、御殿場JCTで新東名高速道路に、そして18:50静岡SAで最初の休憩をとる。余り疲れずに一気に静岡まで来られるとは。圏央道の効果はすごい。ただ、残念なのは、新しい高速道路なのに、全体に線形とカラーリングが悪いこと、そしてトンネル区間が暗くて走りにくいことだ。構造物に新しさ、先進性を感じないのは何故だろうか。

圏央道 相模原愛川IC~高尾山ICの開通1ヶ月後の整備効果について国交省相武国道事務所

静岡SAで177円/リッターもするガソリンを補給して、19:20出発。20:55、浜松SAで2回目の休憩。食事を取り、21:45出発。そして、東名高速道路伊勢湾岸自動車道東名阪自動車道を経て、新名神高速道路の土山SAに23:23着。ここまで自宅からの走行距離426km。ここで1時間ほど仮眠して、1:00に出発。名神高速道路を経て、2:25に中国自動車道西宮名塩SAで休憩。2:47に出発して、4:10神戸淡路鳴門自動車道の緑PAで最後の休憩。4:20出発して、5:00徳島市郊外の女房の実家に到着。自宅を出てから13時間。総走行距離678km。夜間走行なので、熱くもなく、渋滞もなく、スムーズであった。

今回、事前にルート検索、カーナビ案内をいろいろ調べていて分かったのだが、高速道路会社の経路情報、カーナビ案内情報、SA/PAサービス機能情報の提供がスマフォ対応していない。利用料金を徴収しているのだから、今時、それぐらいのサービスはして欲しいものである。いまや、車載カーナビよりもスマフォのカーナビアプリの方が無料ながらも情報更新が早く、使える。Yahoo! Japan カーナビはなかなか良い。

こういうアプリが無料で提供されると車載カーナビに代わり、充電機能付きスマフォスタンドが車載カーナビに早晩取って代わるであろう。ということは、スマフォの音声応答(入力)機能の強化や、スマフォ画面をフロントガラスに転写する機能等が早晩、普通になることが予想される。あらゆる場面のモバイル機能がスマフォをプラットフォームとする時代が近づいている。

シャッター通り」ならぬ「朽ちた家通り」

8/13の午前中は、阿波市の実家で初盆があった。親戚一同が集まり、お坊さんが家に来て読経してくれる。お坊さんもお盆は分刻みの稼ぎ時で忙しそうである。

実家の周辺を車で走っていると朽ちている家が増えている。近くにあった立派な塀に囲まれていた屋敷も見るも無惨な姿をさらしている。勝手のそれなりの家並みが、串の歯が抜けるようにあちこちで朽ちて崩れかかっている。住む人がいない家は朽ちるのが早い。朽ちた家を壊して更地にすると固定資産税が高くなるとのことで、そのまま朽ちるに任せているとのこと。

聞くと、人が住んでいる家でもお年寄りが殆どで、実家のある通り沿いには子供が1人しかいないとのこと。お盆、正月、冠婚葬祭の時にしか人が集まらない。寂しい限りである。全国で似たような状況が拡がっている。

横須賀市で限界集落が生まれた理由 「日本で最も人口減が進む都市」の実像

現在、ふるさと納税や、飛行機の介護帰省割引があるが、都会に出て行った人が頻繁に実家に帰ってコミュニティを維持する為の移動支援・活動支援をするような仕組みが必要かもしれない。東京以外の全国の地方で人口が減る時代は、動ける人の移動によるアクティビティ(総流動)を上げるしかない。例えば、週末は地方で生活したり、仕事をしたりというスタイルがあって良い。WEB時代は、仕事はどこでもできる。グローバル時代は、本社は日本のどこにあっても良い。世界から見れば、所詮、Japanに変わりはない。通信コストは劇的に下がった。次は、移動交通コストを劇的に下げるしかない。

住民だけを対象にした地域政策、まちづくりではなく、地域に係わるアクティビティの担い手をターゲットにした政策・施策、企業活動、生活行動がキーとなる時期に来ている。

実家の掃除

8/14~8/15は、女房の実家の大掃除である。最近は、毎年、お盆に帰ると、軽トラックで3回ほど要らなくなったものを捨てに行ったり、家の中を修理したり、備品を買い換えしたりしている。重い不要物をもって階段を上り下りするのも、段々ときつくなる。腰の筋肉痛が2,3日続く。軽トラックは田舎の農家には必ずあるが、乗用車と違って、最初は運転しづらいがなれれば何とかなる。

意外と知られていない? 日本を支えるクルマ「軽トラ」その魅力を探る[2014.8.26追記] 

燃えないゴミ等雑多なものを捨てるには、有料の民間施設に持ち込む。資源ゴミは市役所の処理施設に持ち込めば無料である。いずれにしても、高齢世帯では処理は難しい。身内がやるしかない。こうした実家のモノの片付けは日本の社会的問題だとする指摘もある。小生も、子供にとっては実家であり、モノの処分で迷惑をかけたくないので、昨年末、自ら大半を処分した。その詳細は、本ブログの「LCP(Life Continuity Planning 人生継続計画)~自分史、終活・エンディングノートを超えて~」に記した。

大掃除が終わりかけた頃に、帰省する各一家が勢揃い。総勢15名。一気に賑やかになる。

「実家の片づけ」は日本経済の縮図だ あふれ返ったモノ、売れない家に悩む子世代、東洋経済ONLINE、2014年08月17日これが「実家の片づけ」に悩む人の実態だ! きっかけ、年代、費用、期間・・・独自アンケートで判明、東洋経済ONLINE、2014年08月20日

ホスピタリティの欠落したホテル

8/16は息子の御披露目会を開催した。ハワイで挙式したので、実家のある田舎の徳島で親戚への御披露目をした次第である。この会場選びが大失敗であった。8/15までは阿波踊りがあるため、その翌日に会場が開いていそうな某共済組合系のホテルを探して選んだのだが、そのホスピタリティのなさには唖然とするしかなかった。

まず、着物の着付けの部屋として、空いている和室を用意してくれたのはいいが、あの暑い最中、冷房も入れず、お客に提供する神経が分からない。使用した者は暑くて大変だったと、怒っていた。

料理、ドリンクもともにコースの中の最高ランクを注文したのだが、特にドリンクはひどかった。こちらから声をかけないと、ビンの栓を開けてくれない。選択肢が少ない。補充をなかなかしない。競争の激しい東京では考えられないひどさであった。料理も足りなくなったので、何かできるモノがあれば追加したいと掛け合うと、しばらくして、事前に注文したモノ以外は用意できないと言ってくる。来て頂いた親戚の皆さんには、十分なおもてなしができず、本当に申し訳なかった。二度とあのホテルは使うことはない。

やはり、競争環境にないサービス業はどうしようもない。この共済組合系の施設は県内ではこのホテル施設のみになってしまったと送迎車の運転手をしてくれた方が言っていたが、このホスピタリティのなさではこのホテル施設も民間企業に譲渡した方が良い。

すだち

8/17は帰り支度の日。使用した布団を干し、シーツを洗い、ゴミ類を出す。我が家を除いて、帰省していた一家がそれぞれ帰っていく。そして、夕方すずしくなってから、恒例のすだち狩り。厚手のズボン、長袖のジャンパーに「手ほい」、そして頭にタオルと帽子という出で立ち。

すだち畑は、手入れをする手がないので、草ぼうぼうである。高齢化すると、こうした畑の手入れもできなくなる。草に打ち勝って成長したすだちは、それなりに価値はあるが。ことしは雨が多かったので例年よりは大きかったが、それでも「路地もの」としては時期的に少し早いので小さめのものが中心となる。手入れをしていないので、表面に傷も多い。しかし、すだちのあの濃い緑の粒は何とも言えない。すだち畑の向かいにある家のおじさんから差し入れのジュースを頂き一息。話し込む。

帰路のオーシャン東九フェリー

8/18 9:00に女房の実家を出る。お盆の時には、総勢15名も家にいたのに、我々一家も帰れば誰もいなくなると、おばあちゃんが寂しそうにつぶやいている。途中、フェリーの中で食べる昼食と自宅用の半田そうめん1箱をスーパーで買い込む。

11:00徳島港をフェリーが出航する。4人部屋の2段ベッドの個室は家族のみで使用でき、廻りに気を遣う必要がなく、なかなか良い。翌朝、5:40に予定通り、東京港のフェリーターミナル埠頭に着岸する。薄暗いなか、海ほたるの横を抜け、夜明けの陸側のビル群を海側から見るのはいつ見ても良い。遠くには富士山も見える。

7:30、自宅に到着。

以上

個人情報漏洩事件について

ベネッセコーポレーションの顧客情報2,070万件が漏洩した。(その後の報道によると、7/22現在、2,260万件になっている。) 「漏洩」という言い方は「脱法ハーブ」と同じく、罪の意識が薄い表現で、「情報窃盗」と呼ぶべきと思う。情報社会に於いて情報窃盗の罪は重い。

▼ベネッセコーポレーションにおける個人情報漏えいに関するお知らせとお詫び(お問い合わせ窓口のご案内)、Benesse ▼ベネッセコーポレーションの個人情報漏洩の件に対する当社の対応につきまして、JUST SYSTEMS、2014.07.11 ▼個人情報漏洩事件・事故一覧、Security NEXT ▼ベネッセ、生活事業サービス利用者の情報流出も確認--総計2260万件に、2014/07/22 13:35

警視庁は、ベネッセコーポレーションの情報窃盗者である派遣社員不正競争防止法違反(営業秘密の複製)容疑で立件する方針とのことであるが、直接の情報窃盗者のみを罰し、個人情報を窃盗され漏洩された企業が個人情報提供者に謝罪金を支払えば一件落着ではない。

こうした情報窃盗・情報漏洩に関係する主体は5つある。 1.名簿業者から名簿(個人情報)を購入する会社 2.名簿業者 3.情報窃盗者 4.個人情報を盗み取られる個人情報保有会社 5.個人情報を預けっぱなしの個人情報提供者

■大量の個人情報を違法性を認識せずに購入できるのか

今時、大量の個人情報(名簿)が違法性なしに流通すること自体があり得ない。通常、利用目的以外での利用・提供をしないことを条件に個人情報が提供・収集されているなかで、直接の収集当事者以外の企業がそうした個人情報を購入し保有し利用すること自体に違法性の可能性が潜んでいるのは自明である。

個人情報を名簿業者から購入する際に、違法性を認識していない、排除している、と主張する購入業者の声があるが、極めて疑問である。例えば、ジャストシステムは、257万件余の個人情報になんらの違法性の疑問も抱かず購入したとするなら、それは会社としての個人情報の取扱姿勢に疑問を抱かずにいられない。会社としての信頼を毀損しても仕方がない。

■名簿業者は存立しうるのか

今回のベネッセコーポレーションの個人情報の売買の仲介をした「名簿業者」なるものの存在が明らかになっている。売却・換金目的で、一般の個人が情報窃盗をしても、その売却先がなければ情報窃盗する意味がなくなるが、名簿業者がそうした売却先の受け皿になっている。WEBで検索してみるとおびただしく出てくる。個人情報保護法が成立している状況下で、個人情報を売買する名簿業自体が何故存立できているのか。不思議である。

ベネッセの顧客情報「230万件」を売った「名簿業者」 訴えられる可能性はあるか?、弁護士ドットコム、2014年07月11日 14時56分 「不正に流出したものであるかどうかに関わらず、個人データの第三者提供を原則的に禁止する個人情報保護法23条に違反する可能性がありますね」

少なくとも、名簿業者に、入手した個人情報の入手経路の正当性を証明するマニフェスト(産業廃棄物管理票)のようなものを提示する義務付けが必要である。法制化に時間を要するようであれば、デファクト的に購入事業者がマニュフェスト(個人情報管理表)の提示を求めれば良い。違法性を真に排除するならこの程度のことを実践して欲しい。

■情報窃盗者を防ぐことは可能か

内部者による情報窃盗・漏洩を防ぐため、企業はシステム等のログ監視ソフトの導入により、抑止策を講じているが、人が介在する限り、技術的抑止策には限界がある。多くの企業が導入しているISMS(Information Security Management System)についてみても、「ISMS が多くの組織で形骸化している可能性がある」との調査結果(下記報告書 p.64)もある。

組織内部者の不正行為によるインシデント調査 - 調査報告書 -、情報処理推進機構、2012年7月

従って、より心理的抑止効果を発揮するには、アクセス者の限定(違法アクセス者の特定の容易化)や、監視カメラによる画像保存等が必要と思われる。さらには、今回のベネッセコーポレーション事案でも明らかになったように、当事者にしか分からないような個人情報(ダミー情報、特殊表現等)を潜り込ませておけば、窃盗・漏洩された場合でも、その出所を特定化しやすくすることができる。これは、購入事業者への購買抑止効果になる。

■個人情報の管理の仕組みに問題はないか

企業等に於いて、コンプライアンスISMS等でいくら規定しても、その管理責任部署以外、個人情報取扱事業者(5000件を超える個人情報データベース等を事業の用に供している者)となることの意味合いを実感していることは少ないのが実態ではないだろうか。

その典型例が、例えば、アンケートや各種の申込書で本当に必要な情報以外の個人情報を安易に取得することがある。収集した個人情報は適切に管理する義務およびコストが発生することを認識できていない。

さらに、今回のベネッセコーポレーション事案を見ると、2,000万件を超える個人情報の管理・運営をベネッセ本体ではなく、再々委託先の業者が行っていたことに驚く。これは、情報の価値とその情報の管理に対する認識が極めて低いと思わざるを得ない。企業にとっての重要な情報は直営で管理・監視すべきである。

いずれにしても、個人情報を収集しデータベース化する限り、意図を持った情報窃盗者・漏洩者を完全に排除することは難しいことを認識した仕組みの構築・点検を常に実施することが不可欠である。

組織における内部不正防止ガイドライン、2013年12月27日、独立行政法人情報処理推進機構

■個人情報の行く末に敏感に

個人情報を提供する側においても、どうやって自らの個人情報を守るか、常に意識しておく必要がある。

いろんなサイトへの登録、カード申し込みの登録等に於いてかなりの個人情報を提供している。例えば、Facebook等に於いて、自分の生年月日という重要な個人情報を公開している人が少なくない。同窓会、町内会、会社社員名簿等をシュレッダーにかけずにそのまま廃棄したり、販売している人も少なくない。いまや、一家に一台、シュレッダーが必要である。現状は、シュレッダーにかけて家庭ゴミ出しすると、ゴミ収集業者に「事業ゴミではないですよね」と確認されるほど、家庭でのシュレッダーは普及していない。

不要なサイト登録、カード取得を時々見直し、不要なものは退会・削除要請すべきである。また、セールスの電話が掛かってきたときは、電話番号の入手経路を確認し、削除要請をすべきである。今回のベネッセコーポレーションの個人情報にしても、子供が大きくなり、ベネッセのサービス利用を卒業したら、個人情報の削除要請をしておくべきであったと思う。

とにかく、自分の意に反する個人情報の利用・拡散がされないように自らが意思を持って対処すべきである。

 

ハワイ旅行 雑感

2014年6月2日から6月7日の4泊6日で、初めてハワイ(オアフ島、ハワイ島)に行った。プライベートでの海外旅行は初めてであった。家族と一緒に海外に行くのも初めてであった。海外でのいわゆるリゾート婚なるものも初めて経験した。海外出張とは異なるハワイ旅行での雑感を記す。

渡航

まず、パスポートが切れていたので、10年パスポートを申請する。申請に当たって,自宅でデジカメ写真を撮り、パスポート申請写真作成のフリーソフトで写真を調製して持参すると、顔のサイズと余白がなんだかんだと云って受け付けない。そんな微妙な差違を世界各国がクリアしているとは思えないが、とにかく受け付けないので、1週間後、再度微調整して申請し直す。日本の役所の現場の杓子定規な対応が未だ直っていないことを再確認する。

次いで、ハワイ往復の渡航チケットをWEBで捜し、エアーライン系のWEB限定ツアーを予約する。ツアーとは名ばかりの要するに一人ツアーの仕組みである。現地でのオプションツアーもいろいろサイトで調べ、2つほど予約しておいた。これで結婚式の前後の日が埋まり、ハワイ到着日、ハワイ出発日を除き、すべての旅程が決まる。結構、忙しい。確かに、ハワイを堪能するには,何度となく訪れるしかないことを旅程決めの段階で実感する。

そして、渡航前に自宅のPCからビザ免除プログラムに基づく電子渡航認証システム(ESTA) の登録を行う。1人14US$の費用で2年間有効である。年間数百万人の登録者がいると云うことであるから、アメリカにとっては費用削減と収入確保が図れ、良い仕組みである。日本にこういう仕組みがあるか調べたがよく分からなかった。

▶第1日目 出発日

今回の出発空港は羽田国際空港であった。アクセスに便利な羽田から海外に行けるのは本当に便利である。こうなると、成田空港のアクセス利便性を上げないことには、成田空港の評価は下がる一方であろう。いろいろ話題になっていた羽田国際空港ラウンジを始めて見たが、メディアが喧伝するほどのことはない。夜の時間帯であったためかもしらないが閑散としている。国際空港独特の国際感、猥雑感、ワクワク感はない。中途半端な感じである。

羽田国際空港を日本時間6月2日22:55に出発し、機内で軽食、食事をとり、ハワイのホノルル空港に現地時間で6月2日11:00頃到着する。入国審査で、両手の5本指全ての指紋、顔写真をとられる。個人生体情報がアメリカに取得、保管されてしまった。逆に、インテリジェンスが弱いとされる日本こそ、こうした仕組みが必要ではないかと思う。

時間を要した入国審査、税関審査を終え、空港からワイキキのホテルまでツアー申込先の案内バスに乗ってツアーデスクまで行く。いろんなタイプのツアーを発売し、集客し、ワイキキの拠点としてHyatt Regency Waikiki Beach Resort and Spaにツアーデスクを置き、そこに各種のツアー客を集め、説明し、デリバリーする仕組みとなっている。

ツアーデスクでの説明後、そのホテル内を歩いていると、アロハシャツやムームーを売っている店があったので覗くと、日本人が運営している店であった。アロハシャツ、ムームー事情を聞く。着いたばかりなので、一回りしてからまた還ってくると行ってひとまず退散し、宿泊ホテルに行く。

宿泊ホテルのShearon Princess Kaiulaniに着くと、本来の受付とは別に、日本人団体客用受付ルームがある。この宿泊ホテルは、名前と由来は立派であったが、建物が古く、室内設備が悪い。冷蔵庫にビールとミネラルウォーターを入れておくと一晩で凍ってしまう。トイレは水洗ではあるが,ウォッシュレットではない。ベッドサイドのライトはつかない。室内スリッパもパジャマもない。確かにリゾートホテルであるが、日本のビジネスホテル以下のサービス内容である。いずれにしても、ホテルでは、単に寝るだけなので問題はない。シャワーのお湯はちゃんと出るし、トイレ事情も某国よりもよい。途上国での長期海外出張を経験した者にとっては十分である。

荷ほどきをし、着替えてから、カラカウア通りや日本の原宿の裏通りのような露天路地等を散策しながら、明後日の結婚式用のアロハシャツとムームーを購入すべく店を探す。いろいろ見て歩いたが、the Royal Hawaiian Center内のとある店で息子用のアロハシャツを購入する。中国人風の店主と値引き交渉をして約4割引で購入。

飛行機の疲れと散策疲れがあり、休憩を兼ねて、早めの夕食をこのセンター内のCHAMPION STEAK & SEAFOODという店で、ワンプレートで食する。このワンプレート、ハワイのあちこちで見られる。日本の弁当文化とアメリカのテイクアウト文化が融合したようなものである。文化は融合するというが、まさにその一例である。

そして、結局、ツアーデスクのあったホテル内の店へとって返し、夫婦ペアのアロハシャツとムームーを購入。こちらは、日本人店員であったためか1割程度しか値引かなかった。残念。

宿泊ホテル前にあるABCストアで明日の朝食のサンドイッチ類を購入する。今回は、毎朝、結構忙しいので朝食は全てこのパターン。日本から持参したインスタント味噌汁と粉末緑茶が役に立った。サンドイッチ類は一晩、冷蔵庫に入れても、幸い凍ることはなかった。このABCストアについて、事前にサイトで見ると何でも買えますよ、と紹介されていたがその何でもの意味がよく分からなかったが、確かに現地でいくつかの店を覗いてみると店の大きさ、立地場所によって若干のアイテムの違いはあるが、コンビニ+ミニスーパー+スポーツショップ+ミニユニクロ+お土産やといったところであろうか。確かに、何でも売っている。日本にはない業態で、しかも出店がものすごく密に展開されている。日本の観光リゾート地にもこうした形態の店があるとおもしろい。

第2日目 カイルアタウン散策付き天国に一番近い海ツアー

早朝、5時半か6時頃から,ホテル前の建設現場で作業の音がする。窓から見ていると、7時には日本の建設現場と変わらない現場朝礼がされていた。建機に洲旗が掲げられているのがアメリカっぽい。

ホテルで水着を着込んで、8:00頃にホテルを出て、ツアーのピックアップ場所に行く。ピックアップ場所になっているHyatt Regency Waikiki Beach Resort and Spaの車寄せの前はいろんなツアーのピックアップ場所になっているようで、結構な人だかりである。感心するのは、周辺を含めて道路が結構混雑しているが、クラクションの音が殆どなく、いわゆる喧噪を感じないことである。交通事故も余りなさそうである。歩行者も横断歩道を信号通りにきちんと渡る。歩行者優先も徹底している。運転手に聞けば、交通法規はきちんと守っているとのこと。リゾート地であるが、成熟した都市である事を実感する。清潔で、治安もよく、日本語もある程度通じ、ハワイが日本人に人気があるのがよく分かる。

9:00頃に、マカプー岬に行き、10:30頃にはカイルアタウンにつき、2時間ほど散策する。郊外の静かな町である。しばし、散策した後、WHOLE FOODS MARKETで量り売りのワンプレートを食する。

そして,いよいよサンドバー行きの船着き場に13:30頃につく。いろんなツアー客が集結している。船は満杯状態である。乗客の半分は韓国人グループであった。その韓国人グループが真剣な顔でライフジャケットをつけている姿を見て、あの韓国船事故を思い起こした。サンドバーに着くまでの間に、船から時々、ウミガメが泳いでいるのが見えた。ウミガメの泳ぐ姿は平泳ぎをしている感じである。南米チリのバルパライソ港でみたフンボルトペンギンを見て以来の天然での光景である。

船を乗り継ぎサンドバーに着く。サンドバーは完全には露出していなかったがガイドの説明がそれを埋め合わせする。つづいて、母船に還り、母船の近くでシュノーケリングを初めて経験する。元水泳部にいた者にとって、足ヒレは邪魔であったが、呼吸の仕方もすぐになれてきた。ある方から、食パン風のものを渡され、シュノーケリングしながらそれを小さく砕いて海中でまくと、魚が一気によってくる。なかなかおもしろい。

船着き場に帰り、17:00頃、バスでピックアップされた場所まで送ってもらう。ホテルで着替えて、夜のワイキキを散策しながら食事の場所を探す。ふと目にしたeggs'n Thingsという店で夕食を取る。帰り道すがら、道路を見ていると、ワイキキの道路のカーベイは車道と同じ舗装ではなく、歩道と同じ舗装をしていることに気がついた。この仕組みは日本でも参考になる。

第3日目 結婚式

10:15に宿泊ホテルまでピックアップの車が来て、結婚式を挙げるCentral Union – Sanctuaryに10:30頃到着する。結婚する当人達は、前日、打合せやリハーサルメイクを行い、結婚式当日の今日は早朝7:30からヘアーメイクがスタートしているようである。花嫁は大変であるが、結婚式は花嫁のためにある。

今回のリゾート婚は近しい者だけによる参列の元で行った。全体の仕切りは、日本の某大手結婚プロデュース会社に依頼したとのことで、プロのカメラマン、ビデオカメラマン、ヘアーメイク、着付け士?(というかどうかは分からない)、コーディネーター等々、結構な人手をかけている。メイクシーンから結婚式、そしてビーチ撮影、パーティ後のサンセット撮影を行い、写真集やビデオ等を編集して納品するそうである。高くなるはずである。ワイキキの浜辺や町中の通りのあちこちでウエディング姿のカップルの撮影が行われていたが、全て日本人カップルであった。ウエディング姿の横を、水着姿の人が歩いたり、車が通ったりと、なかなか日本では見られない光景である。

結婚式を挙げた教会は結構大きな教会で、裏手では保育園や幼稚園も経営していた。このあたりは日本の寺社と似ている。神父は日本語もできるバイリンガルであった。素人の撮影可能なリハーサルを行った後、素人は撮影できない正式な挙式が始まる。日本の教会よりも、ある意味、淡々と華美な演出もなく行っている。賛美歌の強制もなく、専属の歌い手がいた。

挙式が終了した後、ホテルhalekulani 内にあるレストラン・Orchidsで12:30から約2時間、パーティを行った。高級ホテルの眺望の良い場所で、結婚を祝いながら、ワイキキの優雅なひとときを味わえた。

パーティ後、酔いを覚ましつつ、ワイキキビーチや市街をぶらぶら散策した。途中、ポリネシアダンサーやファイヤーダンサーが練習がてら外でぶらぶらしていて、開店前と云うことで、行列ができている店MAKINO MAKITTI があった。そのときは、まだ結婚式のパーティでおなかがいっぱいだったので、いったんホテルに帰り、21:00頃に行ったのだがこれが大失敗。既に営業は終わりかけ、食べ物は残り物で、殆ど食べるものはなかった。時間帯で料金を下げろと云いたかった。

第4日目 ホノルル発ハワイ島日帰り溶岩ウォークナイトツアー

朝、8:45にホテルでピックアップしてもらって、ホノルル空港に着く。ここからハワイ島のヒロ空港に飛ぶ。空港のチェックは相変わらず厳しく、靴を脱がされ、上着を取り、ホールドアップの姿勢でチェックを受ける。しばし待って、12:00頃ホノルル空港を出発し、1時間ほどでハワイ島ヒロ空港に着く。

厳ついガイド兼ドライバーの案内で市内に向かう。聞けば、日系3世という。ハワイもいまや3世の方々が中心になっているということである。そして、ハワイこそが日系移民の発祥の地で、いまも日系人の比率が高いという。

昼食を食べたCafe100も日系移民の方が起こした店で、そこで食べたロコモコも移民の方がお弁当替わりに食べやすいものということで創ったものとのこと。全てに歴史がある。オハフ島よりもハワイ島の方が日本とハワイのつながりの近さを感じられる。

ヒロダウンタウンを少し散策し、カメハメハ大王像の前で写真を撮り、人気の高いチョコレートやクッキーをつくっているビッグアイランドキャンディの本店というか工場を見学する。新婚さんとおぼしきカップルが大量にお土産用に買い込んでいた。

そして、いよいよキラウエア火山国立公園である。カルデラやスチームが吹き出している一角、溶岩が流れた後のトンネルを見る。途中の巨大なシダ類はまさにジェラシックパークの舞台ともなったとのこと。

続いて、溶岩台地に行く。流動性の高い溶岩であったことがよく分かる。17:00過ぎ、道路の超えて流れ出した溶岩流の痕跡の上でガイド持参の夕食の弁当を食べる。これが、なんとトンカツ弁当そのものであった。

こうして時間を潰しながら、夕暮れを待ってハレマウマウの火口の近くの展望台まで行く。標高、約1,200mとのこと。帰りの飛行機に間に合うぎりぎりまで居て、かすかに火口が赤く見えかけてきたがタイムアップ。もう一時あればと残念であった。ナイトツアーと銘打つのはやや過剰セールスかと。活火山の赤く色づいた火口を本当に見るには、やはり1泊するかない。次回、機会があればハワイ島で1泊して、夜の火口を見てみたい。

急いでヒロ空港にとって返し、20:20頃ヒロ空港を出発し、1時間でホノルル空港に着き、ホテルに着いたのは22:00頃であった。

第5日 帰国日

ハワイに来てから4日間いたが、肝心の目の前にあるワイキキのビーチで遊んでいない。このため、朝8:00にホテルでプール用のタオルを借り、ワイキキビーチに行く。人口砂浜とのことであり、所々、足裏に違和感を覚えつつも1時間ほど、朝のスコールに逢いながら、楽しんだ。やはり、海は良い。今回は時間がなく、サーフボードを楽しめなかったが、ワイキキはサーフボードがないと話にならないのが体感できた。

急いで、ホテルに帰り、シャワーを浴び、スーツケースのパッキングをし、11:00にチェックアウトする。その後、プライベートビーチ、そしてビーチとは反対側の運河沿いを散策する。この運河からビーチ側がワイキキとのこと。しかし、この運河沿いがなかなか良い景色である。

この運河に掛かっている道路橋脇に併設されている水管とおぼしき太い管路をきれいに花でカバーリングしていた。

そう言えば、ハワイの道路にはガードレールがない。これは昔、日本最初の保険のブローカーと云われる方に、アメリカでは下手にガードレールを作って、それで車が破損すれば損害賠償請求されるとのことでガードレールを設置していない、という話を伺った事を思い出す。

歩き疲れたので、昼食を食べようと店を探していると、テレビ司会者の小倉智昭の店「ラーメン なかむら」という店があったので余り期待せず入った。ワイキキで博多豚骨ラーメンや味噌ラーメンが食べられるとは思わなかったが、これがまあまあいける。

こうして、ホテルに帰り、15:30頃ピックアップされ、ホノルル空港に着く。現地を6月6日18:30頃飛び立ち、夕食、軽食を取り、日本時間6月7日21:45頃、羽田空港に着いた。ハワイと気候が一変し、日本は梅雨入りしていた。23:10羽田国際空港発のリムジンバスで自宅近傍の駅口まで行く。娘に車で迎えに来てもらい、自宅に着いたのは24:40頃。本当に、羽田空港を使うと、帰国したときも便利である。

プライベート旅行ながらも、なかなか良い経験ができた。やはり、公私を問わず、時々は海外に出て、違った環境で育まれた文化、仕組みを肌で感じるのも良い。

 

「WOOD JOB! ウッジョブ! ~神去なあなあ日常~」を観て

2014年5月10日からロードショウが始まる谷口史靖監督・脚本「WOOD JOB! ウッジョブ!~神去なあなあ日常~」を、4月28日に六本木ヒルズのTOHOシネマズであった試写会で観た。三重・津市美杉町がロケ地である。う~ん、良い映画であった。

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書評「統計学が最強の学問である」

最近、「ビッグデータ」がバズワードなっている関係で「統計学」にも注目が集まっている。そうした中で、話題になっている本書「統計学は最強の学問である、西内 啓、ダイヤモンド社、2013/1/25」を遅ればせながら読んでみた。小生が購入した本は2014年1月16日第13刷版であった。わずか1年で第13刷とはすごい。本の帯には「30万部突破!!」と書かれている。印税が10%として、4,800万円である。統計学の本で家が建つ。すごい!!

統計(学)そのものをテーマにした本を読むのは久しぶりである。統計(学)と、「学」を( )書きで書いたのは、「学」と云うほどの理論をきちんと書いたものではなく、統計(学)のキュレーション的な効能書きといった感がするからである。あるいは、簡便な統計(学)のレビューという感じである。

若い頃に学んだ統計学の世界と現在の統計学との違いを垣間知ることができる。実務で使った統計手法の位置づけを再整理してくれる。少し統計学あるいは統計手法を触った方には、改めて統計(学)の全体をざっと見直すには良い本だと思う。

まず、「統計家」なる職種が存在することを知った。おそらく従前は「統計屋」「統計士」であったと思われるが、統計を扱う職種の地位を高めたい表現なのだろうと推察される。翻って、小生の元々の出自の世界では、いまだ自他とも「土木屋」で、「土木家」とはついど聞いたことがない。

本書のタイトルとなっている「最強の学問」という表現も、肩に力が入っているなあという感じがする。恐らく、これぐらい強く訴えなければ、統計家の社会的存在が上がらないので、そういう表現にしたと推察されるが、その意味では一般社会だけでなく、統計家にとっても啓蒙書なのではと理解できる。

そうした意味とは別に、確かに、訳の分からない理屈(多くは屁理屈)や感情、声の大きさで物事が決まる俗事を、統計処理した有意なデータで事実(関係)をみせて判断を促すことは極めて説得力を持つ、という意味では「最強」なのかもしれない。しかし、現在の日本ではそれでも事実以外のところで物事が決まることが多い。「データ」が「情報」あるいは「インテリジェンス」まで昇華されていない。活用されていない。つまりは、リスペクトされていない。

本書は全体を通じて著者の(啓蒙家としての)思いを強く感じる。全体に平易に書こうとしているが、一方で当然分かっているだろうという書きぶりもある。例えば、いきなり「ランダム化」と言われても、統計手法・データを実際に扱った経験のない方には、それがどういうことか、どうすれば「ランダム化」できるのか、理解するのは難しい。その説明はかなり「ランダム化」に絡んだ話が進んだ後に出てくる。そして、最後に、単に、Excelで RAND() を使えばできますよ、と言われても、悩む読者は少なくないのではと思われる。逆に、「ランダム化」と言われて、その意味・方法が頭に浮かぶ人は、本書のレベルでは物足りないと思われる。

統計学の使われる分野についても、6つに分類して俯瞰的に説明され、それはそれで意義あることであるが、著者の出自の生物統計学に軸足を置いた説明で、他分野の方から見たら、ちょっと違うなと感じる方が多いだろうと思われる。ましてや、理工学分野における統計学(工業統計学等)について全く触れられていないのは、「ものづくり」を標榜する日本という観点からして、そして工学分野の出身者から見て不思議に思う。分類の仕方が少しおかしいし、一般社会の人に誤解を与えかねない。

統計学の6つの分野 1. 実態把握を行なう社会調査法 2. 原因究明のための疫学・生物統計学 3. 抽象的なものを測定する心理統計学 4. 機械的分類のためのデータマイニング 5. 自然言語処理のためのテキストマイニング 6. 演繹に関心をよせる計量経済学

本書を読んだ最大の収穫は、過去に囓ったいろんな統計手法が「一般化線型モデルgeneralized linear model」で体系化されることを図表25(p.170)で知ったことである。感激もした。感激した意味は、「generalized一般化」という用語についてである。小生が院生時代に交通分野の専門用語(generalized cost)を「一般化費用」と論文で表記し、その後、その用語が定着したことを思い出したためである。

さらに、興味深い記述もある。エビデンス(科学的根拠)の4階層のヒエラルキー(図表56、p.283)について言及している箇所で、「一番下層に属するエビデンスは『専門家の意見』と『基礎実験の結果』である。専門家の意見がエビデンスとして最低限の信頼性しかないというのは今更書くまでもないと思う。」とある。これは、統計家という専門家を含めたことなのか、福島第一原発事故時の原子力専門家の意見なのか、STAP細胞論文疑惑を評する専門家の意見なのか、それとも・・・。今更ながらでも具体例をもって書いて欲しかったところである。

そして、最後に、ヒエラルキーの最高のエビデンスは「メタアナリシス」と「系統的レビュー」であると言う。本書自身が冒頭に書いたように、雑ぱくながら統計(学)の系統的レビューである。すばらしいシナリオ展開で本書が構成されている。本書が売れるわけである。

本書を読んで、次は工業統計家、土木(計画)家の書いた統計学のレビュー書を読みたいと思った。

STAP論文疑惑騒動について

STAP論文疑惑騒動が続いている。論文の筆頭著者(first author)である小保方さんを持ち上げるだけ持ち上げて、疑惑が起きると一転して、持ち上げたことは忘れて、これでもかと先を争ってバッシングしている。彼女の所属している理化学研究所文部科学省所轄の独立行政法人)も、一転、組織防衛に入っている。既視感のある光景が繰り返されている。若き研究者の学者生命はつきようとしている。

▼Nature 505,641–647 (30 January 2014) | doi:10.1038/nature12968

Stimulus-triggered fate conversion of somatic cells into pluripotency Haruko Obokata , Teruhiko Wakayama , Yoshiki Sasai , Koji Kojima , Martin P. Vacanti , Hitoshi Niwa , Masayuki Yamato & Charles A. Vacanti ◇全文PDFはこちら

▼【小保方さん騒動】マスコミの「女性」利用がひと目でわかる、ねつ造疑惑前後の各社の見出しまとめ、BLOGOS、2014年03月20日 20:50

▼小保方晴子のSTAP細胞論文の疑惑

▼研究論文(STAP細胞)に関する情報等について、理化学研究所、2014年3月27日

▼STAP細胞の問題はどうして起きたのか、SYNODOS、2014.03.28 Fri

STAP論文疑惑騒動には、現在の大学・研究機関、研究者・教育者を取り巻く構造的な問題が露わになっている。

まず、大学等の予算が漸減され、競争的外部資金の獲得が組織や研究者の評価を左右する時代に移行し、特許出願・取得、著名雑誌への論文投稿、産学連携・ビジネス化に成果を上げることが過度に要求されている。一般的には、ビジネスに一番縁遠い人々が研究者・教育者になっているのにそうしたビジネス的なことを要求され、一番困惑しているのは研究者自身ではなかろうか。また、それを補うために、国立大学法人化した際に、研究・教育と経営を分離した組織形態にしたが実際の運営は意図したようにはなっていないのではと推察される。

STAP細胞の存在そのものの真贋と、論文作成上の疑惑とは切り離して考えるべきである。STAP細胞は従来の常識を覆す歴史的発見ともいわれており、現時点では論文が主張するSTAP細胞の再現及び存在確認ができていないが、一方で誰もそれを否定し切れてもいません。歴史的なイノベーションにつながるような発見は、その認知の道も険しいことは過去の歴史が物語っている。小保方さん達が「それでもSTAP細胞は存在している」とつぶやく声を是非聞きたいものである。

論文作成上の疑惑について思い起こすのが、小生の大学院生時代の論文指導を受けた自らの経験である。院生時代に、論文原稿を書いては指導教官に見てもらっていたが、冷たく「言いたいことは分かるが論文になっていない」と突き返され、論文の書き方をさんざん鍛えられたことを思い出しました。その経験は社会人になっていろんな報告書等を書く上でも糧になっている。翻って、現在の大学の指導教官は何かと忙しくて十分指導し切れていないのではと懸念される。

論文、ましてや博士論文はその人の研究者としてのスタートラインに立つものであり、魂がこもっていなくてはいけないはずで、盗用(コピペ)などあり得ない。東日本大震災及び福島第一原発事故以降、専門家の社会的信用が失墜したが、論文という知の体現物までもその価値が失墜するのでしょうか。何とも悲しいことである。

コピペはいまや現代文化とも呼ぶべき事象で、大学の学部生が授業の課題等に対する提出レポートや、就職面談希望会社に登録するエントリーシートを見ればコピペ全盛で、それを見させられる方はいやになる。しかし、それを見抜けない方がおかしい。見抜いて厳しく指導・評価すべきである。ましてや、論文や報告書等において、既往論文等のサーベイは当然に行うべきで、引用もルールに従って適正に行うべきである。これは研究者としての基本的素養であり、そういう躾をきちんと指導者は教育すべきであり、土俵を提供している大学、学会、投稿雑誌等はそうしたルール遵守の徹底とそのための支援をすべきである。

一方で、きちんと指導・支援をせず、結果のみを求めるなら、能力のある人間はより大きな成果が得られる可能性が高い海外に行って勝負した方が良いということになり、人材の流出を招くことになる。

STAP細胞論文の疑惑騒動を奇貨として、改めて、イノベーションを起こすレベルの研究者の育成・支援をどうするか、組織の論理や短期的利益に左右されない研究者魂をもった研究者の育成・処遇をどうするか、今一度、考え直しても良いのではないか。大学、研究機関等は、短期的な経済効率性だけではない基準が必要なのではなかろうか。

いまだに事実データが後出しされたり、自己処理トラブルが頻発している福島第一原発のその後の報道と、今回のSTAP論文のつきぬ疑惑報道に接していると、日本の専門家、技術者、研究者の良心、矜持はどうなったのか、ある意味の日本の知の溶融を感じ、むなしい。日本の知のレベルを維持するだけでなく、新たな知が励起し続ける仕組みの創発に向けて考えてみたい。

雪かきコミュニケーションから住宅・土地問題あれこれ

2週続けて、週末に大雪になった。おかげで毎週末、スコップを持って雪かきに追われた。家の前、通りのあちこちで人が出て雪かきをするという、普段見慣れない光景が出現する。なんとなく、声を掛け合う雪かきコミュニケーションも発生する。筋肉痛にも見舞われる。

以下の写真は、雪かきして2日後の写真である。

雪かきをしている人の高齢化、構造力学を余り考えず設置して雪の重みでつぶれた駐車場の屋根、雪かきがされない共同住宅の前の通り、側溝がなく雪溶け水の行き場がない道等々を眺めながら、何とはなしに住宅問題、土地問題に想いが馳せる。

最近、自宅の廻りを見ていると、定年退職を機に改築にとどまらず、何故か立て替えをしている家が少なからずある。長年、節税対策で農地があったところに、相続税対策と思われるアパートやマンションが次々に建てられている。市街化調整区域内農地にも農業用とは思えない建物(一般住宅)があちこちに建つ。

さら、公共事業に並ぶ景気対策の柱として、「ふらっと35」をはじめ、頭金ゼロ・長期固定超低金利の新築持ち家奨励の金融政策、税政優遇措置がとられる。こうして、総人口、総世帯数が減少するなかで、いまだ新設住宅着工件数は年間80万戸を超えている。

わが国は、既に、昭和48年にはすべての都道府県において住宅数が世帯数を上回っている。そして、空き家率(総住宅数に占める空き家の割合)は一貫して上昇を続け、平成20年には13.1%(757万戸)となっている。もはや、新設住宅を優遇する時代ではない。中山間地を中心に農地の耕作放棄地も増加している。耕作放棄された面積は平成17年の農林業センサスによると、全国で38.6万haに達している。これは埼玉県の面積に相当する。新規埋め立てなどする時代ではない。

一方で、雪かきさえままならない超高齢社会が進展し、独居高齢世帯の大宗化や、要介護者・認知症者が増加している。要介護高齢者は2025年に702万人、認知症高齢者は2025年に553万人(いずれも、認知症・要介護高齢者の将来推計、エイジング総合研究センターより)と推計されている。家族の介護・看護を理由とした離退職者数は年間10万人を超えると言われている。時代構造の変化・進展に仕組みが追いついていない。

出典:高齢者等の安心な住まいについて、平成26年2月、衆議院調査局国土交通調査室

グローバルな都市間競争を意識した都市づくり、健常者を前提とした従来型の都市づくり・まちづくりと、今後の大宗となる高齢者を中心とする住まう人の暮らし方を意識したまちづくりや住宅は発想の根本が異なる。成熟化した日本の「成長」とは何か。内需型の公共事業や住宅建設に依存するだけは将来がない。「成長」の意味そのものをイノベーションすべき時期に来ているのではなかろうか。