成功ルールが変わる! カラオケ資本主義を超えて

成功ルールが変わる!―「カラオケ資本主義」を越えてJonas Ridderstrale、Kjell A Nordstrom 中山ゆーじん訳KARAOKE CAPITARLISM Management for Mankind」、2004年10月1日第1版第1刷発行、PHP研究所

本著は、スウェーデン人の経済学者が「考えること自体を勧めること」、「この時代に最も有効な武器、つまり知識で武装させること」を目的として、「生活の様々な領域に現れた変化をつなぎ合わた」本である。従って、分裂症的な展開、すなわちWEBサーフィンをしているような感じがする本である。

最初はファンキーな感じがするが、「変化は、技術、社会制度、価値観の三つの力が加わって生成される」というその構成は社会システム論的見方に基づくものであり、至極真っ当である。加えて、内容的には極めて示唆に富む。なるほど、現在はこういう時代なんだと気づかされる。

著者によると、原題の「KARAOKE CAPITARLISM Management for Mankind」は、「大勢の人を惹きつけようと意識してマイクを握り、声を張り上げる準備のできている人のために書かれた」ことに由来するとのことである。

そして、「カラオケボックスとは、そもそも誰かになるための場、つまり模倣するための場である。我々(個人)はコピーするか、想像するかのどちらかだ。ビジネスの世界では、模倣を推進する言い回しさえも存在する。”ベンチマーキング”と”ベストプラクティス”だ。目標とする企業を模倣するだけではトップに到達できない。革新者は模倣しない。ルールに従うことは、人生を模倣することにすぎない。想像力を持つことと本物であることで、我々はステージの上に立つことができる。未来は最前線で戦う人の手の中にある」と言う。「ベンチマーキング」や「ベストプラクティス」の議論を真剣にしている多くの革新的ではない企業経営層にとっては耳の痛い論であろう。

さらに、「人が正確な情報にアクセスすると、何をするか。様々なことを考え、質問をし始める。独裁者が情報源を管理下に置こうとするのはまさにこのためだ」。従って、「これから最も重要なことは、情報を理解・利用する能力を持っているか否かである。情報の氾濫は、情報の意味を理解する者が財源を持っている者と協力して、新しいエリート集団を作ることを可能にする。権力は、情報をコントロールしてきた者から、知識をコントロールする者に移ったのである。この何れの集団にも属さない人は、これからも取り残される。未来は、個人の制度改革者の手にある。権力はルールを信奉する者からルールを壊す者、そしてルールを作り替える者へとシフトしている」と刺激的に語る。確かに、時代の変わり目に、旧来のルールを守ることは時代と共に消滅することは自明である。

現在は、需要に対して「供給過多の時代」であり、「個人と市場経済がこの世界を支配している。いまや、我々の一人ひとりがソリストなのだ」、「この世界に残った唯一の主義は”個人主義”となった。個人主義には限界がない。個人主義は、どんなわがままも正当化する」と著者は言う。

この「個人を中心とした世界の前兆」が「孤独」であり、「家族のサイズが変化し、もはや、家族というものが生活を考える上での基準になっていないことは確かだ。家族の崩壊、個人化、そして孤独が新しい現実となった」と鋭い観察眼を示す。日本においてもこれからの家族形態の太宗は単独世帯”(独居高齢者・独居独身者世帯等)である。なお、アメリカではこれを「一人でボーリングする現象」と呼ぶらしい。この「孤独」から抜け出るために人は「グローバルに自分と同じ種類の人間を探して共同体を作り上げようとする」。「孤独」が今後の重要なキーワードとなることを覚えておくべきである。

そして、「市場は効率の高いものと低いものとをふるいにかける。市場の本質はまさにこれだ。市場は効率を認識できる。しかし、それだけしか識別できない。カラオケ資本主義の世界では、国家や社会のレベルでも、市場の力が支配権を握っている」と言う。

著者の基底に流れる考え方は、「アブノーマルは新しいノーマルだ」というものである。つまり、これまで、「西側世界のプロジェクトは中流階級を生み出すことに主眼を置いていた」(ノーマル)。中流階級=マス市場であり、故に規格化、平均値(像)が意味を持っていたが、「再び、自然淘汰の原理が世界を支配するようになった」結果、「二重経済」「二極化」つまり中流階級層なき格差社会になってきているが、著者はこの状態こそが新しい時代の「ノーマル」と言う。象徴的に「道の真ん中に立つもの、つまり(過去のノーマルであった)平均値的人物は、現在の独占者が乗っている車にひかれてしまう」と比喩しているが言い得て妙である。

この中流階級層=マス市場の消滅はマーケティングに一大変革を迫るものである。格差社会の進行の本質的な背景がここにある。とすれば、“格差をなくす”という時代の流れに抗するのではなく、“格差”を前提にした各種の対応が不可避となる。

これは、地球環境/自然環境についても言える。これまで比較的地球環境は安定していたが本来地球環境は厳しいもので、これまでの安定がアブノーマルであったのである。人は安定状態がたまたま続くとそれをノーマルと考えるが、事象的には安定状態というのは極めて特異(アブノーマル)な状態である。

さらに、「今日では、人にもスキルにも賞味期限がある」。一方で「ドラッカーが指摘したように、人は人類史上初めて、自分たちが働いている組織よりも長生きできるようになる。結婚生活と同様に、企業の寿命は一日単位、分単位、そして秒単位で短くなっている」という。このため、「現在のコスモクラット(アメリカでMBAを取り、自国語より英語で話し、自国民より海外の同じ階層と人と交流がある)は、もっと働くために家庭をアウトソーシングしている。知識は非常に早く価値を失うので、新しいエリートは24時間働かなくてはならない」。そして、「資本はあふれている。資金過剰は価格低下につながる。資本の価格は金利と呼ばれるが、世界のほとんどの地域で金利は劇的に下がっている。今日、もっとも不足している資源はカネではなく想像力だ。個人にとって、成功する見込みのある唯一の戦略は“希少な資源”になることだ」。新しい時代は、かなりつらい時代になりそうだ。

ところで、「コア・コンピタンス(核となる能力)は、物事を実際に進展させる少数の人間だ。才能のある人は歩く専売品。アメリカでは、1,600万人のフリーランス、300万人のフリーター1,300万人の個人企業経営者がいる。これは公的セクターに所属している人よりも多い」と紹介し、著者はこのような人を「ゴールドカラー」と称している。ブルーカラー、ホワイトカラーと来て、ついに「ゴールドカラー」である。これをヒントに“シルバーカラー”(働くシニア層)と言う言葉を思いついた。日本にも、“組織”ではなく、“個人”であるゴールドカラー、シルバーカラーが存在感を示す状況を早くみたいものだ。

この「ゴールドカラー」に「企業は言い値を払う」一方で、“普通の人”は「グローバル市場では世界にひょっとして何十億人もいて、企業は格安で雇い入れる」ことになる。要するに、グローバル市場レベルで「有能な者(ゴールドカラー)」は選択の自由を謳歌し、そうでない「普通の者」はグローバル市場レベルで選択されるということだ。そしてこのゴールドカラーの頭脳が組織の盛衰を左右するということだ。

著者は現在の「顧客による支配という大変動の原動力を理解するには三つ定理の組み合わせに注目すべき」という。次の三つである。

1.ムーアの定理:18ヶ月毎にチップの集積度は倍になる(これに応じてコンピューティングパワーも倍になる)が、コストは変わらない。

2.メトカーフの定理:ネットワークの価値はそれを使う人数の二乗に比例する。

3.コースの定理:企業は取引コストの最小化において、市場に勝っている場合にのみ存続しうる。

そして、一般に言われる「企業の価値は将来に得られる利益で決まる」ということは、「実際の利益を上げることではなく、将来の期待(利益)を上げることがもっとも企業価値上昇につながる」ということであり、これがバブルの本質でもある。ベンチャー企業IPO時の株価はまさにこの期待収益の反映であり、実績があるわけではない。

そして、「顧客が支配権を握り団結」し、「商品やサービスの開発に最も重要な武器を握っている才能のある人材(コア・コンピタンス)は代理人を立てる」ようになるので、「どの業界もどの企業も平均収益率は低下する」ことになる。そこで、著者は「組織がこれから生き残るためには、有能な個人を活用し、顧客創造を実現する術を身につけなければならない」という。

ところで、このコアコンピタンスのある有能な人材、すなわち本来の意味での“タレント”は既存の組織では収まりきるとは思えない。彼らは既往の組織から独立すべきで、その仲介役としてエージェントが必要となる。スポーツ界やエンターテイメント界でおきていることがビジネス界でも起きうるということである。ビジネス界の“吉本”が今求められている。

さらに、「企業が使ってる計測システムは、本来、株主や税務署のために開発されたものである。企業は予防薬を使う変わりに、あまりにも頻繁に、命の火が消えたビジネスの死体解剖をしている。原材料や資本ではなく、知性や無形資産によって競争優位を獲得すべきこの時代に、弁護士ではなく会計専門家に相談する経営者がいるのは何とも皮肉なことである」という著者の指摘は実に鋭い。まさにその通りの企業がいかに多いことか。

そして、「組織構造において重要なのは、複雑さではなく明確さだ。マトリックス(組織)は経営者の頭の中にあるべきもの」で、「改革のための構造は、四つのカテゴリーから構成される企業の“知恵の網”の特徴に依拠する」という。


カテゴリー   推進力       結 果


空  間    国際化        分散と集中(ホットスポット

領  域    ハイフネーション   多様性

ス キ ル    教育          深さ

スピード    競争          耐久性(賞味期限の短縮化)


著者の言う「 hyphenation ハイフネーション」は既存のものを新しい方法で組み合わせることで、要するに、組み合わせ、ハイブリッド化、連携・協働化である。

この「智恵の網とハイパーモダンな組織構造を築くことを先延ばし」にしていると、「未来を切り拓くどころか過去の存在になってしまう可能性が劇的に高くなる」。「死んでいる馬に乗っていることが分かったら、一番良いのは、その馬から下りることだ」と著者は指摘する。

いまや、「組織が有能な人間を選ぶのではなく、才能のある人間が組織を選ぶ」のであり、「有能な人材に企業に参加してもらい、彼らのスキルから利益を得る」ためには次のことが必要である。

1.語るべきストーリーがあること

   ※ストーリーは情報を感情に翻訳する(“至言である”)

2.個性を際だたせることで、才能を確実に浸透させること

3.相補的な才能を持つ人材を組み合わせること

そして、創造的企業は、次のものを必要とすると指摘している。

1.共通認識

2.はっきりしたアイデンティティ

3.行動を形づける動機

この共通認識とは、別の言葉で言えば“御旗の錦”“理念”“ビジョン”“価値観”であろう。「優れた企業、リーダー、そして起業家は単純で説得力のあるビジョンを通して、問題に思考を集中させる」ことができる。そして、「人は組織に属することを好む。ビジョンやストーリーなどのツールを駆使した有機的共同体の構築は今後益々注目されるはずだ」という。

さらに、「創造的であろうとする未来の社会組織は、なんであれ信用の定理に基づかなければならない。協力は信用を必要とする。信用は契約や監視にかかる費用を削減する。人が誰を信用するかを決める際に重視する三点は、能力、心遣い、人柄である。信用を高める者は成功する。信用を築けない者は消え去る」。結局は“人”次第ということである。

ところで、著者は「独占権」に非常に注目している。「そもそも企業というものは、一貫して創造的に競争を破壊しようという単純な理由で存在している。破壊的競争を避けるために、成功している企業家は、創造的破壊を実践している。この創造的破壊の連続こそが、市場経済における企業の成長と発展を確保する一時的な独占権に結びつくのだ。こうした一時的な独占権の背後には、常に革新が発見される。見えざるもの、未知のものには競争相手はいない。富の創造は、ニーズを持った数多くの顧客と、同じような商品やサービスを提供する競争相手がいないことを必要とする」。

さらに、ダーウィンが「種の起源」の12年後に著した「人類の起源」の「進化は結局、もっとも適応したものと最もセクシーなものの生き残りによって説明できる」ことにも着目している。すなわち、「過剰供給と感情が世界を支配するとき、企業の成功は顧客に対する求愛行動に左右される」と。これは新しい見方である。

この二つの着目点から、次のような論理を展開する。「革新とは常に、不完全さを創造し、利用することである。それが独占権である。カラオケ資本主義では、企業が持続的な競争優位を確保する方法はたった二つしかない。市場(供給サイド)の不完全さか、人間(需要サイド)の不完全さを利用するしかない。

“供給サイドの革新”とは、ユニークなビジネスモデルを創造することで“合理的革新”を実現することで、それは二重経済低所得者層に向けられることが多い。モデルで競争する企業は、価値を創造するネットワークをデザインするか、もしくはその一部分を形成する。異常なほど情報が溢れている市場を持つ世界では、モデルが適している。

“需要サイドの革新”とは、顧客を惹きつけ中毒にしてしまうムードを創造する“感情的革新”を実現することであり、高所得者層の中にある差を最大限に利用することが多い。ムードで競争する企業は“経験”を提供する。個人の選択の時代ではムードがセクシーである。」

供給サイドの「現在のビジネスモデルをつくるには、次の四つの質問に対して創造的に考えることが必要であり、この答えが競争力のあるビジネスモデルの基本要素となる」という。

1.どんな顧客のために、何がしたいのか ⇒ 顧客価値提案

   ※個人や組織がカネを出しても欲しいと思う利点についての仮説

2.独自にできることの中で、世界に通用するレベルのものは何か ⇒ コアコンピタンス

   ※タイプ1:“コンセプト”によりネットワークをまとめ上げる企業

    タイプ2:“顧客”と信用関係を築く企業

    タイプ3:他社の能力を補う独自の専門“能力”を有する企業

3.世界に通用するパートナーが、自分たちよりもうまくできることは何か ⇒ 補足的な能力

                    

4.どんな成長の可能性があり、それはどこにあるのか ⇒ 将来への重要なオプション                    

ところで、事例として紹介されているデルの「ダイレクト・モデルは顧客のニーズに応じてパーツを調達するブローカーとして機能」しているが、「デルは、顧客に制限のない選択権を与えているわけではない。デルは一つの選択につき、オプションの数を制限し、そうすることでカスタマイズを管理する」と指摘している。なるほどそういう仕組みであったかと納得する。

需要サイドについて、「ムードが感情を支配する世界では、感情を理解することがビジネスの中心課題になる。企業の成功は、人間が合理的な生き物であるという考え方を捨てられるどうかにかかっている。デザインはこうした企業が競争に勝つための新しい武器である。感情が常に優先される。人は理屈っぽく系統的に考えるよりも、物語風に考える。感情は行動につながるが、理性は結論しか生み出さない」。

そして、「人は、考えることをしない。感じるだけだ。人が商品やサービスを買うときには、三つの理由(実用的理由、社会的理由、感情的理由)がある」という。

ところで、「人類がいつの時代でも持っている五つの夢は、

1.永遠の命

2.永遠の若さ

3.永遠の富

4.永遠の精力

5.永遠の幸福

である。読者諸氏が受け取るジャンクメールの99.9%は、この五つのカテゴリーのどれかに分類できる。夢を中心に置いた競争は、夢に対して夢を与えるのだ」と言っているが、確かにうなずくばかりである。「夢に対して夢を売る」、慧眼である。

さらにたたみ掛けるように、「医学の専門家は、人々は喜びを得るよりも、痛みを取り除く方に関心がある。同様にビジネスでは、我々はリスクを負うことより、損失を避けるためにリスクを負う。従って、ムード戦略もネガティブな感覚を減らすことに集中すればよい。ムードの管理とは、顧客を惹きつけるか、癒しを与えるかという問題である」。事実、「6世紀にローマ法王グレゴリウスが定義した“七つの大罪(高慢、嫉妬、大食、肉欲、憤怒、強欲、怠惰)”の一つ一つを非常に成功している企業が取り巻いている」と指摘する。人間の“業”を感じざるを得ない。

“業”といえば、人間の“帰属性”もそうであろう。「人間は不確実性を嫌う。我々は確実性を愛するが故にブランドの導きを求める。ブランドは“個性を表現しつつ、どこかに帰属していたい”という買い手の分裂した望みに対して売り手が出した解答である。ブランドは“考える必要はない。ただ行動せよ”と言ってくれる。ブランドは人を惹きつけ、そして癒しを与える」。なるほど、ブランドに対する見方が変わる指摘である。

要するに、これからの企業は、時代に適応するビジネスモデルに常に革新しつつ、かつセクシーでなければならない。価値創造のネットワークづくりに知的リーダーシップを発揮し、常に優れた顧客体験を創造し続けない限り未来はない、ということであろう。しかも「バランスを取るのではなく、モデルとセクシーさの両方を推進すべき」点がミソである。

最後に改めて、著者は「模倣を受け入れてはならない。限界を受け受け入れてはならない。自分の人生だ。自分が自分の人生を決めるべきだ。自分の権利のために立ち上げれ。自分の責任を引き受けるのだ。成功している地域、企業、個人は皆、誰かの二級品になるより、自分の一級品になる方が常によいことを知っている」。

こうした著者の鼓舞に応える個人を輩出するには、自分の人生を会社等に委ねることから脱却し自律することから始まる。そうしたことが可能となる社会的仕組みの構築が急がれる。