梅雨の合間に観る山陰のまちづくり・まち興し

台風2号の影響がなくなった直後の2023年6月4日(日)~6月6日(火)、二泊三日のツアー(飛行機、バス)で山陰を旅した。コロナ禍になって以降の初めての旅である。ツアーの組み方、利用客の構成、散策したまちの歴史・文化等あるものを活かし、無いなら創る、創るなら徹底して造るという「まちづくり・まちおこし」に気付かされ、「観光」のもつ地域創生への影響力を体感した旅であった。

山陰地方は若い頃、中国四県を各1泊しつつ電車でヒアリングして廻った出張以来数十年ぶりである。今回は、プライベートで、添乗員付き・食事付き(7回分)のバスツアー。費用を抑えるために、ANA利用の羽田空港始発・岡山桃太郎空港経由、中国山地超え(ランドブリッジ)での鳥取・島根のビジネスホテル泊となっている。帰りも、中国山地超えのANAによる岡山桃太郎空港発最終便での羽田空港行きとなっている。

コロナ禍対策の一環で、鳥取県島根県の「全国旅行支援補助金」が各5千円づつ計1万円あり、申込時からその分が差し引かれている。そして、現地では、各県内でのみ利用できる「地域共通クーポン」2千円分、2県併せ4千円分が配布される。要するに、一人14,000円の税金還付(補助金の原資は税金)という次第。現金給付して貯蓄に回るよりも、輸送業界、観光業界を通じての産業連関波及を考えるとこうした対策は「コロナ禍明け」には良いかもしれない。

県で異なる地域共通クーポン

ツアー団体は総勢46名(移動で利用するバスが満席)で、その構成は、男性一人旅客5名、女性一人旅客11名、残り30名が二人組客15組ということで、一人旅の方が結構いる。これは、宿泊がビジネスホテルという一人客を想定していることによるのかもしれない。独居高齢者が中心をなす今後においては標準仕様なのかもしれない。改めて、時代を感じる。

第1日目(日) 中国山地超えで倉吉・白兎神社・鳥取砂丘

04:00、気温14℃の夜明け間近に自宅を出て、04:30に予約していた羽田空港行きのリムジンバスで最寄り駅の東口を出発。このバスの予約は前日に、「発車オーライネット」を使用したが、このシステムのユーザビリティが非常に悪く、途中で頓挫しそうになった。

05:40にリムジンバスが羽田空港第2ターミナルに着く。早朝の日曜日と云うこともあって渋滞もなく、予定時間より5分ほど早い到着である。もう一便遅らせても良かったが、途中のリスクを考えると仕方ない。既に多くの団体ツアー客が屯している。程なくして、6:15分すぎに添乗員から航空チケットを受け取り、チェックイン。
7:55に羽田空港を出発し、岡山桃太郎空港に向かう。機材はB767-300、ほぼ満員。

9:10、岡山桃太郎空港に到着。意外とターミナルのロビーや駐車場が狭い。ここからは観光バスで山陰に向けて移動。09:37、空港を出発し、岡山自動車道中国自動車道米子自動車道を経由して、11:15 蒜山高原ヒルゼン高原センター・ジョイフルパークのレストランで昼食がてらの休憩。ここはまだ岡山市真庭市であるが既に遠くに大山が見える。12:10、昼食と休憩を終えて、倉吉に向けて出発。

12:50、倉吉市に到着。倉吉市鳥取県のほぼ中央に位置し、古代には伯耆国国府のあった場所。室町時代には打吹山に城が築かれ城下町に、そして江戸時代は鳥取藩の家老荒尾氏の陣屋町となり、江戸後期から大正時代まで木綿と稲扱千歯で繁栄したとのこと。大きな家屋で草木染めの店があったのはその名残かもしれない。当時の水路を残しつつ、市内最古の町家(倉吉淀屋)を市として保存整備したり、建物群をリノベーションして店舗等に活用しながら保存し、「倉吉市打吹玉川伝統的構造物群保存地区」として「まち中」が整備されている。生活の息吹を感じつつも、歴史的な空間を感じられるのが良い。第53代横綱琴櫻の出身地であり、記念館もあった。14:00にここを出発し、日本海をめざす。

白壁土蔵群まち歩きMAP

14:45、日本海が面している「白兎神社」に立ち寄る。白兎神社は「日本最古の書物『古事記』の一節である神話「因幡の白兎」に登場する白兎神が祀られる事から、日本医療発祥、また大国主命と八上姫との縁を取りもたれた日本最古の恋物語の地として知られる」とのこと。30分ほど散策して、15:15、鳥取砂丘に向けて出発。

15:40、鳥取砂丘センターに到着。センターで、靴の上から履くビニール製の砂カバーを購入(1足分100円)して履いてから、観光リフトに乗って砂丘の端まで行く。そこからいよいよ砂丘を登っていく。海に近づくに連れ、砂丘が急になり、結構、疲れる。砂丘の頂に到達して日本海そして砂丘全体を眺める。いい気持ちである。往復約40分程で帰ってきて、砂カバーを脱ぐと、覆われていたズボンの裾が汗でびっしょりと濡れていた。人の肌は全身どこでも呼吸していることを実感する。

これで、若い頃に仕事(JICA調査団の一員)でいったエジプトで「砂漠」を観て、チリで「土漠」を観て、そして今回、日本の「砂丘」を観たことになる。なかなかできない経験である。

センターで夕食を取り、18:00にセンターを出て、ホテルに向かう。

18:15、宿泊するビジネスホテルに着く。鳥取駅に近いので、まち中の散策に出かける。途中で、鳥取県電子観光クーポンの一部を試しに使う。急遽、スマホで紙配付のQRコードを読み込み、電子クーポンを受け取り、利用の仕方を店員の方に教えてもらいながら処理する。クーポンの受け取り方は説明してあるが、受け取れたことの確認方法、受け取ったクーポンを利用する際の方法の説明がない。これもまた、利用者の立場に立っていない仕組み・システム仕様である。

【1日の歩数 17,000歩】

第2日目 出雲の国へ 米子城レプリカ・松江城・出雲神社

06:30、ホテルで朝食(ビュッフェ)をとり、08:15にホテルを出発する。途中、米子市にある米子城天守閣を模したお菓子屋さんの製造販売場所の「お菓子の壽城」に立ち寄り休憩する。何もないところに、民間人が投資をして、観光資源になることを目指して建てたとのこと。石垣の一部を旧米子城より移築するなど、なかなかできることではない。立派な「城」である。最上階の展望台から大山等を眺める。10:10、ここを出発して、「本物」の松江城に向かう。

10:50、松江城の大手門に到着。ここから城内に入り、松江城・天守閣[慶長16年(1611年)築]に歩いて行き、登る。さすが、現存する3つの天守閣の内の一つであり、国宝だけのことはある。400年余前の建築資材、木組み、更には掛け接ぎ等の修理の後がみられ、寺社の繊細優雅さとは異なる軍事施設としての城の質実剛健な雰囲気がよく残されている。建物内の暗さもよく分かる。昔の人は足裏、眼、耳等の感覚が優れていたのではなかろうか。急な階段は滑り落ちないように、やや内側に傾けて踏み板が設置されているが、昇り降りをする体力も必要であったと推察される。本物をいつまでも残して欲しい。小泉八雲の旧居を覗き、集合場所に行く。

松江城

12:20、城外の近くにある地ビール館に集まってバスに乗り、昼食を取る玉造温泉国際ホテルに向かう。このホテルは宍道湖に面して建てられていて、ハワイのリゾートホテルのような雰囲気を感じる。昼食を終え、13:30、出雲大社に向け出発する。

14:20、出雲大社に到着。「出雲大社(いづもおおやしろ)は、古事記にその創建の由縁が記されているほどの古社で、明治時代初期まで杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれ、主祭神はだいこく様として馴染みの深い『大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)』。国歌にでてきる「さざれ石」、NHKのテレビの最初と最後に映し出されていた「国旗」をリアルに観る。

現在の本殿(国宝)は延享元年(1744)造営されたもので高さは約24mであるが出雲大社の社伝によれば、太古の時代、出雲大社本殿の高さは現在の4倍、約96mあったということである。2000年に本殿の南側で鎌倉初期の造営と推定される三本一組の巨大な柱根が発掘され、巨大な神殿の存在を裏付ける発見」となり、大林組により検証され、その構造物のイメージが再現されている。いずれも、隣接する島根県立古代出雲歴史博物館に展示されている。

16:20、出雲大社を発ち、近くにある食事場所の「島根ワイナリー」でワインを試飲後、夕食を取る。17:50にホテルに向け、出発。

18:50、宿泊する松江駅近傍のビジネスホテルに到着。ホテルで「regionアプリ」をダウンロードして、「しまねっこペイ」にチャージしてから、駅前の散策に出る。駅ナカの店で「しまねっこペイ」を全額分、使用する。

【1日の歩数 14,000歩】

第3日目 庭めぐり(足立美術館・由志園)と妖怪めぐり

06:00、ホテルで朝食(ビュッフェ)をとり、08:15出発し、足立美術館に向かう。

08:50、足立美術館に到着。話に聞いていた日本一の庭園(枯山水)を観る。たしかに美しい。庭の手入れの大変さがわかる。しかし、庭だけではなく、横山大観のコレクションでも有名とのことである。日本画と調和する日本庭園と云うことを知り、大磯町の旧陸奥宗光邸(現 明治記念大磯邸園)の庭の石に横山大観が座って描いた滝の絵の掛け軸が床の間に飾っていたという話を思い出した。日本画と日本庭園とは日本人の美意識に合うのかもしれない。この足立美術館は一民間人が苦労して財を成した後、郷土への恩返しと島根県の文化発展の一助になればという思いで、財団法人足立美術館を創設したとのこと。現在の成功者によるこうした話はあまり聞かない。10:55、足立美術館を立ち、昼食場所に向かう。

11:35、昼食を取る「由志園」に到着。ここは、「まちの駅」として登録しているボタンと雲州人参の里として売り出している場所である。ここも、何もない島「大根島」を観光名所にしようと一民間人が生涯をかけ、観光の目玉となる日本庭園を造ったとのこと。足立美術館とはまた違ったテイストの日本庭園で、敷地下の溶岩を抜いて掘って汲み上げている豊富な地下水を利用して、滝や宍道湖・中海を模した池等々、なかなかのものである。そして、今や、日本で行ってみたい庭の20位にまで評価されている。その熱意に頭が下がる。島根県に、庭園ランキング30位以内に5件も入るのはなぜだろうか。13:25分にここを立ち、妖怪の町に向かう。

途中、車のテレビCMの題材に使用され、その急勾配から通称「ベタ踏み坂」として一躍有名になったという「江島大橋」を通る。添乗員から「PC(プレストレストコンクリート)ラーメン橋」と案内され、まさか観光バスの中で、土木の専門用語を聞くとは思ってもいなかったので元土木屋としてはびっくり。

13:40、境港市水木しげるロードに到着。最初は、「妖怪めぐり」なんて思っていたが、水木しげるロードの徹底した創り込みはすごい。若い人も結構、観に来ている。こうした「まちおこし」ができることを思い知らされた。妖怪をテーマに「まちおこし」ができるのは、日本のアニメ文化のお陰であり、世界に誇れる地方創生の方法かもしれない。境港港を出入りするフェリーの船腹にも鬼太郎と妖怪がいた。14:40、妖怪を後に出て、すぐ近くにある日本一大きい鬼太郎像のあるお土産屋「大漁市場なかうら」に立ち寄り、残っていた「鳥取県電子観光クーポン」を使用する。しかし、2千円のクーポンが残っているはずが、1千円分しか登録できておらず、ガックリ。

15:15、ここを出て、すぐ近くにある米子空港ではなく、岡山空港に向かう。途中、高梁SAでの最後の休憩を取り、18:00、岡山空港に到着。ところが、利用する飛行機の到着が遅れ、予定より20分遅れているとのアナウンス。空港内で岡山ラーメンを食べて待つ。

20:20、岡山空港出発。機材はA321。満席。21:40、羽田空港着。既に、自宅最寄り駅行きのリムジンバスの便はなく、モノレール、電車を使い、自宅に着いたのは24:00丁度。

【1日の歩数 15,000歩】

 

久しぶりのバスツアーでの2泊3日の旅、いろいろ気付かされ、コロナ禍後の新たな地平を垣間見た旅であった。今後のまちづくり、地方創生に活かしたい。