秋の海(みなと横浜)と山(天覧山・多峯主山)

みなと横浜

先日(2023年10月20日)、一般社団法人みなと横浜改造市民会議主催の遊覧船上での懇親会に誘われ、久しぶりに横浜の街中を大さん橋・象の鼻桟橋方面に向けて歩いた。

途中の建物の風情に文明開化と大正ロマンの名残を味わいつつ、「横浜開港資料館」に着き、展示物を観て、開港前後の横浜からその後の変遷を知る。展示説明の一文に、「浮世(=社会)絵とは、都市民衆にとって関心の対象となった社会の諸事象を描いた絵である」と書かれていた。まさに、現代の社会は「浮世」の如くであり、得心する。

特別展の「大災害を生き抜いて ー横浜市民の被災体験ー」もあり、これを観て、関東大震災が神奈川県を震源地とし、横浜の街を壊滅させていたことに、防災・リスクマネジメントに関わっていた者として勉強不足を思い知らされた。

資料館を出て、「大桟橋」に着く。構造物的には確かに大桟橋であり、そこから見える光景も「みなと横浜」らしい。大桟橋のターミナルの屋上広場には結婚式の前撮りの写真を取っている撮影チームも3組ほどいた。しかし、海外の港湾都市と違って、なんとなく静かできれいではあるが、活気がないのは、日本の外貿港がアジアのマザーポートでなくなって久しいことの証左なのかもしれない。大型客船の定期航路もなくなって久しいとのこと。

そして、いよいよ会場の「象の鼻桟橋」に係留された遊覧船(Rosa alba)に到着。18:00より、係留されたままの遊覧船を借り切っての懇親会が約60名ほど参加して始まる。「横浜」つながりの多彩な方々が集っている。2時間ほど懇談して、「みなと横浜」を後にする。

久しぶりに外貿港の臨海部の空気を味わい、そこに熱い思いを持つ方々が交流する雰囲気を味わった。

若い頃、日本沿岸域会議(現在の日本沿岸域学会)の立ち上げに先立ち、北米の西海岸のコースタルゾーンを関係者で視察して廻ったこと、スエズ運河のリスクマネジメント計画のために142kmの両端の港湾都市(ポートサイド、スエズ)及び中間にあるオアシス都市(イスマイリア)や、チリ地震の後の復興計画支援の一つとしてバルパライソ港を調査業務で訪れたこと、さらには韓国で開催されたITS世界会議の後に中国の広州・香港、そして台湾を視察したこと等を思い出した。日本の「外貿港」の活気をいかにして取り戻すか、(一社)みなと横浜改造市民会議の活動に期待したい。

天覧山多峯主山

海の空気に触れた2日後(10月22日)、今度は息子一家と一緒に、埼玉県飯能市にある天覧山に登る。登るというほどの山ではないが、孫(4歳、6歳)にとっては山登りであり、ときには手を引きながらサポートするのはそれなりに疲れる。

10:30に飯能駅前で落ち合い、息子たちのクルマで天覧山の登り口まで行く。途中に見えた飯能河原には、子供達が小さい頃、よくバーベキューをしに来たところである。そのころは車で川原まで降りていけたが、いまはマナーが悪くなり禁止されているとのこと。

登り口に隣接している中央公園の駐車場に車を止め、天覧山の山頂(191m)を目指していくが、低い割には意外と坂道の階段が長くかつ階段の段差があり疲れる。天覧山の山頂で休憩した後、多峯主山(とおのすやま)に向かう。一度下って再度登る。ほぼ12時頃に頂上(271m)につく。途中には、すすきも生えており秋の気配を感じる。所々、見晴らしのいいところでは飯能市街はもとより都心も遠くに見える。武蔵の山から、六三四(ムサシ)mの東京スカイツリーが見えた。富士山だけはみえなかった。昼食休憩をして、来た道とは違うコースで下る。

小さい孫達は途中、一度も抱っこすることなく、「おかし休憩」を楽しみに頑張って歩いた。前回の筑波山もそうであったが、子供は日々成長している。負けずにこちらも体力維持をしておかないと、こうした山登りに付き合いきれなくなる。山に漂う秋の気配を感じた一日であった。