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ブロガーの情熱、そして権威の行方

池田信夫著の「ウェブは資本主義を超える」(日経BP社)を読み終えた。この本は「池田信夫ブログ」に掲載した記事を加筆編集したものである。この元になっているブログに最近たまたまアクセスして、それ以来読んでいたが、それをとりまとめた本が出たというのでさっそく買って読んだという次第である。

いずれにしても、中身が濃い。歯切れがよい。従って、物議を醸し、論争批判も少なくない。しかし、事の真偽はともかくとして、よくこれだけの内容のものをほぼ毎日書けるものだと感心するばかりで、その情熱には頭が下がる。1日最大3万ページビュー、1万5000人のユーザー数を誇るだけのことはある。

自らブログを立ち上げ書き始めてわかったが、とても毎日は書けない。週末になんとか書くのが精一杯である。「週末ブロガー」といったところか。この記事だって、3週間ぶりになってしまった。私の周りにも、ほぼ毎日、ブログを書いている「毎日ブロガー」の方がいるがとても真似できない。

数行程度の日記帳的なもの、あるいは単なる感想文的なブログは別にして、その道でのキャリアをバックに内容的信頼度を保持したブログを書き続けるには大変な努力がいる。ところで、こうした努力を持続し、名をなし、他のブロガーをはじめネット世論に影響を与えるパワーブロガーのことを「アルファブロガー」というらしい。

国内において、このアルファブロガーを投票で選出している「アルファブロガー・アワード」なるものがアルファブロガー運営委員会で運営されている。「池田信夫ブログ」も当然ながらアルファブロガーに選出されている。是非、一度このサイトにアクセスして影響力のあるアルファブロガーのブログを覗いて、ネット社会が認めるアルファブロガーのブログの世界がどういうものか感じて欲しい。

しかし、一方で「多くのブロガーは、自分のやっていることを楽しみながらも、鋭くて痛烈で機知に富む意見を定期的に書き込まなければならないというプレッシャーは、往々にして負担になってくる。限界にきて書くのをやめる『燃え尽き症候群』」も少なくないようである。書きたいことを好きなときに書き、好きな人に見てもらい、コメントでのコミュニケーションがとれる間は確かに楽しいと思うが、義務的に感じ始めたらブログの良さがなくなるのは必然である。

ブログはブロガーが書きたいことを書いているので、元々ある意味でマニアックである。マーケティング論に言えば、細分化された市場をターゲットにしていると言える。別の表現をすれば、専門店である。それもややマニアックな。ホームページの多くが公的な組織的な立場での訴求を行う百貨店的位置づけとすると、ブログの多くは私的な個人的立場での訴求を行う専門店的位置づけと言える。商業的なブログポータルは専門店街といったところか。

ブログが登場し始めた頃、客先の若い女性の方が日記を書いて公開していると聞いて、よく日記なんかを公開できるな、と思ったものであるが、いまや日記以上にいろんな主義主張の場、訴求の場となっている。あるいは、社会に「足跡」を残そうとしている。これはすべて会社等の組織としてではなく、個人としてである。かってのサイレント・マジョリティがサイレントから脱する手段をインターネットによって手に入れたということである。

これが何を意味するか。現在の日本の民主主義は、「代議士」という表現に見られるように、いろんな物事を主権者が直接審議するのではなく、議員に委ね、議員が委ねられた民意に沿って代って審議し決定するという間接民主義制をとっている。これは、全員参加型の議論や決定が物理的に難しいことや、時間がかかりすぎること等による。しかし、いまやインターネットを使用した意見表明や投票が極めてローコストにかつスピーディに実施できる時代になっている。しかも、議論すべき事案は種々雑多にあり、マニフェストも不十分な下で、そのすべてについて「代」議員の意志を確認して委ねたわけでもない。また、自治体行政については「住民投票」や「住民訴訟」は法定されているが、国の行政についての「国民投票」や「国民訴訟」は法定されていない。大いなるギャップが存在している。しかも、そのギャップが拡大している。

世論形成、民意の相違の決定に影響力を与えるもの(人、媒体、組織等)を「権威(者)」と称するならば、現在のような時代において権威はどこにあるか。従来型のリアル世界での権威の一つの典型例として、政府等の審議会ないしはその委員が権威者として位置づけられる。一方、バーチャル社会(インターネット上)では、例えばアルファブロガーがそうした権威者に位置づけられる。さらには、圧倒的な露出力でいまだ多大なる影響力を保持するマスコミもまた一種の権威者と言える。なお、学問的権威は学会、ないしは東大を頂点とする大学に、あるいはそこに在する学者個人にあるが、学問的権威者とされる多くの学者は上述の審議会等の委員として名を連ねている。

新たな時代における権威(者)のあり方、ひいては世論形成、民意の総意の決定の仕組みについていまは流動的状態にある。ブログの内容の信頼性、確からしさ、品格の向上等に期待しつつ、新たな時代を方向付ける影響力を有するこうした権威者がどう絡み合い、どう影響し合うか、その結果どういう仕組みができあがってくるか、いましばらく見つめていく必要がある。