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もう一つのCS/ES

最近、日本あるいは日本経済の存在感の低下、閉塞感を憂う声が多い。政・官の世界から将来に備えた「改革」の声が聞かれなくなった。経済の世界も、中国やロシアの存在が圧倒的に高まっている。学の世界においても、将来を担うこどもの学力低下が著しい。銀行の金利も異常な超低金利が続いている。将来を先取りするといわれる日本(企業)の株価が下がっている。社会全体に躍動感がない。国際的に見て、日本社会、日本経済の魅力が薄れている。何とも言えない危機感が漂っているが、だれも動かない。だれもリスク・テイキングしようとしない。

因みに、2006年度国民経済計算確報によると、日本のGDP総額は4兆3,755億ドルとなり、米国に次ぐ2位を維持したが、世界経済に占める割合は9.1%と前年比1.1ポイント低下。そして、日本の1人当たりの国内総生産(名目GDP)は3万4252ドル(1ドル=109円換算で約373万円)となり、経済協力開発機構OECD)加盟国中で18位に後退。(今の基準で算出を開始した1980年以降最低順位)

何故か? その原因の一つとして、最近の組織体の内向き指向がある。縮み指向といっても良いかもしれない。いろんな不祥事が発生し、その対策に追われる。ルールが作られ、それへの対応に追われる。不祥事(事件)、ルールは国内外を問わない。アメリカ企業の粉飾決算事件が日本版SOX法となって日本企業の内部統制強化へとつながる。しかも、日本ではそれが似て非なるものに変質する。

例えば、「日米のSOX法の狙いは、企業に内部統制を義務づけ、企業活動、とりわけ財務報告の透明性と健全性を増し、結果として投資家を保護することにある。狙いはほぼ共通だが、法に込められた考え方にはかなりの差がある。

SOX法は企業や経営トップの暴走を防ぐために作られた面があり、『経営トップを信用せず、詳細な監査を求める』という考えが根底にある。

これに対し、日本版SOX法は、経営トップによるリスク管理の実践を求めている。すなわち、経営トップが重要と思う業務プロセスを選択し、その範囲で内部統制が機能していることを示せばよいことになる。」<出典:NB Online 【第5回】日本版SOX法とは? 2006年5月11日 木曜日 谷島 宣之 中野目 純一 http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20060510/102016/

つまり、SOX法一つとっても、アメリカではトップの暴走というリスク対処が念頭にあるが、日本ではそうではなく、単なる社内のリスク管理となっている。しかし、監査機能が十分働かない日本においてこそ、トップの暴走するリスクは多いし、行政においても防衛庁事務次官の暴走がいま裁かれようとしている。にもかかわらず、日本版SOX法はそうはなっていない。個人情報保護法も然りであった。行政の個人情報の取扱における保護に主眼があったはずがいつの間にか民間企業の個人情報の取扱における保護に主眼が移ってしまった。個人情報保護法が行政の情報公開の弊害になっている状況すら惹起している。

こうした法の制定過程における本質の変質はよくある。事の本質は何か、仕組みはどうなっているのか、国民一人一人がじっくり見据える必要がある。学者、シンクタンクコンサルタントそしてジャーナリスト・マスコミはそうした実態を明らかにし、きちんと伝える責任がある。

何れにしても、ISO認証等の各種公的認証取得とその維持、個人情報保護法及び日本版SOX法等の対応などで、形式的あるいは(狭義の)法令遵守違反的リスクを恐れるあまり、最近の組織経営は萎縮し、内部(統制)管理強化に向かい、結果して、官・民問わずいわゆる内政部門(コーポレート部門)重用型となる。こうした状況下において、公的な法令はもとより組織の私的な内部規定類を含め、それらを形式的に整備し遵守することで自らの法的責任や経営責任を回避する、あるいは遵守すること自体が目的化されることがすくなくない。これらは、ある意味でわかりやすく、そして実行しやすいいが為に、結果して、本来の国家・組織としての目標・目的追求や本質的対応は脇に置かれることとなる。

こうした状況を表現するおもしろい指標がある。CSとESである。本来のCSとESは、次のように定義されるものである。

CS:Customer Satisfaction(顧客満足度)

ES:Employee Satisfaction(従業員満足度)

しかし、ここでいうCS・ESは次のような定義である。<出典:MRI TODAY 「こんなCSとESにご用心」、松田智生営業統括本部GL http://www.mri.co.jp/COLUMN/TODAY/MATSUDAT/2007/1130MT.html

CS:Corporate Satisfaction(管理部門満足度)/管理部門に対する各種計数や事務報告あるいは営業報告に現場が追われてしまう状態であり、これが過剰になると問題である。

ES:Executive Satisfaction(役員満足度)/役員に対して、各部門がご進講やご報告あるいは役員出席の会議運営に没入している状態であり、これが過剰となると問題である。

松田氏の主張は、このようなCSなりESが見られるようになれば、本来のCS(顧客満足度)とES(従業員満足度)の低下につながる危険性があるというものであるが、上述したように、日本社会は構造的にそうなる危険性を内包しているといった方が適切かもしれない。

所属している組織体がなくなればこうした内向きのCS、ESは何の役にも立たない。提供する財・サービスに対して対価を払っていただけるお客の存在がすべてであり、内部ではなく、対お客に注力すべきである。ある企業で、オーナー社長が視察に来ると赤絨毯を敷いて迎えたと聞いたことがあるが、それは本来お客にすべきである。当然の流れとして、そのような会社はお客に見放される運命にある。

このような日本社会の問題の本質は、やはり「就職」ではなく「就社」といわれる働く人の流動性のなさにあるのではないだろうか。現役生涯一社ではなく、転職・独立が当たり前の状況になれば、自ずと外部的眼が混じり、内部統制が自然と生まれ、暴走を暴走といえる内部者が増えてくるのではなかろうか。対お客が優先する者が増えてくるのではなかろうか。結果して、組織全体、国全体として、ダイナミズムが増してくるのではなかろうか。

これからの組織とはそうした個人の集積体、社会はそうした組織の集積体となっていかざるを得ない。そうした個人そして組織のダイナミックな創造・離合・集散のプラットフォームこそが今後の日本社会に不可欠なインフラかもしれない。