歴史に触れて ~妻沼聖天山、さきたま古墳群~

GWの2013年5月5日、久しぶりに、ドライブ(日帰り観光)した。朝8時過ぎに自宅を出発。3月末の車検の際にタイヤ交換して最初のドライブである。行き先は、埼玉県熊谷市妻沼にある「妻沼聖天山」 と、行田市にある「さきたま古墳群」 (全体をさきたま古墳公園として整備中)。共に、国宝がある。そして、古墳公園のすぐ近くにある日帰り温泉「茂美(もみ)の湯」 で純重曹泉にゆったりと浸かってから帰路についた。往復総走行距離は約130km。

妻沼聖天山

そもそも何故、妻沼聖天山。日帰りドライブ先を探していた際に、某大手旅行会社のサイトで日帰り観光コースの中の訪問先に記載されているのをみて、はじめて「妻沼聖天山」を知った。そもそも正確な読み方すらわからない。調べてみると、「めぬましょうでんざん」と読むようである。「妻沼」は地名であり、「聖天」は正しくは「大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)」であり、弘法大師が唐から請来して以来、日本でも祀られ、福運厄除の神として信仰されているとのこと。

カーナビを頼りに、9時半過ぎに妻沼聖天山に到着。本殿廻りの彫刻を間近に見られるエリアは10時から開門され、20分おきに説明のボランティアガイドがつく。拝観料は700円。本殿は、拝殿-相の間(中殿)-奥殿と続く廟型権現造りの建物で、奥殿に向けて段々と彫刻の彫りが深く、色彩も華やかになる。同じ権現造りの日光東照宮の100年後の宝暦10年(1760年)に完成したもので、技術的には日光東照宮を凌ぐと、ガイドが説明していた。平成15年から平成23年の8年間、13.5億円(内、9.6億円が国・県・市の補助金)をかけて保存修復工事がされ、平成24年に国宝に指定されている。確かに、本殿の外壁廻りの彫刻及び彩色はすばらしい。彩色の顔料は岩絵の具で高価であり、この修復で使用された顔料費だけで2.5億円(記憶間違いかも知れないが)に達したとのこと。

「本殿彫刻参観」と銘打っていただけに、ガイドさんの説明は彫刻の説明がほとんであったが、この本殿の建築物の構造についてももう少し説明が欲しかった。宮大工の木の使いかた、荷重分散・制振工法等はまさに日本の誇るべき木の文化、設計法であり、一般の方々に知って欲しい。多くの一般の方々が見聞きするこうした機会に、日本の誇るべき文化・技術を伝える仕組みがあっても良い。地震対策の意識付けをする上でも効果がある。建築・土木出身のボランティアガイドを採用すればもっといいのにと思いを馳せつつ、次の目的地、さきたま古墳公園に向かう。

途中にある「道の駅めぬま」で昼食を取り、野菜を買い込む。道の駅は仕組み(道路政策)としてすっかり定着しているが、いずこの道の駅も、食事が内容、値段、そしてその手際がいまいちなのはなぜだろうか。物販(地元産品の販売)の満足度に比して改良の余地がある。運営の仕組みを今一度考えて欲しいものである。

[caption id=“attachment_948” align=“aligncenter” width=“560”] 国宝 本殿 アプローチ[/caption]

[caption id=“attachment_955” align=“aligncenter” width=“560”] 本殿 拝殿 正面[/caption]

[caption id=“attachment_960” align=“aligncenter” width=“560”] 本殿 拝殿から相の間への境 色彩が増えている[/caption]

[caption id=“attachment_961” align=“aligncenter” width=“560”] 本殿 奥殿 彫刻・色彩ともに豊かになる[/caption]

[caption id=“attachment_962” align=“aligncenter” width=“560”] 本殿 奥殿 西側面[/caption]

[caption id=“attachment_965” align=“aligncenter” width=“560”] 本殿 あえて未完とするための塗り残し[/caption]

[caption id=“attachment_966” align=“aligncenter” width=“560”] 床下まで荷重分散・制振工法が施されている[/caption]

埼玉古墳群

さきたま古墳公園に着く。駐車場(無料)は十分にある。さきたま古墳公園は、さきたま古墳群を都市計画公園として整備している一体である。埼玉県内にこんな古代史の重要な場所があるとは知らなかった。埼玉県のHPもあっさりしたものである。「埼玉県立さきたま史跡の博物館」のHPの方が詳しい。

直径105m、高さ18.9mの日本最大の円墳として有名な丸墓山古墳にまず登る。稲荷山古墳群のほぼ全景をみることが出来る。続いて、前方後円墳の稲荷山古墳を縦走する。この頂上から発掘された表面に57文字、裏面に58文字が刻まれた金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)や甲冑・馬具などの副葬品は1985年(昭和58年)に国宝に指定されている。この昇り降りは結構きつい。このような歴史的構造物に階段のような後付けの付属物を設置していいのだろうかと思いつつ登っていた。

これら以外の残り7つの古墳は登れない。本来そうあるべきである。その中の一つの前方後円墳の将軍塚古墳を観る。この将軍山古墳は、明治時代に後円部にあった横穴式石室が発掘されている。墳丘東側が削平され、石室の一部が露出するなど崩壊の危険が迫っていた為、崩落した墳丘部分をドーム(コンクリートづくり)で覆い、古墳の内部に入って複製の石室や遺物の出土状況を見学できるガイダンス施設を建設し、1997(平成9年)年に将軍山古墳展示館としてオープンしたとのこと。入館料はさきたま史跡の博物館と共通で200円。これは、古墳の形をしているとはいえ、もはや古墳とはいえないのでないか。その他の古墳は散策の過程で遠目に見る。流石に疲れて、すべての古墳の廻りをめぐるまでの体力がない。

古墳群をみてから最後に、さきたま史跡の博物館に入る。さきたま古墳群で出土した埴輪や土器、そして甲冑類、鉄剣等が展示されている。国宝も含まれる一級の展示物である。一度は観る価値がある。埼玉県はこのさきたま古墳群を世界遺産としての登録を目指そうとしているが、さすがにそれは無理筋ではないか。歴史建造物にしては手が入りすぎている。なんでも、外部の権威に頼る必要はない。それよりも、さきたま古墳の周辺は幸い農地であり、周辺の空間を含めて歴史的空間として維持する仕組みを考えて方がいいではなかろうか。

[caption id=“attachment_969” align=“aligncenter” width=“560”] 丸墓山古墳[/caption]

[caption id=“attachment_967” align=“aligncenter” width=“560”] 丸墓山頂上から稲荷山古墳・将軍山古墳を望む[/caption]

[caption id=“attachment_971” align=“aligncenter” width=“560”] 埼玉県名発祥の碑[/caption]

歩き疲れたので、近くにある日帰り天然温泉「茂美(もみ)の湯」で疲れをとってから帰路につく。歴史に触れる充実した国宝をめぐる日帰りドライブであった。