慧眼とキュレーション ~「特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝」を観て思ふ~

1昨日(2012/5/2)、雨模様の中を久しぶりに美術展を観に行った。上野公園の東京国立博物館 平成館で開催されている「特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝」である。若かりし頃、MITへ2週間ほど夏期講座に行った折にボストン美術館に行った記憶がある。MITのロゴ入りのトレーナーを着ていたら、帰り道、MITの学生と間違われて道を聞かれたことを思い出す。

本展のみどころ 東洋美術の殿堂と称されるアメリカのボストン美術館には、10万点を超える日本の美術品が収蔵され、その量と質において世界有数の地位を誇っています。この日本美術コレクションは、ボストン美術館草創期に在職したアーネスト・フェノロサ岡倉天心以来収集が続けられてきました。その中には、日本の美術を語る上で欠かすことの出来ない優れた作品が多く含まれ、近年の調査においても多くの重要な作品が見いだされています。 ボストン美術館は、作品保護の観点から作品の展示期間を厳しく制限しており、本展の開催にあたり、その出品作品のほとんどを、5年間にわたって公開を控えて準備をしてきました。また、ボストン美術館では、ウイリアム・スタージス・ビゲローのコレクション寄贈100年記念事業として、日本とアメリカの協力のもと未公開作品を含む大規模な修復事業を行ってまいりました。 本展は、修復された未公開作品を含む、日本美術コレクションの名品約90点を厳選してご覧いただくものです。海外に渡った日本美術を蘇らせ日本文化の理解を深めることは、友好関係の一層の発展をうながすものとなるでしょう。

[caption id=“attachment_699” align=“aligncenter” width=“133” caption=“特別展の入場券”]特別展の入場券[/caption]

観覧者が多く、混雑の中、全作品を見終えるのに約2時間ほど要した。雨にもかかわらず団体客もとくにいないなか、この集客力はすごい。事前のプロモーションの成功か、展示物の良さか、はたまたキュレーションの良さか。戦火にあった日本から離れたボストン美術館に収蔵されていたからこそ、現存し、修復され、今後も残されていくであろうことを思うと、日本人としてはやや複雑な気持ちになる。

国内にあれば国宝あるいは重要文化財級のこれだけの秀逸な日本美術を数多く明治維新の混乱期のなか収集したアーネスト・フェノロサ岡倉天心、ウイリアム・スタージス・ビゲローらの慧眼に感心する。

さて、展示物であるが、まず最初のコーナーは、荘厳な奈良・鎌倉期の仏画・仏像コーナーである。曼荼羅図を見ることができる。

次のコーナーは、最大の呼び物であった二大絵巻「吉備大臣入唐絵巻」「平治物語絵巻」の全画面展示コーナー。その精緻な筆致と物語の展開の描写をじっくり堪能できる。よくこれだけの長編の絵巻を描き切れるものだ。間に挿入されている毛筆による文字がまた良い。毛筆はやはり味がある。

そして、鎌倉・室町期の水墨画と初期の狩野派の絵画コーナー。このコ-ナーに続く近世絵画コーナーと合わせると、確かに技法の伝搬・進化と変貌がよく分かる。ライバルを意識していたこともわかる。伊藤若冲の初期作品にも出会える。

そして、鬼才 曾我蕭白のコーナー。蕭白の生涯に渡る作品が展示されている。その画法を見ていると、現在の劇画・漫画に通じるものを感じる。そして、当時、国内では注目されていなかった蕭白に注目してその作品を収集した慧眼に改めて感心する。

そして、最後に刀剣や染織作品等の工芸品コーナー。能と染織文化のつながりをはじめて知る。

この特別展を見た後、しばしラウンジにて休憩し、隣接の本館(日本ギャラリー)に赴く。2階の「日本美術の流れ」では、国宝や重要文化財などの名品でたどる「ほんもの」の美術史を見ることができる。「国宝 平治物語絵巻 六波羅行幸巻」もある。能と浮世絵と衣装の関係もよく分かる。こちらを見てから、ボストン美術展を見たほうがその位置づけがよく分かるのではないかと思う次第。サイトでは、そういう案内もして欲しいものだ。

さらに、本館 特別1室・特別2室での「平成24年 新指定 国宝・重要文化財」もなかなか興味深い。平成24年(2012)に新たに国宝、重要文化財に指定された48件のうち、44件(写真パネル展示2件含む)が展示されている。

平成館の特別展、そして本館の展示を観て、1個1個の美術品、工芸品だけを観ていてもよくわからない歴史的位置づけや価値が、あるストーリーの中で群表示されるとよく理解できるようになる。確かにある主張、意図を感じることができる。これをキュレーションというが、「キュレーションという用語がこうした博物館、美術館から起きたのもよく分かる。

多くの人に共感され納得されるキュレーションを行なうには眼力が必要である。その高みが「慧眼」であろう。慧眼は作品という「もの」だけでなく、「ひと」の見極めにも活きる。岡倉天心を見出し育てたのもひとつの慧眼であろう。その岡倉天心がその後の日本美術・工芸に与えた影響を考えると、ひとを見出す慧眼の力の凄さを思い知る。

こうした慧眼を有する人物を輩出し、慧眼をもってキュレーションを披露できる場の創出が可能な仕組みが果たして現代に備わっているだろうか。目先の損得を優先する社会では難しい。リスクを取らない社会では難しい。知に対するリスペクトが低い社会では難しい。

では、どうすべきか。一つの方策が、ゆとりと多様性を有する社会の仕組みづくりである。効率性の基準というか思想のもとに捨象された基準である。効率性の名のもとに大きな組織の論理が優先されがちな社会の仕組みに対して、多様な個人としての生き様が反映できる社会の仕組みが織り込まなければいけない。自律した個人(群)を受け止める受け皿(プラットフォーム)が必要である。では、それは何か、どう創っていくか、・・・。思いは尽きない。

芸術を感受する右脳と、慧眼に思いを巡らす左脳が励起し、足とともに脳も疲れた1日であった。