「ものづくり」から「ビジネスづくり」へ

日本は伝統的に「ものづくり」について関心が強い。古くから職人(気質)を大事にしてきた。藤本教授(東京大学)が言うところの技術の「摺り合わせ」を得意としてきた。その集大成が、自動車産業における世界トップメーカーの誕生である。しかし、皮肉なことにトップになった途端にリーマンショックで市場が縮小し、一気に苦境に立っている。

携帯電話機シェア片や、携帯電話機産業においては、高機能化では突出したけれど完全にガラパゴス化し、世界においては存在感が薄い。ノキア、サムソンの2社で世界市場におけるシェアの過半を占めている。世界標準を主導するのは日本以外のメーカーである。

システムあるいはソフトウェアというIT社会を支えるものづくりの世界においても、世界に普及している日本発のシステム/ソフトウェアはほとんどない。OS、ブラウザ、検索技術(Google)、blog、skypeSNStwitter、・・・。

もはや日本が製造・システム技術上の優位性を保持している分野・領域は少ない。特に、機能を絞った廉価版すなわち普及版のものづくりにおいては決定的である。こうした状況を見るに、製造業的な観点からの「ものづくり 日本」という表現はいまやはなはだ疑問ではなかろうか。

ところが小売りにおいては、日本で進化を遂げ世界に広がる「コンビニ」、”製造小売”という業態を追求した「ユニクロ」は世界制覇をもくろむ程に急成長中である。ここでいう”製造小売り”は従来からある菓子屋、パン屋、豆腐屋さん的なものではなく、GAPが自社PRのために唱え始めたSPA(speciality store retailer of private label apparel)的な意味合いである。要するに、販売者が性能規定して製造委託する形である。しかし、ユニクロを見ていると、性能規定だけでなく、かなりきめ細かく仕様規定しているようでもあり、このあたりのバランスが各社、各業界の持ち味といえようか。

何れにしても、この違いは何故か。生産者目線のプロダクトアウトと消費者目線のマーケットインの思想の違いではなかろうか。現在は供給過剰時代で消費者主導時代である。つくり手の論理だけでは通用しない。一方で、例えばユニクロは、大企業等での経験豊富な定年リタイア者を製造・品質管理等の専門家として取り込み活用している。消費者に受け入れらるための機能、品質の確保を明確に打ち出し実践しているのである。

商品サイクルいまや、市場における創造的競争破壊による一時的独占(=利益)の享受期間は短縮化する一方である。ある業界関係者に聞いた話によると、日本で出開発し正式発売前のもののが某国に行くと既にコピーが出回っていたというすごい実態がある。マーケットイン的目線で見つめながらも、一方でその流れを先読みしたプロダクトアウト(潜在需要の顕在化)のスピードアップもまた問われている。

さらに言えば、「ものづくり」ではなく、つくりだしたものでどのようにビジネスをしていくのかという「ビジネスづくり(ビジネスモデル)」が問われているのではなかろうか。そして、そのビジネスを国内の一地域で行うのか、日本全国をターゲットに行うのか、それとも世界を相手に行うのかで、ビジネスモデルは当然異なってくる。日本以外の国々(アジア各国を含め)の元気な企業は最初から世界市場をターゲットにものづくりを考え、ビジネスづくりを考えている。それ故か、極めてダイナミックである。

そこにおいては、想像力(構想力)、決断力といった本物の力が必要とされている。それは茫洋とした組織力ではなく、個人力に依る。組織力は流れを大きく速くすることはできるが、流れの最初の一滴を生み出すのはやはり個人力である。

ということは、これからの時代はこうした新しい流れを引き起こす一滴を生み出す個人を大事にしなければならないということである。

然るに、これまでの日本社会は行政・大企業中心主義で仕組みがつくられ、物事が回っているという構造的問題がある。研究開発等の補助金等も大企業がその大半をさらっていく。しかし、新しい一滴はそうしたコアにいる主体ではなく、周辺部(カオスの縁)から生まれてくる。つまり、個人の専門家(集団)、中小企業あるいはベンチャーである。日本においては、これらの主体はマーケットインするだけのスキルも資金的余裕も、人的パワーもない。

これを補う仕組みとして考えられるのが、中小企業あるいはベンチャーのためのマーケティング・営業を行うプラットフォームである。既に、中小企業基盤整備機構や各自治体で同様なサービスがあるが、経営なりビジネスをしたことのない行政の主導下で、果たして良いのか、はなはだ疑問である。公設民営的な仕組みでこうしたプラットフォームは運営されるべきでなかろうか。

色々考えさせられる昨今である。