ポスト団塊世代層

最近、「少子・高齢化社会」という言葉を良く聞く。「少子化担当大臣」も存在する。少子・高齢化の数字的な定義をみると、「18歳未満の子どもの数が65歳以上の高齢者よりも少なくなった社会のことを『少子社会』」と呼び、日本は1997年に少子社会に入った。

一方で、「65歳以上の高齢者の割合が7%をこえた社会を『高齢化社会』、14%を越えると『高齢社会』と定義(国連)されるが、日本は1970年に7%を超えて「高齢化社会」となり、1994年に14%を超えて「高齢社会」となった。

そしてここに来て、人口構造上最大のボリュームゾーンである「団塊の世代」<1947年(S22)〜1949年(S24)生まれ:この3年間に生まれた日本人800万人は、その直前よりも20%、直後よりも26%も多い>がリタイア時期に入り、そして5年後には65歳以上層に参入してくる。本格的な高齢社会の到来となる。世帯構造的にみても、今後は、独居高齢者世帯が太宗になるものと予想されている。

加えて、日本は「総人口の減少期」にすでに突入し、2100年には日本の人口は半減し約6000万人になると予想されている。つまり、今後の日本は高齢者が太宗となる社会であり、高齢者を主軸に据えた仕組みづくりが不可欠となってくる。

その際、高齢者のとらえ方が重要となる。高齢者を十把一絡げには扱えない。成り立ちや置かれた状況が異なる。当然、価値観や危機感も異なる。

団塊世代の上の層、すなわち現在すでに年金を受給している層は相対的にみれば団塊の世代層の御輿に乗って押し上げられてきた層であり、比較的恵まれており、悲壮感はない。

団塊の世代層は、その圧倒的な数がもたらす業として、常に競争淘汰の中に置かれて揉まれてきた層であり、リタイア後、高齢者層に入っても置かれた状況に変わりはない。

社会的合意形成を要する仕組みづくりは常に時代に遅れながら構築されるため、団塊世代層対応のための仕組みが確立され本格適用されるのはポスト団塊世代層(現在50歳代層)となる。そして、ポスト団塊世代層の次の世代層にそうした仕組みは当然不要であり、廃棄される運命となる。

団塊世代層の大量リタイア時期への突入を受けて、その対応の仕組みが云々されているが、問題はその後である。仕組みはピーク時対応で構築すると、非ピーク時に遊休化する。つまり無駄が生じる。そうした意味で、これから5〜10年の間に、高齢社会対応の仕組みをどう構築していくか、日本社会の行く末を左右する重要な節目となる。