鞆の浦 泡瀬干潟 行政訴訟 二題

今月に入り、時代を反映する行政事件訴訟の判決が相次いであった。何れも住民側の勝訴である。行政事件訴訟法の改正に若干ながらも関わったものとして非常に感慨深いものがある。

まず、2009年10月1日、広島県福山市の「鞆(とも)の浦」の埋め立て・架橋計画をめぐり、住民が埋め立て免許の差し止めを求めていた訴訟で、広島地裁鞆の浦の景観は「国民の財産ともいうべき公益」とし、事業の必要性に関する調査、検討が不十分で「景観利益に重大な損害を生ずる恐れがある」として、藤田雄山知事に県と福山市への埋め立て免許交付差し止めを命じた。

そして、予想されたとおり、事業を推進していた広島県控訴期限の10月15日に控訴した。

この判決は、「景観利益保護を理由に公共事業を差し止める初の司法判断」とされるが、まだ一審の段階。国民的景観の保護と、そこに住む住民の利便性・安全性の確保、そしてそのための公共工事の推進、この三者の利害対立に対して控訴審でどういう結論が出るか。見守りたい。

そして第二の事案として、同じ2009年10月15日に「泡瀬干潟埋立公金支出差止等請求控訴事件」の判決があった。こちらは福岡高等裁判所那覇支部における控訴審判決である。上記事案と異なり、本事案はこれでほほ決着したと言えよう。

泡瀬干潟埋め立て事業とは、沖縄市地域活性化の拠点として、市東部沿岸の中城湾の干潟(約265ヘクタール)に国と県が約582億円をかけ人工島(約187ヘクタール)を建設し、うち約90ヘクタールを市が約275億円で購入し、商業施設やホテルなどを誘致する計画で、第1区域(約96ヘクタール)と第2区域(約91ヘクタール)に分け、2002年に第1区域が着工。国と県はこれまで約247億円を投じているとのこと。泡瀬干潟埋立事業の経緯はhttp://www.awase.net/jigyounokeii.htmlに詳しい。

さて、その判決要旨を読むと、要するに、事案の対象となっている海浜開発事業の土地利用計画の見直し(現在検討中)は、当初計画の下で取得した公有水面埋立免許の変更許可を得るべき変更レベルのものであり、当該事業が変更後においても公有水面埋立に見合う経済合理性等を有する必要がある。然るに、この新たな土地利用計画にはそれだけの経済合理性は認め難い。従って、従前の土地利用計画に基づいて埋め立て工事が漫然と継続されることに伴う公金支出等は違法となる、というものである。さすが法律文だけあって理路整然としている。

判決骨子・要旨

判決書

泡瀬干潟埋立事業に関する意見書(日弁連)

泡瀬干潟を守る連絡会 声明文

2008年11月19日 那覇地裁判決

 判決骨子

 判決要旨

 判決書

控訴審判決の概要

お決まりの如く、当該市の東門美津子沖縄市長、そして県はこれを不服とし対応を検討するとのこと。そして、テレビ映像で見る限り、工事は止まっていない。行政が司法の判断を無視している。プリンスホテルと同じである。三権分立の中でお互いに対するリスペクトがなく自己中心の論理がまかり通っている。

計画段階での行政訟法そして司法の重み ところで、民間企業においても似たような話がある。東京地裁が2回、東京高裁が1回、「プリンスホテルグランドプリンスホテル新高輪)は日教組の教育研究全国集会会場として使用させなければならない」という司法判断を示したにもかかわらず、ホテル側がその司法判断に従わず拒否をし続けた事案である。イデオロギーの問題を抜きにして、果たしてこうした事態が法治国家において許されるものなのか。

いずれの事案も事業のために埋立工事がなされる。鞆の浦、沖縄泡瀬干潟ともに日本の重要な自然環境財産である。埋立によってつぶすことの是非を計画段階でどのように考慮したか。これからの日本の地方の活性化において観光が重要な鍵を握ることは間違いない。自然環境は一度つぶせば二度と戻らない。その時代しか生きない者が後世の資産を逸失してしまって良いのか。観光産業興しのために観光資源である自然環境をつぶし生活利便施設、人工的観光施設に置き換えることがどこまで許されるのか。

地域振興の為には公共事業しかないのか。そんな発想はもう古いのではなかろうか。わが国は今後、総人口減少、少子高齢化が加速し、埋め立てせずとも遊休地はさらに増える。地球環境問題への対応も待ったなし。製造業的生産機能は海外に流出・移転する。そういう状況の到来が確実な流れの中では、従来の発想の延長線上ではなく、新たな発想に基づいた地域振興、そしてそこでの住まい方・暮らし方を考え直さなくてはならない。社会的な仕組みの造りかえである。