よけいな規制、いらざる口出し

東京新聞他各紙の報道によると、埼玉県、神奈川県、京都市等で、地球温暖化対策の一環と称して、コンビニエンスストアの深夜営業の自粛ないしは条例による規制論が起きている。

「埼玉県は二十四時間営業のコンビニ店などに深夜・未明帯の営業自粛を要請する方針を決めた。本年度内の制定を目指す地球温暖化対策推進条例や行動計画に要請を反映させたい考えだ。同席していた上田清司知事は「客の少ない深夜営業をやめたいと思っているオーナーもいる。そういう地域で見直しができないか、議論したいと語っている」(東京新聞

「神奈川県の松沢成文知事は17日の記者会見で、今年度中の制定を目指す地球温暖化対策推進条例に基づき、24時間営業のコンビニ店やスーパーに深夜営業の自粛を要請する方向で検討していることを明らかにした」(時事通信

これに対して、コンビニ店・セブン−イレブンを展開するセブン&アイ・ホールディングス広報センターは「深夜に店を閉めても冷蔵・冷凍機器などは切れず二酸化炭素(CO2)削減効果は薄い。配送が昼間に集中すれば、交通渋滞を招き排出量は増える。安易に深夜営業を止めることは考えていない」としている。山口社長は「二酸化炭素(CO2)削減は重要だが、それが24時間営業の自粛なのか、というと違う。防犯面でも女性の駆け込みが業界全体で年間1万5000件あり、半分が深夜帯だ」と指摘。(共同通信

そもそも、こうした経営戦略に関わることに何故、行政が口を挟むのか、口を挟む権限を有しているのか。最近多くなっているお節介すぎる、あるいは過剰介入ぎみのいらざる口出し/規制ではないのか。ましてや、「条例ではキツすぎる気もする」(埼玉県)と自ら言っているように、法律に基づかないレベルでそうしたことを強制するのはかっての「裁量行政」「通達行政」と変わらない。強制するのであれば、条例化するなどきちんとした立法手続きを踏んで欲しい。当然、条例化する際には、議会は住民の代表としてきちんと議論して欲しい。

さて、こうした手続き論以外にも、24時間営業自粛・規制、より具体的には深夜営業自粛・規制は問題がある。そもそも都市とは人が集い活動する場であり、それを時間帯によって都市サービスを制限するのはおかしい。かっては逆に、グローバルな競争的観点から「24時間都市」を標榜していたではないか。

MasterCard Worldwideが発表した世界75都市を対象とした2008年の「世界ビジネス都市度ランキング」によると、東京は昨年に引き続き、世界経済に最も影響を及ぼす都市としてロンドン、ニューヨークにつづく3位にランクインしている。アジア/太平洋地域で見ると第1位となっている。このようなグローバルな都市においては、活動空間は自らの都市に留まるわけではなく、世界空間を相手にしている。当然は相手は24時間活動している。24時間活動し税金を同じように払っている人がいるのに、都市サービスを時間帯によって制限することはあり得ない。

それでは、グローバル都市以外ではどうすべきなのか。ビジネスの市場として成り立たなければ自ずと撤退するだけである。行政が規制するものではない。現在の「コンビニエンスストア」のスタイル・文化は日本発であり、「交番」に続く日本の「仕組み」の世界展開である。深夜・早朝に限ればある意味で「民間企業版交番」といって良い。その良さを地方行政が歪めようとしている。

地球環境温暖化問題をいうなら、昼間8時間帯に全ての生産・業務活動を集中させ、その需要を前提に全てのインフラをつくり、サービス体制をつくるほうが問題である。昼間、夜間、深夜・早朝それぞれに需要分散させた方があらゆるもののピーク率が下がる。つまり、CO2の抑制に繋がる。

地球温暖化問題にかこつけて、余計な行政介入は避けるべきだし、余計な口出しをする前に、自らの庁内のあり方を地球温暖化の観点から見直すべきである。例えば、役所の象徴ともいうべき書類。まず、庁内の打ち合わせは紙によるのではなく、プロジェクター使用するだけで、相当の紙使用の削減になり、CO2の削減に繋がる。既に当然取り組んでいるはずであるだろうし、そうでなければおかしい。

いずれにしても、このような24時間営業規制論以外にも、最近、余計な口出し、余計な規制と思われるものが多くなっている。加えて、過剰な自粛、自主規制。何故、そういう事態を招いているのだろうか。「自己責任」とは何か。「地方自治」とはそもそも何か。何故、行政は余計なことをするのか。仕事がないから余計なことを考えるのか。仕事がないなら、何故、人員削減し税金を下げないのか。無理矢理、仕事をつくっていないか、等々。もっともっとその背景なり、仕組みについて考え、行政をチェックする必要がある。納税者(個人、企業)はもっと発言すべきである。