「個人としての人生の豊かさ」中心主義へ

日本経済新聞の2008年2月25日付けの朝刊の「働くニホン 第3部仕事の値段5 何のために働くのか」の答えとして、今時を表現し、今後を示唆する言葉が載っていた。「社会の足跡を残したい」(31歳のベンチャー企業副社長)、「家族や自分のために時間を使いたかった」(ハーバード大ビジネススクールの講義での死の底にある経営者の言葉)、「生きるために働く必要がなくなった時、人は人生の目的を真剣に考えなければならなくなる」(経済学者ケインズ)。

本ブログ自体が、社会への足跡として始めた経緯(2007年12月23日「ブログ開設のご挨拶」に詳述)があるだけに、この記事の内容はよく分かるし、世の中の流れは確かにそうした方向にあるのだと勇気づけられた次第である。

わが国は長寿命社会へ本格突入し、組織人としての人生のピーク(平均給与水準でみた場合)を迎える50歳代前半以降の平均余命はもはや単なる「余生」と呼ぶような期間ではなく、「本格的な第二の人生として豊かに生きる」ことを考えるべき時期にきている。

年齢階級別人口分布表

年齢階級別平均余命表

年齢階級別給与分布図

        

一方、わが国の財政事情についてみると、国及び地方を併せた長期債務残高は773兆円(平成19年度末)、対GDP比148.1%まで達し、社会保障費も年々増加している(平成19年度:21兆円) 。加えて現行の年金制度のいい加減さ、破綻懸念は周知の通りである。いまや、国民は国等を頼ることなく、「個人として自立して生きる」ことを前提に考えざるを得ない時期に来ている。

日本ほど、個人あるいは家庭を犠牲にしてまで組織(会社、役所、各種団体等々)の論理を優先している社会はないのではなかろうか。かって、日本の海外技術援助(いわゆるODA)の一環で発展途上国に行った折り、カウンターパートの役人の自宅に招かれたことがあるが、日本よりも豊かな家庭生活を送っていてびっくりしたことがある。国は貧乏でも個人は貧乏ではない。日本の場合、家計部門の金融資産が1500兆円あるが、とてもそれだけの資産価値を有している生活レベルの豊かさを享受しているとはとても思えない。

要するに、今後のわが国のおいては一人ひとりが「自立した第二の人生」を歩むことを余儀なくされる時代となることが必至であるということである。そこにおいては、従来の「組織人としての人生」中心主義から、「個人としての人生の豊かさ」中心主義に人生の考え方や生き方のスタンスを変えることがまず基本となる。

そして、個人としての人生の豊かさを追求するためには、豊かな個人生活を楽しめる個人資産(形成)が必要であり、そうした余裕を持った上で生きがいを感じられる活動(仕事、ボランティア等)が可能な仕組みが必要であり、そうした活動をなし得る健康体である必要がある。

こうした個人としての人生の豊かさを追求するには、50歳代後半以降層のシニア層(4,651万人:平成20年1月1日概算値)はもちろんであるが、シニア予備層(40歳代〜50歳代前半、2,401万人:平成20年1月1日概算値)の時から準備しておく必要がある。組織の中で、40歳代になれば自分が何処まで行けそうか組織の中での評価・位置づけはそれなりに分かるものであり、いわゆる「ライフ・デザイン」を考える時期としてちょうど良い。これは自分の人生の棚卸しにもなる。

いずれにしても、シニア予備層を含めた層は7,052万人)にのぼり、わが国人口の55%を占める。然るに、従来のわが国の仕組み(法制度体系、教育体系、就業体系、・・・)はこれだけの母集団となっている層の個人としての人生の豊かさ追求をベースにおいたものとはなっていない。そこには大いなるギャップが存在する。これからのわが国にとって、個人の人生の豊かさを追求するという新たな理念に基づく新たな仕組みづくりが不可欠であり、その構築が急がれる。