1.日本の過去の人口推移にみる姿
縄文時代(15,000年前から2,500年前の約12,500年間)の「縄文人は、狩猟採集を生業としながらも定住生活を行い、非常に高い人口密度を達成した世界的にも注目される集団」で、人口は縄文時代後期・晩期にかけて急減し、弥生時代に入って急増したと推定されている。
その時代の人口分布の中心は東日本であったが、縄文中期以降は気候の変化により、全体の人口が減る中、人口分布の中心は西日本に移っている。「縄文時代晩期は世界的に寒冷化した時期であり、気温が下がったことで食料供給量が減ったことが、急激な人口減少の要因の一つではないかと思われる。また、その後人口が増加したのは、渡来系弥生人がもたらした水田稲作技術によって、安定した食料供給が可能になったためと考えられる」と研究報告されている。
その後、鎌倉幕府から江戸時代にかけて人口増加と停滞が繰り返されるが、それは水田開発・新田開発と気候変化の相克による。そして、明治維新から、人口は急増を続け、2008年にピーク(総人口12,808万人)を迎え、その後は人口急増の逆パターンをなぞるような人口急減期に入っている。
「人口」はそれぞれの時代環境(気候、食料の量、移動手段、政治・経済・産業構造、衛生・医療技術、パンデミック、戦争等)を反映している。そして、将来人口推計も突発的事象はあれど、最も確かな将来値である。
出典:Y染色体の遺伝子系図解析からわかった縄文時代晩期から弥生時代にかけておきた急激な人口減少 2019-06-17 東京大学 Tii技術情報
出典:人口の成長 大地への刻印
出典:Y染色体の遺伝子系図解析からわかった縄文時代晩期から弥生時代にかけておきた急激な人口減少 2019-06-17 東京大学 Tii技術情報
出典:社会実情データ図録
出典:第三次国土形成計画(全国計画)(令和5年7月28日閣議決定)国土形成計画(全国計画)関連データ集
注:原典は一つの図であるが、見やすくするため、2つに分割表示。
出典:人口の成長 大地への刻印