地方はどこへ行くのか 衰退する地方

新型コロナ第7波のピークが過ぎた2022年9月9日~9月13日にかけて田舎(徳島)に帰省した。今年もまた、地方の実態を、地方創生の難しさを色々感じた。本当に、今後、地方はどうなるのだろうか。たまたま、「知恵泉」(NHK 2022年9月13日 22:00~22:44 放送)で、日本民俗学柳田国男の「農民は何故に貧なりや」「自らのベースを深く知る」「長い時間をかけて培ってきた『民衆の知恵』にこそ、経世済民のカギがある」ということを知った。沁みる。

第1日目(9/9) 

羽田空港は閑散なれどそれなりに人がいる。昨年よりも多い。待ち時間に、お供え用やお土産のお菓子を買う。狭山茶は事前に送っておいた。飛行機は小さな機体故かほぼ満席状態。withコロナを実感する。12:45に羽田空港を出発して、14:00 徳島阿波踊り空港に着く。空港でレンタカーを借りる。やはり、レンタカーは初めての車種なので、車体の感覚がつかめず慎重に運転する。制限速度で走る車をほとんどの車が追い越していく。

徳島市の郊外にある家内の実家に帰る前に、帰省中の飲食材を購入するために、スーパーに立ち寄る。イオン系のスーパーを核とした施設で便利は便利であるが、地場のスーパーや商店にとっては厳しいと思われる。車を自分で運転できなくなる高齢者は買い物難民化し、こうした郊外の大型スーパーには来れなくなる。

通販、ネットスーパー、とくし丸、・・・、これから多様なサービス形態が興ると思われる。「とくし丸」は今はオイシックスの傘下にあるが、元々は徳島発祥である。

第2日目(9/10)

朝10時、家内の実家を出て、阿波市にある自分の実家に行く。1時間ほどで、実家近くのお墓に寄ってから、実家に着く。しばらくして、兄妹夫婦が集まり、1年ぶりに再開。15:00頃まで、昼食を食べながらよもやま話。

実家近くの道路沿いの空家の腐朽、さらには空き地化が進んでいる。聞くと、住んでいる人が亡くなり、空家も増えているとのこと。跡継ぎが地元にいないため、そうした空家は手入れされることなく、朽ちていく。やはり、子どもがその地に居ない地方は建物はもちろん宅地の維持も難しい。協働プラットフォーム的な「まちづくり事業会社」のような仕組みを創らないと、地方の建物・空間維持、コミュニティ維持は難しい。

妹の嫁ぎ先は農家で、農業の実情も色々聞く。田んぼの手入れができなくなって、耕作依頼をしても田んぼの手入れに要する費用は必要で赤字になるとのこと。耕作依頼される側にも引き受ける限度があるとのこと。当然、耕作放棄地化/荒廃地化する。農業がもう少し儲かる仕組み(サプライチェーンでの流通の取り分を生産者にシフト)にしないと、日本の農業の担い手がいなくなる。ひいては農地の維持ができなくなる。農水省やJA農協はそうした実態を知っているはずだが、・・・。

コロナ禍で米の消費がさらに減り、いまや、米が卵のように特売品扱いされるようではと嘆いていた。そして、例えばコシヒカリというブランド米も、コシヒカリが50、60%以上入っていれば「コシヒカリ」と聞いて、びっくりする。収穫量以上のコシヒカリが流通しているのがその証左という。納得。帰りにお土産に貰ったコシヒカリは「100%コシヒカリ」とのこと。ありがたい。

お土産にもらった「100%コシヒカリ

阿波町の実家から徳島市の家内の実家に帰ってきて、スダチの出荷(加工用)用の摘果作業を夕方1時間半ほど行う。スダチの木にはトゲが多いので防御が欠かせない。スダチの摘果作業用に持って帰ってきた厚手の長袖シャツとズボン、厚手の手袋と腕カバー、そして、頭と首にタオルを巻いて帽子をかぶる。足元は長靴。下草を刈ってくれていたので摘果に専念できるがそれでも手の甲にトゲに刺された痕が一杯。やはり、手甲付きの腕カバーを用意しておくべきだった。

第3日目(9/11)

この日は早朝6:30から夕方17:30までスダチの摘果作業に終始。日中の12:00~15:00はさすがに30度超え(最高気温33度)のため、作業は休止。とにかく暑いし、トゲが痛い。夫婦で頑張って出荷用コンテナ6杯弱。体力の衰えを感じる。スダチの出荷組合(JA)に参加し続けるには最低24箱以上の出荷が必要とのことであるが、ノルマ達成まではなかなか厳しい。どの社会でもノルマ達成は厳しいことを実感(笑)。後は家内の姉夫婦(高松在住)と子ども夫婦に託す。

親はすでに動けず、他県に嫁いでいった子ども達(こちらもすでに高齢化)だけでは、早晩、限界が来る。協同組合たる農協は自己組織を守るだけでなく、そうした担い手のいなくなる農家・農地をどう協同して守るのか、もっと汗をかいて欲しいものである。農家の家族みんなが疲弊している。

摘果作業の汗を流し、夜は徳島市内にいる兄夫婦とその子供達と食事をする。子供の一人がプロ以上の釣師で、鳴門海峡で1時間ほどで釣ったアコウとハマチを味わう。アコウ(キジハタ)はなかなか釣れない幻の高級魚らしい。初めて味わう。寿司、刺し身、天ぷら、アラ、いずれも美味しい。

釣果の一部のハマチ(20本近く釣ったらしい)

プロ以上の釣り師の甥っ子とアコウ(白身)とハマチの刺し身

第4日(9/12)

朝9:30から、畑の一角に建てている倉庫が環状道路の高架事業(国交省)の仮基礎工事に伴う影響調査があるとのことで立ち会う。全国の様々なところで工事影響の陥没・ひび割れ等の影響が出ているので、どういう作業をするのか見聞する。請け負っている建設会社(本社が札幌市)の下請けの保証調査会社による工事前の実態確認調査である。倉庫の内・外の現場確認と写真、地盤測量をしていた。倉庫と云えども身内の大工によるしっかりした建物なので影響は出ないとは思われるが。

50年程前の大学時代の測量実習を思い出し、測量機器を見せてもらうと、当然ながらデジタル化していて、レーダー計測による計測値は全てデジタル表示され、読み間違いもないとのこと。確かに。

補償事前調査の説明図

補償影響事前調査中の倉庫と畑

この後、家内の実家のお墓の掃除をして、午後からは帰り支度をして、スダチ、兄妹からのお土産等は宅急便で送るために、近くのセンターに持ち込む。

1泊5日(最終泊付き)のフリープランのパッケージツアーを利用して帰省しているので、最後の夜は徳島駅前のホテルに泊まる。夕方6時頃にホテルに着き、食事に出る。駅周辺を店探しを兼ねて散策するが、月曜日というのに寂しい。人通りがほとんどない。年々、人が少なくなっている感じがする。地方の活気が感じられない。ある意味、ほぼ毎年1回、定点観測的に徳島に帰ってくるのでその変化がよく分かる。地方はどうなっていくのだろうか。掛け声だけの地方創生ではすまされない。

第5日目(9/13)

帰京の飛行機の便が早いので、朝7:30にホテルを出る。途中の道が意外と混んでいる。少し早めに出てよかった。途中、多車線同士が交差する徳島本町交差点で左折しようと片側4車線の左から2車線目を走行していると、その車線は直前になって左折できず直進しかできないことに気づく。左折する側の国道の車線数が3車線なのにこれは変な交通規制である。4車線側の道路の左折専用の最も左側の車線がすごい渋滞になっていたはずである。しかし、1年に1度しか走らない者にとってそのような理屈に合わない交通規制は覚えていない。

空港近くでレンタカーを満タン返しするためにガソリンスタンドに立ち寄る。給油タンクの蓋を開けようとすると、蓋を開けるレバー/ボタンが見当たらない。車内をあちこち探すも見当たらない。社外に出て、試しに給油タンクのカバーを押すと開くではないか。ホッとする。乗り慣れていないレンタカーは時々こうした事態になる。後で調べると、現行のモデルからこのプッシュ型(車のキーロックとロックが連動しており、車のキーロックが閉まっていると給油口もロック)に変更になったとのこと。レンタカーを借りるときに確認しておくべきだった。

空港でレンタカーを返却し、チェックインする。羽田ではカバンから携帯PCを取り出す必要がなかったが、徳島空港では取り出す必要があった。聞くと、羽田とは検査機器の精度が違うとのこと。9:15分に徳島空港を出発し、10:25分に羽田空港に着く。自宅まではリムジンバスで帰るのだが、コロナ禍以降、便数が減っているようである。1時間ほど待って、リムジンバスに乗る。乗客は間引き運行していても確かに少ない。コロナ禍前に戻るにはもう少し時間がかかりそうである。東所沢駅経由の終点・所沢駅コースに、新たに「ところざわサクラタウン」が経由地に追加されている。ここはいま別の意味で注目されているKADOKAWAのエンタテイメント部門の中枢部門や角川武蔵野ミュージアムをコアとする新たな所沢市の新拠点であるが、・・・。

おわりに

1泊5日(移動日を除くと実質3日)の慌ただしい帰省であった。帰るたびに、いろんな仕組みの不備、地方の衰退を体感することになるが、できる限り見続けていきたい。