秩父で「松竹歌舞伎舞踊公演」を観る

1週間前の2022年7月29日(土)に、久しぶりに歌舞伎を観た。新型コロナウィルスの感染拡大が進行中の都内ではなく、秩父市での公演ということで、観に行った。

with コロナの開催

この「松竹歌舞伎舞踊公演」は6月30日から7月31日の間に、24箇所で公演するという地方「巡業」であったが、途中、コロナ禍の為、7月20日(水)から7月25日(月)までの公演を中止していたが、7月25日に一斉 PCR 検査を実施し、PCR 検査「陰性」を確認した出演者・スタッフにて公演を運営できると判断し、7月27日から再開したので、7月30日の秩父での公演を観ることができたという次第。

入場チケットの半券も、コロナ感染発生時の連絡確保のために、氏名と電話番号を記入し、自ら切り離し提出(箱に投函)するという対策がなされていた。

着席の配置は、「市松模様」ではなく(中村芝翫の言)、ペア/グループは離れることなく座り、別のペア/グループとの間を空席とする配席であった。観客・会場スタッフ等はマスクはもちろん着用していたが、よく見ると、舞台上の唄、鳴物の方々も黒いマスクをしていた。

終演後の会場退席も、密にならないように、順番に案内されての「規制退場」方式であった。

公演(撮影禁止)

最初に、素顔の中村芝翫による「御挨拶」が20分弱。裏話を含めて歌舞伎流挨拶があった。

続いて、中村芝翫の息子の橋之助・福之助による「操り三番叟」(20分弱)が演じられた。中村橋之助が後見役(人形を操る)になり、中村福之助が三番叟を踊る人形役となっていた。見ながら、ふるさとの阿波踊りで演じられていた「奴踊り」を思い出した。

30分の休憩の後、公演のハイライトの「連獅子」(約1時間)が演じられた。連獅子は、獅子が我が子を千尋の谷に突き落とし、この試練を乗り越えた子のみを育てるという伝説を踏まえて明治5年に初演された演目。最後に、連獅子(中村芝翫中村歌之助)による毛を頭を振って結構な時間、回すのだが、さすが親の中村芝翫は首が回りかね、苦労しているのに対して、息子の中村橋之助は若いだけあって、元気に力強く首が回っていた。しかし、最後の二人揃っての見栄を切っての終わり方は圧巻で、やはり「歌舞伎」を感じる。

伝統芸能「歌舞伎」を支える「松竹」

このような歌舞伎が何故、現在も人気を博し興行(ビジネス)を持続できているのか。
たまたま、秩父公演の前日に放送された「カンブリア宮殿」で「エンタメを極めて120年 ピンチに攻める! 松竹」を見た。バーチャルアイドルキャラクターである初音ミクと共演する「超歌舞伎」、若手歌舞伎役者が「バーチャルアイドルと共演しライブ配信」したり、バーチャルスタジオで「メタ歌舞伎」の撮影したりしていることを知る。伝統芸能の世界が先端の技術を取り込んでいる。

現松竹社長の迫本氏は、松竹の財務体質を完全するために、資産の見直し・活用を行ってきた経営者。2013年4月に建て替えられた銀座の歌舞伎座オフィスビル棟を併設して安定収入を確保するためであり、それはすべて伝統芸能を維持するためとのこと。安定して儲かる事業を興し、不安定な興行を支えると云う仕組みである。国の補助金に頼らず、民業として大衆芸能として、歌舞伎興行を維持しようとするところに気概を感じる。

参考:「五代目」歌舞伎座が銀座にお目見え 2013.04.02 nippon.com

おわりに

久しぶりに歌舞伎を観て、それを支える民間企業の経営の仕組みを知り、伝統と先進技術のイノベーティブな融合を知ることができた。やはり、必要は発明の母であり、イノベーションを励起することを改めて認識させれらた。コロナ禍を超え、さらにイノベーションした歌舞伎を応援したい。