長年続いているスポーツイベント再考

コロナ禍、そして気候変動(大雨/長雨)が長年続いているスポーツイベントのあり方に見直しの機運を惹起している。いつの間にか、所期の目的が変質し、商業化し、開催意義が問われている。

オリンピック

コロナ禍の中、TOKYO2020が開催された。確かに、アスリートの躍動する姿に感動を覚える。しかし、一方で、予想された通り、コロナ感染が全国で急拡大している。いまの時代に、病院にも行けず、自宅待機を余儀なくされ、自宅で亡くなる方まで出ている。国際オリンピク委員会(IOC)はそうしたことには何ら言及しない。そして、今日からはパラリンピックの開催である。

開催までの過程、そして開催中においても明らかになったのが、IOCそして放映権を持つメディア(米国NBC等)のパワーであった。

IOCは、2032年までの夏冬6大会における米国内での放映権について、米NBCと76億5千万ドル(約7780億円=当時)の契約を結ぶなど、収入の約7割をテレビ放映権料から得ている。たとえ無観客でも、大会が開かれれば、放映権料を受け取ることができる。IOCは支出の約9割を、アスリート育成や世界各国の五輪委員会や競技団体への分配に使っているとしている。
出典:五輪開催に突き進むIOCの本音は 放映権料に分配金… 朝日新聞デジタル 2021年5月10日 17時20分

 NHKと一般社団法人日本民間放送連盟で構成するジャパンコンソーシアム(JC)は、2018年の平昌冬季オリンピック、2020年の東京オリンピック、2022年の冬季オリンピック、2024年の夏季オリンピックの4大会の放送権を獲得することについて、国際オリンピック委員会(IOC)と合意しました。
放送権料は、4大会合わせて1100億円(平昌・東京の2大会が660億円、2022年冬季大会・2024年夏季大会が440億円)で、テレビ・ラジオ放送のほか、インターネットやモバイル端末など、日本国内における全てのメディアの権利が含まれます。
出典:(報道発表)2018年~2024年のオリンピック放送権の獲得について 2014年6月19日 日本民間放送連盟

IOCの開催に向けての振る舞いは、第二次大戦敗戦後の進駐軍を想起させた。開催の可否権限は開催国にはなく、試合の開催場所や日程の差配においてはメディアファーストで、アスリートファーストではなかった。開催都市/国には負担ばかりが増え、何も良いレガシーが残っていない。開催することが最優先であり、目的そのものであった。

サーカーに代表されるワールドレベルでのプロによる大会がビジネス的にも成立しているスポーツ種目がオリンピックに加わる意味はあまりない。開催都市もその負担に耐えられる都市/国は少なく、開催できる都市/国は限られてくる。衛星放送が主体のメディア社会において、1箇所に全て集まって開催する必要もない。

「スポーツを通じて、人間の尊厳を重んじた平和な社会を推進」というオリンピック理念とかけ離れ、巨大な放映権料に左右される商業化されたオリンピックは開催方式、開催内容を見直す時期に来ているのではなかろうか。

▼【オリンピック・パラリンピックのレガシー】2016.10.17 笹川スポーツ財団

▼スポーツ名著から読む現代史 「選手ファースト」からかけ離れていた東京五輪『黒い輪』に見る近代スポーツ大会の病巣 中島章隆 (元毎日新聞運動部長・論説委員)2021年8月19日 WEDGE Infinity

高校野球

大雨/長雨により、夏の甲子園大会が順延を繰り返している。夏の甲子園大会「全国高等学校野球選手権大会」[第1回大会 1915年(大正4年)]は、朝日新聞社日本高等学校野球連盟高野連)が主催している。なお、春の甲子園大会「選抜高等学校野球大会」[第1回大会 1924年(大正13年)]は、毎日新聞社高野連が主催している。

▼全国高等学校野球選手権大会 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
▼選抜高等学校野球大会 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

▼夏の甲子園はもはや限界…豪雨、コロナ蔓延、大赤字の“三重苦”でビジネスモデル崩壊寸前 公開日:2021/08/17 15:00 更新日:2021/08/17 15:20 日刊ゲンダイDIGITAL

そもそも、夏の一番暑い時期に開催することが気候変動により酷暑化している現在においても許されるのか。オリンピック選手でさえ、夏の昼間の試合開催を嫌がり酷暑対策をしていたのに、甲子園大会ではどうなっているのだろうか。

また、甲子園大会(春/夏)が始まると、NHKが最優先で中継放送して、通常の番組はどこかに追いやられる。果たして、高校生が行う野球大会にそこまでの価値があるのだろうか。試合のある地元県のときのみ、地元NHKで放送すればいい。あるいは、全国的な教育的価値があるというなら、NHK教育放送でのみ放映すればいいのではなかろうか。今どき、全国民が全国各地の高校生野球のファンでもない。オリンピックもそうだが、多様な社会を標榜しているいま、「1億総国民」的な感動の押し売りはもういいのではないだろうか。

国体(国民体育大会

国体は、戦後まもなく昭和21年(1946年)に第1回大会が近畿で開かれて以降、各都道府県持ち回り方式で開催されている。毎年、開催県が優勝するという不思議な事が起きていたが、最近はようやくそういうこともなくなったようである。

▼国民体育大会 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
▼国体改革への取り組み 公益財団法人日本スポーツ協会
▼国体は必要か、考える契機に 2020年6月13日 奄美新聞

確かに、敗戦国となり、焦土と化した国土の振興(国体道路等の整備)と体育/スポーツ振興(競技施設整備、スポーツ普及等)という目的はよく分かる。一応の成果も上がったと云えるが、各種のスポーツがそれぞれに普及した/している今、これまた、その開催意義が問われている。

おわりに

すべからく長く続くと当初目的が忘れられ、あるいは意義が薄れ、開催することそのものが目的化する。気候変動、コロナ禍という全世界的な危機の中、改めて問い直す時が来ている。「これまでも、これからも」はありえない。時代にあった形への変容を探るのがレジリエントな社会のあり方でなかろうか。