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スマートフォン・ライフそしてクラウド・ライフへの移行

最近、スマートフォンを某通信会社のiPhone5に変えた。2年前に携帯電話から切り替えて購入したスマートフォン(アンドロイド系の台湾メーカー製)と比べ格段に進歩している。電池寿命も良くなっている。WEBのサクサク感がすごい。マニュアル無しで使えるユーザビリティもすごい。最初は、アンドロイド系と操作が異なるので戸惑ったがいろいろ触っているうちにわかってきた。表示性能も良い。WEBサイトを見たり、スケジュールを見たり、PCメール(転送設定)を読むだけなら、携帯ノートパソコンは不用である。検索用の言葉の入力はやや辛いが音声入力の認識力も格段に向上しており、さほど問題がないレベルになっている。手軽さとレスポンスの速さを考えれば携帯ノートパソコン以上である。いつでも、WEB社会とつながっている感じがする。

WEBといつでもどこでも繋がるということは、WEB上に自分の情報ストック領域を置けば、いつでも自分の欲しい情報をストックっしたり引き出せることを意味する。いまや、個人レベルあるいは小集団レベルであってもほとんどコストを掛けずにそうした事が可能である。クラウド社会の到来である。スケジュールを書き込む手帳/ダイアリーをパソコンのスケジュールソフトに切り替えて久しい。当初は、ローカルのパソコンに専用ソフトをインストールして使用していたが、時々、パソコンがクラッシュしてスケジュールが消えてしまい、これまた大いに困った。
パソコンがクラッシュすると、スケジュール以外にもHDに保管してあるいろんな資料が消えてしまう。大抵が、バックアップをとらなくてはと思っている矢先にそうした事態が発生する。レスキューに出しても完全には復旧できない。
2年前のクラッシュを機会にスケジューラーをGoogleカレンダーに全面的に切り替えた。ToDo並びにToDo出来たことも書き込み、ToDoList&日記メモ的機能を併せ持たせている。スマートフォンで手帳と同じように何時でも見れる。このバックアップとして、ローカルの自宅パソコンにGoogleカレンダーと同期する別のスケジューラを入れてある。クラウドが主で、ローカルがバックアップという従来とは逆の発想である。
PCメールもクラッシュに備えて、すべてのPCアドレスのメールをGmail経由での受発信にしている。最大5つのメールアドレスまで可能なので、5つのアドレスのメールをすべてGmail でやり取りしている。時々、ローカルのパソコンのメーラーを立ち上げてバックアップ的に動かしている。こうすると、Gmailの「連絡先」に電話番号も入力しておけば、そのままスマートフォンの電話の連絡帳と同期できる。電話帳を改めて作成する必要がない。クラウドにあるので電話帳をなくして困ることもない。
スマートフォンのデジカメ機能も向上し、記録代わりに撮る分には全く問題ない。ちょっとした専用デジカメと変わらない。100円弱の有料ではあるが手書きメモソフトをスマートフォンにインストールすれば手書きメモも可能となる。紙の手帳と変わらない。
かっては、紙に出力して持ち歩いていた案内図や乗り換え案内もスマートフォンで見れる。
さらにスクラップしていた記事も、そのままEvernoteクリッピング出来る。業務用の各種書類もDropboxにおけばクラウドにバックアップでき、かつと仲間と共有できる。いろんなサイト見ていて、欲しい物があれば、amazonwishlistに投げ込めばamazon商品と一緒にリスト管理してくれる。いずれも、スマートフォンでみることが出来る。
EnernoteやDropboxはPDFも扱えるので、各種の印刷資料をスキャンしてPDF化すれば紙資料は廃棄できる。ペーパーレス化が出来る。自炊するまでは時間がなく、過去の膨大な紙資料、書籍、報告書の類に手はついていないが、その内、したいと考えている。
要するに、いまやすべてのものをデジタル化でき、かつそれをクラウドに置け、そしてクラウドに置いた情報をいつでもどこででもスマートフォンで扱えるということである。
かっての電話、デジカメ、スケジュール帳、メモ帳、紙の地図、紙の切り抜き記事等がスマートフォンという端末デバイスに集約されてしまった。このデバイスは、twitterFacebook,LinkedInといったSNSともつながる。衝撃的な生活文化のイノベーションである。
こうした生活文化のイノベーションは勝手のソニーウォークマンと似ている。そのソニーが今回のイノベーションのプレヤーになれなかったのは寂しい。ものづくりの国を自認する日本の端末メーカーは端末機器の製造でさえ、主導権がない。 機器の製造という断面でなく、機器を使った生活文化をイノベートする仕組みを提案しなければもはや世界で主導権を握れない。いつまでも「ものづくり」にこだわっていては、明日の日本に未来はない。新たな文化の創造こそが日本に必要である。そして、文化創造は成熟した国でこそ可能である。発想を転換したい。