「マネー」について

リーマン・ショックギリシャ・ショック、そして次は・・・。

世界の至る所でマネーが暴れている。

4月16日には、米証券取引委員会(SEC)が米金融大手ゴールドマン・サックス(GS)を詐欺の疑いで提訴した。

そもそも「マネー」とは何か。きちんと、その歴史と本質について、学校で教わったことはない。そこで、今回、あらためて、「マネー崩壊」という本を読んでみた。

マネー崩壊―新しいコミュニティ通貨の誕生 著者:ベルナルド リエター 販売元:日本経済評論社 発売日:2000-08 おすすめ度:4.0 クチコミを見る

本書の著者である「Bernard A.Lietaer べルナルド・リエター」は欧州通貨「ユーロ」の創設に携わった実務者であるが、きちんとしたプロフィールが訳書にはどこにも記載がなく、詳細は不明。訳者・解説者はちゃんとあるのにおかしい。一方で、霞が関の官僚(当時、関東通産局総務企画部長)で、エコマネー・ネットワーク代表という立場での解説者による我田引水的な冒頭の紹介と巻末にかなりなボリュームの解説がある。こんなものは不要である。解説者が提唱するエコマネーの便乗PR本的で、訳本のつくり方がおかしい。

訳本のつくり方の問題はさておき、本書のオリジナル本は1999年刊、訳本は2000年9月刊で約10年前であるが、「Whole Systems approach」の考えに則り記載されているマネーの歴史的事実、本質論は現在においても十分参考になる。

本書に記載されているマネーの歴史や本質論、さらには日常生活におけるマネーの働き、さらには会計・税務等を資本主義社会に活きる基礎的教養として、高校か大学時代にきちんと学んでおきたいものだ。そういう教育体系があってしかるべきである。従って、税に対する認識も薄い。結果、行政や政治に対する関心が薄い。衆愚政治ではなく、群衆智を活かす社会の仕組みづくりが不可欠である。そうしないと、個人力が問われる今後の世界で日本はその活力を失い続けていくことになるであろう。大いなるリスクである。

さて、そもそも、「お金の始まりは銀行への債務である。そして、債務を返すことによってお金は元々の無の中に消えていく」。換言すれば、お金とは誰かが借金(負債)することにより創造され、利子によってさらにお金が増える(信用創造される)。従って、「負債がすべて返済されればお金は消えてなくなる」ということになる。「信用創造機能(お金の錬金術)は、銀行がその保持する預金より多くのお金を創り出すことからそのように呼ばれることになった」ということである。つまり、常に誰かが借金し、元本に加え金利信用創造)を払い続ける構造が現在のマネーシステム、銀行を支えている。住宅ローンを借りて返済している一般人はもっと銀行から感謝されていい。

本書で、5000年にわたるお金の歴史を研究したグリン・デービスの言葉として、「現在にいたるまで、お金には二回の重大な変化があった。一つ目は硬貨鋳造から紙幣を印刷するようになった中世末期で、二つ目は電子マネーが発明された私たちの時代である」と紹介しているが、著者はこれに加えて「一つ目の転換は、銀行に当時の統治層にお金を発行する主役の座をもたらした。二つ目の転換は、新たな電子マネーシステムの覇権を得たものが究極的にお金の発行権を握ることになるだろう」と指摘している。要するに、技術が変われば主役のプレーヤーが変わるのはどの分野でも同じだということだ。

さらに、デリバティブ金融商品から金融上のリスクを一つ一つ取り外し、リスクレベルが違う商品を別々に取引できるようにすること)を例に、「リスクを移し替える金融商品は、そのリスクを扱えない人に移す」という言葉を紹介している。金融機関の本質は、リスクをテイクするのではなく、トランスファーすることにある。要するに、知識のないものにババを押し付けるということである。グローバル金融に於いて日本の金融機関がどればババをひかされたことか。

そして、現在の銀行には、一般商業銀行、中央銀行、そして国際機関(国際通貨基金IMF国際決済銀行BIS)があることは誰でも知っているが、中央銀行に3つの形態があることを知っている人がどれだけいるだろうか。本書によれば、次のようになっている。

1.私立中央銀行スイス連邦国立銀行、アメリカ連保準備銀行、イタリア銀行、・・・

2.政府所有の中央銀行:英国、フランス、中国、・・・

3.私公混合型の中央銀行:ベルギー、日本、・・・

IMF:世界中の中央銀行の監察(グローバルな経済警察)

BIS:中央銀行中央銀行(10の中央銀行+ホスト国スイスによるプライベートクラブ)

このような国家的なマネーシステムによる通貨を「国家通貨」と呼ぶが、著者は現在の国家通貨は次のような特徴を持つと指摘している。

・国家が発行する通貨は、自国民同士での経済的関係を円滑化するので国家意識を高める効果を有する。

・使用者間で競争を促進するように設計されている。

・永続的な経済成長を可能にしたエンジンである。

・個人が財産の貯蓄をすることを奨励し、従わない人は懲らしめる。

そして、この国家通貨は「価値の貯蓄としては全く適していない」ため、価値を守るには運用する必要があるが、いまやこの「通貨そのものを運用する通貨市場すなわち外国為替市場の殆どが投機的取引となり、実体的取引はほんの僅かな位置づけに過ぎなく」、「もはや、外為取引額が大きすぎて、中央銀行の外貨準備高でもカバーしきれない」という。

国家通貨すなわちグローバル通貨は実態の取引(交換の媒体)機能ではなく、通貨そのものが商品として取引されているということであり、商品(お金)を持たないさらには新たな負債(信用)を生み出さない人々、事業体、地域コミュニティはそうした経済下においては切り捨てられる運命にある。

しかし、こうした切り捨てられる世界においても、生きるため、事業のための行為・仕事はいくらでもあり、交換の媒体としての通貨は不可欠である。この意味での通貨がグローバルに通用する国家通貨である必要はなく、当該コミュニティが交換の価値を認め、信用すれば足りる。これが本書のいうところの「補完通貨」である。マイレージやカードポイントも特定のコミュニティ内で通用するりっぱな交換媒体(通貨)である。VIRヴィア(ヴァイ銀行)のように、補完通貨は中小企業というコミュニティにも有効である。著者は、「補助金や税金に頼り切っていた多くの社会問題対策を完全に自立したメカニズムに変えることができる」と指摘している。

この補完通貨と通常の国家通貨との違いの最たる点は利子の有無である。著者の言によれば「銀行への債務によるお金の創造プロセス(フィアット・マネー)システムが機能(お金の価値の維持)するためには、欠乏状態を人為的、制度的に導入し、維持しなければならない」。欠乏状態は自ずと当事者間の競争状態を惹起する。こうした競争経済の循環の仕掛けが「利子」である。「現在の金融システム(利子)は私たちに借金を負わせ、お互いに競争させるようになっている」のである。利子があれば、当然ながら利子率以上に経済成長(儲け)しなければ破綻する。利子率が必要な成長基準をを決めることになる。さらに、当然ながら、利子のつく資産を有する富裕層に、利子を払う層から富が移動する。個人の能力は関係なく、これは仕組みがもたらす事実である。この国家的是正策が所得再配分の仕組みである。

さて、時代は、現在のマネーシステムを生み出した”工業化社会”とは全く異なる”WEB社会”の本格的な到来を迎えている。当然、通貨の概念、そしてマネーシステムも変化して然るべきであろう。そもそも、”情報”はこれまでの経済物とはかなり様相を異にする。本著では、それを次のように紹介している。「情報は知識を創造するための原料である」、「情報は共有されるものであり、交換するものではない。非競合製品である」、「情報は膨張する。不足には陥らない」、「収益逓増の法則が当てはまる」等々。然りである。要するに、情報には”稀少性”が働かないのである。「少数の人だけが持ち、多くの人々が持てない、というのがこれまでの物の本質であり、それに起因してヒエラルキーが形成されていたが、もはや所有権、特権、地理的要素は情報や知恵の入手・分析・使用において、それほど重要ではない」ということになる。

WEB社会の進展は、マネーシステムの根幹をなす通貨の電子化を加速させている。通貨の現物を見ることなく、消費社会を過ごせるし、投資社会に参画できるのである。著者は、「一般投資層に拡がったオープンファイナンスの世界で勝利者となるのは、国家通貨だけではなく、価値そのものをネット上で移動することに成功する企業」であり、「国家通貨だけを扱おうとする決済システムは構造的に不利になる」と指摘する。「資本主義とは、市場においてお金の流れを利用して、社会における参加者全員で資源を配分するシステム」であり、今や、その参加者、そしてお金が劇的に変化している。それは、金融業の業態そのもののイノベーションを惹起するであろう。こうした流れを、政策・制度で抑えることは許されない。

ここにおいて、過剰な競争性・成長性をグローバルレベルで引き起こしている現在のグローバル通貨システムのみに頼ることなく、そうした弊害を抑制し、地域社会や高齢社会、さらには環境社会を併存させる多様な補完通貨(持続可能性)を組み込んだ総合的なマネーシステムを組み上げることの必要性が認識できる。

そもそも、持続可能性とは、「未来世代の前途を損なうことなくニーズを満たす」ことであり、豊かさとは「できるだけ多くの人が物質的に十分な選択の自由を提供され、それによって、できるだけ多くの人に情熱と創造性を表現する機会が与えられる」ことであり、「持続可能な資本主義を発展させる重要な鍵はその目的を支援するマネーシステムを実施することである」と著者も主張する。

より具体的に、著者は、「国が運営するマネー(国家通貨)システムは競争の原理を社会の隅々まで浸透させ、私たちは経済生活のあらゆる場面で競争することが当たり前のようになっている」が、それを補完する「協働の原理に基づくマネーシステムを作り上げることができたなら、私たちはこれまでのような煩雑な手続きを伴う機制や税制に頼らずとも社会的に望ましい結果を達成することができる」と主張する。これを「マネーイノベーション」と著者は呼ぶ。これこそが著者が本書を書いた理由でもある。

「国家通貨が不足していて、雇用が提供できないなら、それを補うに十分な量のお金を生み出し、より多くの仕事にお金を支払うようにすればいい。世界中の多くのコミュニティで実際に行われている」。一方で、「あなたのコミュニティには全員が一生をかけても終わらないほどの仕事がある」。そこの応えが「国家通貨が果たさない、あるいは果たすことができない社会的役割を果たせるように設計した補完通貨を創ることである」と著者は主張する。その通りである。グローバルな金融資本に富が収斂していく通貨だけでなく、別の価値観に基づく通貨をそうした価値観を共有する社会で発行すればいいということだ。

著者は、歴史的にみても「補完通貨地域通貨システムは経済が困難になった時、失業率が異常に上がってしまった場所に現れてくる」と喝破している。「バーター(物々交換)とは、通貨を全く使わない交換であり、バーターが成立する条件はお互いのニーズとモノがマッチしなければならない」。一方、「補完通貨は、コミュニティ内で、あるモノを交換の媒体として使うという取り決め」である。さらに言えば、バーターを三者間以上で行うときに補完通貨が必要となる。そして、「フィアットマネーとは、何らかの権威的存在によって無からつくられた通貨である。国家通貨はすべてフィアットマネーである。利子があり、競争をメカニズムを内在する。これに対して、相互信用マネーは、ある人とある人が交換をしようと決めたときに、マイナス(debit)とプラス(credit)の形でつくられる。利子はなく、相互扶助によるコミュニティを活性化させ、協働をもたらす」と定義している。

ところで、「現在、世界で最も多い補完通貨は、LETS(Local Exchange Trading System)」とのこと。これも含めて、地域通貨については次のURLにも詳しく書いてある。

「地域通貨・エコマネーの現状と問題点」

そもそも、人類学によると、「コミュニティ創造の鍵は、お互いに与え合うことにある」とのこと。”community”のラテン語の語源は「お互いに贈り物を与え合うこと」。そして、著者は「お互いの贈り物を敬い、いつか何らかの方法で自分の贈り物に対して報いが得られることを信じることのできる人間同士のグループ・集まり」と定義する。歴史的事実として、「コミュニティは、ご酬性のない”お金による交換”が”贈り物の交換”に取って代わると一気に衰退する」と言っているがたしかにその通りである。

WEB社会の進展により、価値観の多様性がより重視される時代に、グローバルに唯一の価値観に基づく国家通貨のみに振り回されることなく、多様なコミュニティに適した補完通貨が併存できる仕組みづくりが今まさに必要とされている。そして、その実現には特段の権威もコストも必要なく、WEB社会流に創造できるのである。私たち自身のマネーシステムに対する覚醒がまずは必要なのかもしれない。