「古代ローマ帝国の遺産」展を観て想ふ

2009年12月4日(金)、国立西洋美術館で開催(9/19〜12/13)されている「古代ローマ帝国の遺産」を観に行った。閉幕間際の週末では混雑が予想されるのであえて平日に行った。常設展示も含めて2時間半程で観終えることができた。

結論から言うと、「う〜ん」という感じ。少々期待はずれ。いろいろ前宣伝で煽っていたので、古代ローマの壮大さに接することができるかと期待していたが、「う〜ん」。主催者が企図する程の思いが感じ取れなかったのは観る側の感性の無さか。「う〜ん」。

何はともあれ、入り口にて1,500円でチケットを購入して入館。チケットの窓口で、高齢の方がワケの分からないイチャモンをつけていたが、最近、ああいう「わがまま」な高齢者をよく目にする。見苦しい。

さて、この展覧会は、古代ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスが一つのキーコンセプトになっている。関連の白大理石やブロンズによる像、さらには硬貨、調度品等が出品されている。教科書とか美術雑誌でみた像もある。あらためて、こうした白大理石の像を間近に見ていると、よくこんなものを彫ったものだなあ、と感心する。

しかし、この展覧会は、もうひとつのキーコンセプトである「悲劇の街ポンペイ」が中心となっている。たしかにヴェスヴィオス火山の噴火で埋もれ、結果して、タイムカプセルとなり、古代ローマ時代の雰囲気を今に伝える街の断片が日本に運ばれ、よく展示されたと思う。これを輸送した輸送業者のノウハウは大したものだ。

しかし、元土木計画屋からみると、せっかく、ポンペイという街を展示・紹介するなら、古代ローマの土木技術、まちづくり思想等を伝えて欲しかった。確かに、展示において「水の技術」について触れられ、水道関連の展示物があった。「水道の弁」など、現在の水道の弁と全く変わらない形をしている。2000年ほど前にこれほどの技術があったとは驚くしかない。こうした技術を駆使して、都市に水が運ばれ各所に水が供給されていた。今に残る水道橋もその一端である。

古代ローマの技術はそれだけではなく、道づくりもまた素晴らしい。古代ローマの拡張を支えた軍事道路(現在で言えば高速道路)や街中の生活道路の技術は素晴らしい。展示写真にあった「ポンペイの道路」はその一端である。ポンペイの道路は馬車を想定した路面、そして表面上では分からない雨水の排水処理が構造として組み込まれている。しかし、展示説明においてはそうしたことには触れられていない。

ポンペイの街、暮らしの復元を最近はやりのコンピュータ・グラフィックスで行なっていて、それはそれでよく出来ているが、見せるだけである。そうした暮らしを支える背景理解にまでは至っていない。もったいない。

ところで、大画面のコンピュータ・グラフィックスを見ている人に高齢者が多いにもかかわらず、用意されているベンチが不足し、多くの高齢者に立ち見を強要していたが、超高齢社会においてはやや問題がある。こうした美術館においても、超高齢社会なりの観客対応が今後の課題と感じた次第である。

いずれにしても、こうした古代の展示展において思うのは、政治・文化的視点での監修だけではなく、それを支えた技術的背景にも留意して欲しいものである。社会は、主体(人、組織等)−仕組み(制度、ルール等)-技術(要素、システム等)の関連づけの中で廻っている。そして、古代の技術はじつは「土木」に集約される。従って、学芸員と土木技術家がコラボレーションすれば、さらに一味違った紹介展示ができるのではなかろうか。ぜひ、そうした仕組みを考えて欲しいものである。

この企画展示のあとに常設展示の方も観て廻ったが、そこにおいて、国立西洋美術館の出自がフランスに残された「松方コレクション」を受け入れるためであったということを初めて知った。松方コレクションは、現在の川崎重工業の初代社長であった松方幸次郎氏が莫大な私財を投じたものである。そのコレクションの展示を見ていると、よくぞこういう物を蒐集・購入できたものだと恐れ入る。美術品に体する眼力もさることながら、その志に敬意を表する。

最近はあまりこのような私財を本当の意味で社会に還元する話が少ない。アメリカでは、ビル・ゲーツ氏をはじめ、いまだこうした流れが残っているが、日本ではほとんど聞かない。あっても、パフォーマン的なものが多い。国民ひとりひとりの「志の高さ」が最近感じられないのは何故だろうか。教育の仕組みの問題なのだろうか。それとも・・・・。問題の根っこは深い。改めて、「う〜ん」!

歩き続け、体もつかれたが、いろいろと考えさせれた2時間半であった。