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ブログ開設のご挨拶

所軽井沢人は社会に生き、ビジネスを営み、そして生活をしています。そこには、社会の生態があり、ビジネス(企業・組織)の生態があり、そして個人やコミュニティの生態が息づいています。もちろん、自然の生態も息づいています。

そして、「生態」の背後には生態が存立している「仕組み」(慣習、法制度、ビジネスモデル/ビジネススキーム等)があります。事象としての生態と意志の反映としての仕組みには常に相克があり、ギャップが発生します。最近はまさにこうした状況を反映した問題諸相が顕在化しています。

それは見方を変えれば、時代の流れの中で「相転移」が起きている萌芽かもしれません。社会的な意味での「カオスの縁」かもしれません。一つ一つの事柄が例え些細な「ゆらぎ」でも大きな影響をその後に及ぼす可能性を否定できません。

時代構造、社会構造の変化が基底あるいは深層で起きている可能性を秘めているとき、表層の変化を単純に見ているだけでは基底あるいは深層で起きている変化の本質を見極めることはできません。

然るに、昨今の風潮はどうも逆の流れにあり、表層を捉えた単純化・簡潔化がもてはやされています。すべてが「軽い」世の中となっています。このような流れの行き着く先が心配です。もっとじっくり事の本質、変化の本質を見極め、事に当たる必要があります。

私たちの身の回りに起きている一つ一つの事象なり事案をじっくり観察し洞察することが重要です。これは、P.F.ドラッカーの言うところの「社会生態学」につながります。ドラッカーは、自らを社会生態学者と規定し、「自然生態学が生物の環境を研究するように、社会生態学は、人間によってつくられた人間の環境に関心をもつ」と言っています。(『すでに起こった未来』)

この「人間の環境」を代表するものとして、「生活(個人)社会」があり、「ビジネス(組織・企業)社会」があり、そしてそれらの総体としての「社会」があります。

人は40〜50歳までは生活社会においてもビジネス社会においても、ある意味で「勢い」だけで生きられます。しかし、そこを過ぎるとさすがにそうはいきません。そこからが個人としての真の生き様を問われることになります。組織に乗っかった力ではなく、個人の力として「社会に何を残せるか」が問われるわけです。「粗にして野だが卑ではない」生き様が問われるわけです。

勢いだけで生きてきた50歳までの「勢い人生」時代を終え、本当の意味での「生き様」を、そして「社会に何を残すか」が問われる「本格人生」の時代に入った者の責務として、社会生態学的アプローチで、身の回りに題材をとり、徒然に語り、問いかけたい。結果して、その足跡が時空を超えて社会に価値あるものになることを願い、ここにブログを開設しました。

多様な方と本ブログを通じてコミュニケーションでき、時代へのささやかな「波紋・ゆらぎ」の起点となることを念じつつ、開設のご挨拶とさせていただきます。