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「政権党」という用語の台頭

最近、「政権党」という用語がにわかに浮上している。本日の東京新聞の朝刊(2009年7月19日)によれば、「民主党は、政権を担当する政党の呼称に関し、従来の『与党』は意味があいまいで政治の責任を不明確にしているとして『政権党』に改める」と報道されている。

この日本において「政権党」と呼ばれないことについて、日経ビジネスONLINEの竹森 俊平氏ジェラルド・カーティス(Gerald L. Curtis)氏との対談において、ジェラルド・カーティス氏が次のように述べている。

「今でも政府与党連絡会議のようなものが開かれるでしょう。このことをやる議院内閣制の国は日本以外にはない。要するに日本の場合、官僚が構成する『政府』と与党が一緒になって政権を運営するという根強い伝統は、大正時代にさかのぼります。議会で第1党のリーダーであった原敬が総理にはなったが、官僚の上に立って政権を運営するのではなく、良く言っても官僚は対等な立場で政府の仕事を続けるわけです。それが戦後日本の『議院官僚内閣制』を生み出す。日本の場合、与党と言いますが、政権党と言わないのはこの伝統があるからだと思います。

与党、それから政府。政府は官僚ですね。天皇陛下が指名する偉い官僚たちが与党と一緒に政権を組む、この伝統が今でも生きている。今、民主党脱官僚政治などと言っていますが、彼らは、与党の政治家が官僚と一緒になってやるのが日本の政治という発想そのものを根本から変えないと、本当に政治主導の政権はできない。与党から政権党へと発想の転換が今の日本に必要だと思うんですね。」

このジェラルド・カーティス氏は2009年7月5日の東京新聞のコラム「時代を読む」においても、「自民党民主党に提案したいことがある。それは、今度の総選挙の結果、どちらが勝っても、その党は自分を『与党』と言わないで「政権党」と呼ぶことである。」と呼びかけている。

日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ (中公新書)この「与党」、「政権党」についてきちんと解説している本がある。飯尾潤著「日本の統治構造 官僚内閣制から議院内閣制へ」、中公新書、2007年7月25日初版 である。

この本によれば、日本の場合、与党は「政権党と同義語のように思われているが、『政府・与党連絡会議』なるものがあるとおり、政権と深い関係を持つ政党」という意味合いになるが、これは議院内閣制の意味からすればおかしい。「政党は政権の座にあれば政権党と呼ばれ、政権を手放せば反対党と呼ばれる。この当たり前のことが忘れられがちなところに戦後日本政治の問題点があった」と明快である。

さらにこの本によれば、「議院内閣制では、政治家が立法府を構成するとともに、立法府の政治家の一部(政権党幹部)が、行政府の上層部を構成する。つまり、立法府と行政府の主体はどちらも政治家でなければならない。そして政治と行政という対比は、行政権内部における仕分け」であり、一般に思われている行政を担うのは官僚という常識にも警鐘を鳴らしている。

この本は元々、世界の共通認識と異なる形で日本で誤解されている「議院内閣制」とはそもそもどういう制度であるかを明らかにすることを通して日本の統治構造の過去・現在、そして未来を視座している本であるが、この種の本としてなかなかおもしろいし、分かりやすい。永田町(国会議員)と霞ヶ関(官僚)の世界が簡潔ながらも的確に描かれている。長年、霞ヶ関界隈で仕事をしてきた経験者からみても、ほとんどの描写、指摘に納得する。かなり、この世界に通じていることが伺える。そして、そうした事実を踏まえて的確にそうした事象を言葉として整理・表現しているところがすばらしい。

例えば、日本国憲法により民主化され、体制転換が図られたにもかかわらず、戦前から続く「内閣制」の延長線上で「議院内閣制」が「官僚内閣制」的認識に絡め取られて継続し、それは当然に「省庁代表制」をもたらし、そこにおいて各省庁が自律性を確保したとき「省庁連邦国家としての様相を呈すると活写する。この「官僚内閣制」「省庁代表制」「省庁連邦国家」という言葉だけで、戦後日本政治の統治構造のスキームが何となくイメージできる。

この本の著者は「議院内閣制の最も重要な特質は、行政権を担っている内閣が、議会の信任によって成立していることである」とし、「有権者国会議員を選挙して専任することにより、国会議員有権者の代表として、その権限を得る。次に、国会議員が内閣の組織者としての首相を選任することで、首相は内閣を組織し、それを運営する責任者としての権限を得る。さらに、首相が行政権を行使するために、複数の国務大臣を選任し、内閣の構成員とする。各大臣は分担して行政実務を行うが、その際に各省庁の官僚による補佐を受ける。官僚の行動はあくまでも大臣の補佐者としての権限に由来する。この連鎖によって、例えば官僚の行動を有権者が最終的にコントロールできる可能性が生まれるのである」と明快に整理している。

しかし、こうした権限連鎖の仕組み国会議員を始めとして国民がどれだけ認識しているか。大臣でさえはなはだ疑問である。「多くの大臣は議院内閣制における権限委任関係を忘れ、任命されたとたんに、所轄官庁の代表として振る舞うことが多くなる」。すなわち「政党政治家を内閣の主体と考えず、省庁の代表者が集まって内閣を構成するという認識」が生じ、結果として「官僚からなる省庁の代理人としての各省大臣が集合する内閣という意味での『官僚内閣制』」が実態として出現するが、この理由に「憲法上の内閣総理大臣の権能を制約する内閣法により、各大臣による『分担管理原則』が規定されている」からと知り驚く。著者の言う「省庁代表制」も宜なるかな。

何れにしても、戦後以来初めての政党間における政権交代が現実味を帯びてきた現在、まさに政権党のあり方が問われている。本来的な意味での議院内閣制が機能する機会が到来するとき、そこにおいてはあらゆる方面で新たな仕組みの創発が必要とされる。

いまこそ、「群衆の叡智Wisdom of Crowdsを持って事に当たりたいものである。