[劔岳 点の記」を観る

一昨日(2009年5月29日)、「新田次郎」原作、カメラマン「木村大作」の初監督作品、そして浅野忠信香川照之松田龍平宮崎あおい等出演の「劔岳 点の記」の試写を東商ホールにて観た。監督兼撮影の木村大作氏は黒沢監督作品の撮影助手を経て、「八甲田山」や「鉄道員(ぽっぽや)」等のカメラマンをしてきた経歴からして、雪を舞台にした映画づくりのプロといったところか。

恥ずかしながら、試写会に行くまで、「劔岳」の場所も分からず、「点の記」の意味を知らなかった。会場入り口で富山県の広報誌を渡され富山県内の山と知り、映画を観て、地図作成のための三角測量の基準点となる三角点の「点」の「記」録という意味であることが分かった。

学生時代、授業で三角測量の実習をした経験があるから、それだけでこの映画に親近感が湧いた次第である。その意味では、黒四ダム建設を題材にした「黒部の太陽」に続く土木系の第二弾の大型映画といったところか。

黒部の太陽と違う点は、この映画の主人公は自然であり、俳優ではない。加えて、ものすごくストイックである。新田次郎らしい。ところで、この新田次郎の息子が「国家の品格」を著した藤原正彦氏であることも入り口で配られたパンフで知った。

帰ってきてから改めて、剣岳のことを調べると立山連峰にある標高2,999mの氷河に削り取られた氷食尖峰で、一般登山者が登る山のうちでは危険度の最も高い山とされているらしい。それ故か、陸軍参謀本部の陸地測量部の地図作成上、最後に残された三角点の未設置場所となっていたのは。その最後の三角点の設置を題材としたのがこの物語であり、映画である。

陸地測量部といっても一般の方にはあまりおなじみがないと思われるが、戦後までの地図はこの陸地測量部が製作していたのである。従って、明治以降から戦前の間の地図にはこの陸地測量部という記載が観られる。(戦後は、国土地理院がこの業務を行っている)

なぜ、軍が製作するかという疑問が起きるかもしれないが、地図は古来より第1級の軍事機密であったからである。現在でも、国によっては地図の取得が難しい場面も少なくない。Googleアースはそれを一気に破壊するものであり、驚異に感じている国も少なくないのではなかろうか。

さて、最後に残された三角点の設置のための劔岳への登頂が、マスコミ(新聞)により、日本山岳会メンバーとの劔岳の初登頂競争化として煽られる。これは現在も変わらずと言ったところか。

結局、1907年(明治40年)7月の柴崎芳太郎をヘッドとする陸地測量部隊が日本山岳隊に先んじるわけであるが、修験者のものと思われる錆び付いた鉄剣と銅製の錫杖を発見する。つまり初登頂ではなかったという”落ち”である。このことを持って、陸軍本部の評価は冷たいものとなる。時代は変われど大きな組織になるほど、上層部は世間体と保身に終始し、責任を取らない体質は変わらない事を映し出している。

さらに、柴崎芳太郎らは山頂には立ったものの、標石のない四等三角点としたため、三角点の設置場所を記載する「点の記」は作成されなかった。これもまた、タイトルに「点の記」と謳いながら成就せずという結末であり、あくまでも、結果はハッピーエンドとはならない。そういう構成の中で、一服の清涼剤となっているのが柴崎芳太郎の新妻役の宮崎あおいの演技である。

しかし、この映画のシーンを観ていると、演じている役者はもちろんであるが、撮影隊の苦労が忍ばれる。どのようにしてあのシーンを撮ったのか、よくあのような場所まで機材を運び上げたものだと感心する。カメラマン監督の執念を感じる。

この映画は6月20日より全国ロードショーとのことであるが、事前にいろいろ調べて観に行った方がおもしろいと思う。少なくとも三角点の意味や陸地測量部の歴史を知っていないと物語の背景の理解が難しい。普段何気なく見ている地図がどういう仕組みで出来上がっているのか、この映画でその一端をかいま見ることができる。現在で言えば、カーナビのデジタル道路地図がどういう仕組みで出来上がっているのか、思いを馳せて欲しい。

最後に、あのパノラマ画面は前の席の方で仰ぎ見た方が臨場感が増す。是非、前の方の席で観ることをお勧めする。

何れにしても、いろいろなことを改めて認識させられるとともに、現在失われつつある「ひたむきさ」のなせる業に思いを馳せる良い映画であった。試写会では珍しく終了後に拍手が湧いていた。これがすべてを物語っている。