[書評]クラウド化する世界 −ビジネスモデル構築の大転換−

ニコラス・G・カー著、村上 彩訳、2008/10/9初版第1刷発行、翔泳社

本書は最近話題となっている「クラウド・コンピューティング (cloud computing) 」がもたらすビジネスモデル、さらには社会・経済への影響を解き明かしている。

そもそも、「クラウド・コンピューティング」とは、

 *システム構成の観点では「ネットワーク・コンピューティング」

 *ソフトウェア提供方法の観点では「SaaS(Software as a Service)」

 *支払い方法の観点では「ユーティリティ・コンピューティング」

 *サービス提供事業者の観点からは「ASP(Application Service Provider)」

などを、ユーザーの視点から見た用語(総称)である。<ウィキペディア(Wikipedia)より>

要するに、インターネットを経由して、梅田望夫「WEB進化論」でいうところの「あちら側」の「情報発電所」から提供されるITサービス(アプリケーションソフトの利用やデータ保存等)を電力や水道と同じように必要なときに必要なだけ利用し、使用料に応じた料金を支払うというものである。PCはソフトのインストールもデータ保存することなく、単なるインターネット(の先にある情報発電所)への接続装置と化す。

このような「クラウド・コンピューティング」の用語の定義から見て分かるように、この用語は「古いものをもう一回上塗りし、具体的で、良く理解された技術を漠然とさせるために作り出されたマーケティング用語」であり、「この言葉の使用をやめるべきだ」という否定的意見も一部である。

しかし、ある一つのシステムが社会的なインフラとして育ってきた段階で、統括的な名称は必要である。電力や水道などをユーティリティ系のインフラと呼ぶが、いまやIT分野においても同様の形態での使用が可能になりつつあり、そうしたサービスを消費者サイドの視点からは「ユーティリティ・コンピューティング」ではなく、『ユーティリティ・ITサービス』と呼ぶのが適切ではなかろうか。

著者は、人類の動力源の変遷に伴うビジネスモデルの変化を比喩として次のように例示する。人類が機械を動かす際の最初の動力源は筋力(人、動物)そのものであった。そして、最初の大きな工業動力源は水車による水流の動力化(水力システム)であった。次いで、18世紀に蒸気機関が発明された。そして、第三の動力源として登場したのが発電機であったが、それまでの習いで、各工場は自社の建物内に自前の電力供給システム(直流システム)を築き続けた。ここに、電力を遠くまで送電可能とする交流電流システムが登場して、規模の経済が働くようになった。そして、この中央発電所システムは顧客拡大(いまで言う発電所M&A)がビジネス的に不可欠であるがそれを可能にした技術が、発電所や供給先の機材を代えることなくネットワーク化できるコンバータ技術と、顧客の負荷率を測る需要メーターの技術であった。これにより、多様な需要家の組み合わせによるロードバランシング(需要分散)が可能となり、低価格を実現した。一方、需要家側は動力源確保のための固定費や要員を削減したり、技術の陳腐化や故障リスクを削減することができるようになった。加えて、需要家の不安を払拭する戦略的マーケティングを実施した。こうして、一気に私設発電所の時代は終わり、中央発電所(ユーティリティ)が勝利したのである。

つまり、産業革命が動力革命をもたらし、特に電力の発明は大きかったが、当初は遠距離への送配電技術がなく、ネットワーク概念もなく、個々の工場で自家発電し、自家使用していたが、これはITで言えば、メインフレームコンピュータ時代、そしてその進化形としてのパーソナルコンピュータ時代と同じ形態であったということである。そこに、電力供給者が巨大な中央発電所で発電し需要家(工場、家庭等)に交流電流ネットワークにより供給(送配電)することで「規模の経済」を実現し、いまでいうところの品質向上、低価格化を実現し、電力供給システムを一変させ、引いては製造業(産業)や家庭(生活)のあり方を一変させた。ネットワークは構成要素の規格がなければネットワークとしての規模の経済を発揮できない。電力は、60サイクルで生産され、120ボルトで供給された。これにより、電力需要(=供給)を刺激し、電化製品への需要を刺激した。電化された組み立てラインは安価な自動車の供給を可能とし、自動車時代をもたらした。

これはITで言えば、インターネット(コンバータに相当)や光ファイバーケーブル(交流電流ネットワークに相当)がユーティリティ・ITサービスをもたらし、Google検索エンジンサービスはその象徴的先駆けであるということである。

著者は、「発電機が20世紀の社会と我々を形成した機械としたら、情報の発電機こそが21世紀の新しい社会を形成機械となるだろう」という。「100年前に人類は、テクノロジーが人間の身体的能力を超える瞬間に到達したのである。そして今日、我々はテクノロジーが人間の知的能力を超える時を迎えている」と興奮気味に語っている。

日経新聞 夕刊(2009年2月17日)7面「これも知りたい」によれば、東急ハンズが米Googleの提供するサービス(電子メールやスケジュール管理等のソフト)を一人当たり年6千円で利用することで、年間経費が自社でシステムを構築していた時の半分(約15百万円)になったということである。日本IBMも昨年夏にサービス拠点を開設し、米マイクロソフトも参入を表明しているとのこと。押っつけ、日本企業の参入も当然予想される。SIer、ベンダーのビジネスモデルへの影響は必須である。

要するに、100年前に起きた電力を取り巻くビジネスモデル、産業・経済システムの変化がいままさに、ITサービスの世界で起きつつあるということである。従来型のビジネスモデルの雄であったマイクロソフトビル・ゲイツの引退はまさにビジネスモデルの変化の象徴かもしれない。ビル・ゲイツ自身は10年前にそうしたビジネスモデルの変化の潮流を認識し自社社員に警告を発していたが。 

電力システムもITシステムも使い方自由の汎用技術であり、ネットワークインフラである。だからこそ、規模の経済が働く。現在、各企業は自前の専用システム「クライアント/サーバーコンピューティングシステム」を莫大なコストをかけてを構築し、IT要員を自前で抱え込みメンテナンスしている。そこに、SIer、ベンダー等々いろいろな関連業種が群がる。レガシーシステムはその最たるものである。しかし、1社で投資したシステム(バックアップシステムを含む)の能力を年間を通じて使い切ることはまずあり得ない。つまり、投入する労働力、設備能力ともに過剰投資にならざるを得ない。時間に応じて能力、サービスをシェアするのが経済的に合理性を有することは論を待たない。逆の側から見れば、ロードバランシング(負荷分散)でもある。つまり、巨大な情報処理センターによるユーティリティ・ITサービスが今後の主流となることは必定で思われる。そして、その安定的稼働、情報保護等を考えれば、電力と同じように、公益企業的性格を有する供給者にシフトして行かざるを得ないであろう。

著者は「新技術の変革力の本質は経済的選択肢を変化させることにある」という。クラウドコンピューティングシステムすなわちユーティリティ・ITサービスは大規模なIT投資が出来なかった中小規模の企業、あるいは急成長企業でIT投資に資金を回す余裕がなかった企業にとって、最先端の技術レベルのITをサービスとして利用できる選択肢を提供する。

「ネットワーク化されたPC、携帯電話、ゲーム機等々は巨大なコンピュータネットワークのノードの一つ」ということであり、「ネットワーク上において提供されるコンポーネントを様々に組み合わせ可能」である。換言すれば、「プログラミング可能である、あるいはいわゆるマッシュアップ」である。この結果、多くの新興企業がユーティリティコンピューティングネットワークを利用することで、「従業員がほとんどいないまま成長事業を立ち上げられる」ようになったと言う。

その事例として、次の4社についても取り上げている。

1.ユーチューブ:2005年初頭に使い勝手のよい動画共有サービスを立ち上げようと思い立ち、2005年5月にビデオの放送テストに成功し、ベンチャーキャピタルから350万ドルの資金提供を受け、2005年12月、公式にビジネスを開始。10ヶ月後、16.5億ドルでグーグルに売却。このとき、創業者3人、従業員60人。従業員一人あたり市場価値2,750万ドル。

2.スカイプ:イーベイが設立後2年のSkypeを買収した金額は21億ドル。顧客数は5,300万人。従業員はわずか200人。

3.クレイグリスト:毎月1千万人を超える閲覧者が50億ページを読む。22人で運営。

4.PlentyOFfish:毎日30万人がログインして1ヶ月約6億ページが閲覧されるオンライン系出会いサイトPlentyOFFfishは創業者の一人の運営。

参考:マイクロソフトは従業員7万人、従業員一人あたり市場価値400万ドル。ウォルト・ディズニーは従業員13.3万人、従業員一人あたり市場価値50万ドル。

こうした事実が証明しているのは、従来型のビジネスが”収穫逓減”なのに対し、売れば売るだけ儲かる”収穫逓増”型のビジネスが成立しているということだと著者は指摘する。確かに、ユーティリティコンピュータネットワーキングはある意味でフリーライダー的な仕組みであり、かつ物理的制約がない。加えて、参加者が増すほど価値が高まるネットワーク効果が働くため、収穫逓増型が成り立つのだろう。

このことは、従来型企業の雇用減少を招くだけでなく、全体としての1社あたりの雇用者減少を招く。「機械がブルーカラーに取って代わったように、コンピュータ化はホワイトカラーに取って代わる」ということだ。一方で、無報酬の参加者がサイト運営に協力する。これを「社会的生産」と訳書は訳しているがおもしろい表現である。しかし、なぜ無報酬で協力するのか、それは「楽しいから」であり「満足感を得られるから」ということである。

著者によれば、「産業革命以降、大企業への富の集中、高い給料の労働力の雇用(中間階級の形成)が続いてきたが、ユーティリティコンピューティングネットワークの出現は中流階級の崩壊をもたらす」という。「コンピュータ化は世界的な労働市場の平衡を求め、賃金水準を押し下げ、雇用を押し下げる。世界的水平化である。このとき、ごく少数の突出した個人に富が集中する。労働者がソフトウェアに取って代わられ、知的労働が世界市場で取引され、企業がボランティア労働を集約する。誰ものがただで利用でき、遊べるが、利益を得るのはごく少数者である」と言う。このように、圧倒的な多数の無償労働者を活用しながらその経済的対価を集約し獲得することを「クラウドソーシング」という。ユーチューブの創業者はまさにクラウドソーシングして16.5億ドルの経済界価値を独占的に獲得したということである。

これは何となく、ギャンブルでいうところの「親の総取り」、家元制度の「家元」という状況と似ている。要するに、胴元、家元という一部の者しか儲からない。それ以外の者はみんな彼らの土俵の上で踊るプレーヤにすぎない。しかし、本人は楽しいし、資格を得て満足感を得る。まさにクラウドソーシングである。

さらに、著者はこうしたネットワーク化されたコンピュータシステムの危険性にも言及している。「コンピュータシステムは人間解放のテクノロジーではなく、コントロールのテクノロジーである。一部の人に、他人の考え方と行動に影響を与えて、その関心と行動を自分たちの目的の沿うように収斂させる能力を与える。政府も企業も監視・傍受等により、統治能力を強めている」。ユーザは単に個人だけを意味するのではなく、企業、行政府もまたユーザであり、その機能発揮に、もっといえば機能強化に役立つことを忘れてはならない。

功罪いろいろあるにしても、ユーティリティコンピュータネットワーキングあるいはユーティリティ・ITサービスは今後の新たな仕組みづくりの重要なツールでありベースとなる。いろいろと考えてみたい。