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寒風の京都を歩く

この2月1日から2日にかけて久しぶりに京都に行き、散策した。京都は学生の頃は京都大学の大型計算機を使うためによく来ていたが、殆ど駅と計算機センターと宿舎(京都教育文化センターでの蚕棚の部屋)の往復が主体であった。社会人になっても、京都大学に直行で殆ど観光らしきことをした記憶がない。せいぜい京都大学周辺ぐらいしか散策した記憶がない。

朝10:00羽田発の飛行機で大阪伊丹空港へ到着したが、そもそも大阪伊丹空港が現在もこうして存続し営業していることに少々違和感を覚える。

この伊丹空港は航空機騒音が社会問題化し、騒音による社会的費用の初の司法判断が出たことや、その廃止を前提に関西国際空港が開港したはずではなかったのかと思うと、人の気持ち、社会的合意あるいは世論とは何か、そして補償費は何であったのか。社会的問題については、税金が使用されているのであるから、その経緯(予算、決算情報も含めて)をきちんと記録化し、情報公開し、後世の評価に供する仕組みが必要である。それがまた、当事者への牽制にも繋がる。

さて、伊丹空港からは大阪モノレール蛍池まで行き、そこから阪急宝塚線で十三で乗り換え烏丸まで行く。この間約1時間。大阪モノレールの料金は高い。総じて、関西の地下鉄や新交通システムの料金は関東に比べて最低料金が高く設定されている。しかし、私鉄線はそうでもない。阪急線はJR線に比べ約半額程度。車両が古く感じるが、償却が終了しているから安いのだろうか。この辺はよく分からない。ところで、おもしろいのは、駅等のエスカレーターでの乗り方。関東では急がない人は左側に立ち、右側を急ぐ人用に空けるが、関西はその逆。時々、混乱してしまう。何故、関東と関西ではこうした違いがあるのか不思議である。

さて、ホテルに着き、荷物を預け、近くの「二条城」を散策に行く。寒風が吹き寒い。確かに京都は冷える。二条城の歴史を知らなかったが、パンフによると徳川家康が造営し、家光が伏見城の遺構を移すなどしたもので、桃山文化の全貌が見えるとのこと。大政奉還により、朝廷のものとなり、昭和14年には京都市のものとなり、平成6年に世界遺産に登録されている。何れにしても、屋内は暗く寒く、当時の人は本当に住むこと自体が大変であったのでは推測される。気が張っていないと住めない。やわな現代人は恐らくこうした室内環境に耐えられないのではなかろうか。

このあと、遅い昼食を食べようと京都の台所と呼ばれている錦小路通りの「錦市場」を散策する。結構なにぎわいである。確かに、京都の一般人の食の雰囲気が味わえる。しかし、店の人に聞いてみると夕方6時には終うらしい。東京では信じられない。

そして、夜の京都を満喫しようと定期観光バスによる「夜の京都コレクション」で廻る。いきなり、「京料理」の食事処へ行ったが、正直、「京料理とは何か」が分からない。店の人に聞いても説明できないとのこと。京都の老舗の京料理店を謳うなら店員にその程度の教育はしておいて欲しいものだ。団体の観光客用のテーブル形式ではなく、座敷で食べないと京都の雰囲気も感じられない。少々上品ぶっているだけで、京料理を食べたという感激は何もない。

ギオンコーナー舞子続いて、「ギオンコーナー」へ行く。お茶、琴、花に始まり、雅楽・文楽狂言等と続き、最後は舞妓の京舞を1時間弱ほどで観賞するものである。外国人観光客向けで確かに外国人が少なからずいる。帰る際に演台に上がっていた舞妓さんとの写真が撮れるところが売りか。

最後に、東山展望台に昇り、夜の京都を眺める。うーん、これまた神戸ほどのすばらしさはなく、特段の感動はない。マニアックなカメラ好きの人が望遠レンズで大阪の通天閣が見えるといっていたが、小生の目では確認できなかった。

ということで、約4時間弱、お一人様7,800円。う〜ん、悩ましい価格である。明日は自前で廻ろうと決心。

金閣寺ということで、翌日は「市バス専用一日乗車券カード」\500円を購入して、まずは「きぬかけの道」の出発点となる「金閣寺」を見に行く。昨日とは異なり、風もなく快晴。金箔を張り直したまばゆいばかりの金閣寺が朝日に輝いていた。「逆さ金閣」も湖面にきれいに映えていた。確かに絵はがきそのものである。金箔を貼っているため、ガードマンが目につく。金閣以外も含め庭園全体に手入れの人が多く、これだけの人出をかけるにはお金が掛かるだろうと思わず考えてしまう。そのためか、この後のお寺もそうだが京都の寺社は何もかもお金を取るという拝金主義が少し鼻につく。こうした文化財の手入れに要する費用を目的税的に調達できないか。「ふるさと納税」の仕組みが最近創設されたが、それ以外にも納税者が直接、納税する使途(例えば、文化財保護とか、自然環境保護といったものへの税金投入)を指定できる仕組みが必要である。総てを立法、行政の裁量に委ねる時代ではもはやない。

仁和寺次に「竜安寺」を見ようと思っていたが、金閣寺前のガードマンの方に伺うと、いまは工事中とのこと。いろんなホームページを見たが何処には竜安寺が工事中であるなどとは一言も書いていなった。仕方がないので、バスで「仁和寺」に行く。このお寺は境内が皇室御所として史跡に指定され、平成6年には世界遺産にも登録されている。とにかく境内が広いし凄い。

再びバスに乗って清水寺に行こうとしたが途中、壬生寺の通りの節分祭の人混みが眼に飛び込んできたので急遽バスを降りる。通りの雑踏をかき分けかき分け歩く。何故か懐かしい。この通りの一画には新撰組ゆかりの屯所もあったがここもお金を払わないと見られない。

清水寺さて、いよいよ「清水寺」である。その参道入り口で昼食をとるがこれがまた失敗。店主にうんちくを聞かされ、何が美味しかったと強要され閉口した。参道でいろんなものを歩きながら食べた方がよほど良かったと後で後悔する。清水寺を見て本当のよくこんな構造物を建てたもんだと感心する。現代風に言えば、斜面利用のための土質力学、水の流れの処理のための水理学、木造建築物のための構造力学といった専門知識がないととても建てられないし、構造物として維持できない。確かに、飛鳥以降の寺社建築物の技術水準は凄い。こうした技術、さらには材木がいつまで存在するか、考えさせられる。

八坂神社清水寺からは、「三年坂」、「二年坂」、そして「ねねの道」を経て、八坂神社に着く。このような道すがらの雰囲気は、伊勢神宮前にあったし、各地の宿場町、温泉街と同じである。その日から節分祭ということで結構な賑わいで300円でくじを引くがサインペンでがっくり。このくじの賞品は総ていろんな企業からの提供物(供養物)。さすが、京都はしっかりしている。

祇園町町屋八坂神社から祇園町先斗町に入る。途中、建仁寺にも立ち寄る。この界隈はさすがに京都を感じる。町屋があちこちに残っているし、まさに京都そのものである。最近の野暮なコンリートビルが乱立している現代京都は自ら京都のアイデンティティを毀損している。不思議でならない。奈良・京都はその町全体を保存してこそ価値がある。一部の界隈、一部の通り、一部の建物を保存すればいいというものではない。

そして、最後の締めは、再び錦小路の錦市場。確かに大半の店が店終いしている。この通りを抜けてホテルに着く。さすがに歩き疲れた。

<後日談>この疲れか、京都の寒風か、よく分からないが風邪を引く。