噂の観光スポット「宮崎県庁」

東国原知事が登場してから一躍、観光スポットになった「宮崎県庁」を観てきた。

県庁の玄関脇に観光バスが2台駐まっていた。やはりと言うべきか。まず、入り口の守衛さんの応対からして違う。バスを観ながら玄関を入ろうとすると守衛さんから声が掛かる。他の県庁だとうさんくさそうに監視の目で見られるが、宮崎県庁は違う。にこやかに「どちらから来られましたか」『東京からです』「ごくろうさまです。観光ですか」「この案内書をぞうぞ」と表面に「ようこそ宮崎県庁へ」、裏面に「本館内部のご案内」が印刷されたチラシを渡してくれる。守衛というより観光案内施設のおじさんといった感じである。

昨日、東国原知事が宮崎観光ホテルで行われたさる業界団体の全国大会の会場に来賓としてあいさつしていたとき、県庁への観光来場者は年間60万人にのぼるとのこと。「一人100円取っていれば、6000万円の収入になったのに失敗した」と笑いを取っていたが。因みに、インターネットで調べると、今年の6月11日に50万人を突破したとのニュースがあるから、毎月約3万人ほどが県庁に見学に来ていることになる。

東国原知事写真あいさつが終わって、会場を出たところで、地元マスコミに取り囲まれ、取材を受けていたのでマスコミに混じって近くで聞いていると、やはり中山前国交省大臣の後任出馬の件に話が集中していた。取材陣から「中山前国交省大臣が自分が辞めてその後は東国原知事が出るというのがシナリオとか言っていましたが」と、問われると「なんで他人が書いたシナリオに私が乗らなくてはいけないのか。私は私が書いたシナリオで動きます」と一生懸命話していた。しかし、動く先々で取材陣に取り囲まれ、その人気は大したものである。改めて、生で見て感じた次第である。

さて、県庁内の入り口脇にある県民室(休憩所替わりに使用くださいとチラシには書いてあった)の職員に方に聞くと、終日、観光バスがやってくるとのこと。「県庁は観光施設ではないんですが」といいつつまんざらでもなさそう。1階、2階とざあと観たが建物は昭和初期に建てられた立派な建物で知事室前の廊下も雰囲気はあった。観光客があちこちうろうろしている。たしかに博物館か観光施設と言った雰囲気。廊下に面したドアが全て閉められていて、なかの様子がうかがい知れないのはやや物足りない感じがしないではないが。

県庁と道路を挟んだ向かいには物産館があり、そちらにも観光客がうろうろ。確かに、繁華街にあった商店街よりもこの県庁廻りの方がにぎやかな感じがする。県庁に行く前に、宮崎市内の繁華街特にアーケード街を観てきたが、まさにシャッター通りであった。中心商店街よりも、県庁廻りがにぎやかで活気がある都市というのはある意味悲惨である。

東京への集中が加速する一方で、地方都市の衰退、さらに衰退する地方都市郊外に大型郊外店の出店による中心商店街の更なる衰退、シャッター通り化。そう言えば、県庁の県民室のテレビは大型プラズマディスプレイであったがこれを製造していた地元工場(富士通日立プラズマディスプレイ株式会社)も閉鎖されると県民課の方が言っていた。働く場所もますます減少している。

地方はどうすればいいのか。県庁の観光スポット化以外に策はないのか。

その一つは、「県庁」ではなく、地方にある「大学」の活用にあるのではないか。大学には若者もいるし、将来に向けての知恵だしが可能である。米国のシリコンバレーは大学が拠点となっている。日本の地方大学も「知」で人を集め、企業を集める拠点としてのあり方、あるいはそうなる仕組みを考えていくことが必要とされている。みんなが真剣に知恵を出して考えていくしかない。何とかなるだろう。国が何とかするだろう。代議士が何とかしてくれるだろう。そんな時代ではもはやない。個々人、個々の集団、個々のコミュニティ、個々の自治体が自律するしかない。大いなるパラダイム変化の時期に来ていることをまずは認識すべきだ。

あらためて、寂しい地方都市をみて、そしてふるさとの田舎に思いを馳せながら、考えることばかりであった。