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阿波踊りに想ふ

先週末の日曜日で高円寺や南越谷の阿波踊りも終わったようである。徳島から東京に出てきて30年。一度は東京の阿波踊りも見てみたいと思いつつも未だ果たせていない。

東京高円寺の阿波おどり は、昭和32年に第1回大会が開催され、毎年8月最終土・日の2日間(18〜21時)、JR高円寺駅周辺で開催されているようで、9カ所の演舞場で、約188団体(連)1日50〜70余連の参加、約12,000人の踊り手、見物客120万人ということであるから、徳島の阿波踊りと比べても人出は変わらない規模である。違いは踊る連の数であろう。

南越谷の阿波踊り は、徳島県出身で越谷市に本社を置く事業家の中内俊三氏(現ポラスグループ創業者)で、昭和60年第1回南越谷阿波踊りが3万人で開催されたのが最初で、今では、徳島からの有名連を含めて70連。踊り手も延べ5000人とのこと。にわか連もつくられるようでかなり徳島のやり方に習っている。

さて、本場、徳島の阿波踊りであるが、阿波踊りの歴史には諸説ある。徳島の阿波踊りといえば、県外の方は徳島市で行われる阿波踊りをイメージしているが、実際は県内各地で開催されている。徳島市阿波踊りには、地元大学に在学中の6年間の内、3年間は踊り手として、残り3年間は鳴り物(鉦、大太鼓、小太鼓、三味線、笛)の大太鼓担当として参加していた。そのころは痩せていたので、お腹にバスタオルを巻き、さらにその上からさらしをぐるぐる巻いて大太鼓を叩いていた。当時の大学連の鳴り物としては三味線の弾き手の方に褒められもし、まあまあだったと自負している。卒業後は、毎年、帰省して見ている。

しかし、今年は何となく、熱気が感じられなかった。何故だろう。阿波おどり実行委員会によると、今年の開催期間(8/12-8/15)の人出は昨年より6万人少ない133万人とのこと。

 12日 39万人

 13日 34万人

 14日 29万人

 15日 31万人

踊り連も延べ1000連で昨年より35連減ったようである。

徳島の人口は約26万人であるから、毎日、市の総人口以上の人出があったということである。これはこれで凄い。その昔、徳島から東京に就職し、乗り換えターミナルの新宿駅を通過する度に毎日が阿波踊りの日のような感じがしたものである。

さて、寂しさを覚えるその一つが、まず、桟敷席の空席である。遅い時間帯になると空席が目立っていた。桟敷席はいつからか有料となり、最近は前半と後半の二部入れ替え制となっている。従って、途中で退席した人がいてもその席を埋める人はいない。つまり、空席のままである。特に団体客が去った後は寂しい。後半の残り1時間を切った後は無料開放しても良いのではないか。桟敷席で見たい県外客の人は大勢いるのだから。もう少し柔軟な運営を考えて欲しいものである。

無料桟敷の阿波踊りたまり場での阿波踊りそして、桟敷が定着してからは、桟敷から桟敷に移動する際に踊って移動する連が少ないことである。もちろん、踊って移動する連、たまり場的なところで踊っている連もあるが多くは素人連。有名連は少ない。

さらには年々格差が拡大する鳴り物の規模と練達度。有名連になるほど鳴り物の人数が大きく、リード役の鉦がしっかりしている。最近は、鉦と太鼓中心の16ビート風を売りにしている鳴り物の連もある。何れにしても、素人連とは迫力とリズム感が全く異なる。その格差は拡大するばかりである。

そして、番外編。中心にある両国橋の上などたむろする場に昔は全国から集まっていた暴走族風、今風に言えばカラス族というらしいが最近は殆ど見かけなくなった。タクシーの運転手に聞くと、取り締まりを強化しているらしいとのこと。それはそれで良いのだが、なぜかいちまつの寂しさも。

何れにしても、一地方の踊りが一大イベント化し、一部の踊り子連はセミプロ化し、有料興業化し、安全のための規制強化がなされ、参加型とは言いつつもコントロールされた秩序化が進む。何故か、楽しめない。もう一度、原点に立ち戻り、阿波踊りの持つ良さを取り戻す仕組みを模索してみたいものだ。

阿波踊りが終わると夏も終わり、とよく言われるが、ここ数日の天気はまさに一気に夏が終わったかのようだ。来年は東京の阿波踊りを是非見よう!