戦後日本経済史

野口悠紀雄著「戦後日本経済史」、新潮選書、2008年1月

著者の野口悠紀雄氏と言えば一般的には「超整理法」に始まる「超」シリーズで有名である。また、「野口悠紀雄Online」というホームページも開設しており、すでに開設以来のアクセスが1000万を超えたとのこと。時代に先駆け「情報の経済理論」(東洋経済新報社、1974年、日経経済図書文化賞)を書くだけのことはある。さすがである。

私が著者の本を最初に読んだのは「土地の経済学」(日本経済新聞社、1989年、東京海上各務財団優秀図書賞受賞、不動産学会賞受賞) であった。超シリーズも何冊か読んだ。それ以来、久しぶりに著者の本を読んだ。1940年生まれの著者が「1940年体制」(東洋経済新報社、1995年、新版2002年)の問題提起をして久しいが、この本はその主張を改めて整理し問い直したものと言える。

なお、本著全般にわたって、論を展開する上で、常に数字が出てくるのは、工学部出身のエール大学Ph.D(経済学博士号)の元大蔵省官僚の面目躍如といったところか。

さて、まず著者が唱える「1940年体制」とは何かであるが、下記事実をさしてそのように呼んでいる。

1.戦前は直接金融方式が中心であったが、戦時経済の要請により、銀行を経由する間接金融方式への移行が図られた。

2.戦時金融体制の総仕上げとして1942年につくられた統制色の強い旧日銀法は1998年まで日本の基本的な経済法の一つであった。

3.1940年度税制改正において、給与所得に対する源泉徴収などが整備され、現在まで続く直接税中心の税体系が確立された。

4.1939年の船員保険と1942年の労働者年金保険制度(1944年に厚生年金保険)によって、民間企業の従業員に対する公的年金制度が始まった。

5.戦時中に成長した企業(電力、製鉄、自動車、電機)が戦後日本経済の中核になった。

6.戦時中の「統制会」が戦後の業界団体となり、統制会の上部機構である「重要産業協議会」が「経済団体連合会」になった。

7.戦時中に形成された「産業報告会」が戦後の企業別労働組合の母体となった。

8.戦時中に導入された食糧管理制度が戦後の農地改革を可能とした。

9.戦時中に強化された借地借家法が戦後の都市における土地制度の基本となった。

要するに、「戦後の日本経済は、戦時期に確立された経済制度の上に築かれた」とする歴史観である。そして、この中で特に重要なのが「間接金融体制で、これにより企業は資本の影響や市場の圧力から解放された。内部昇進者が経営者になる慣行が確立され、企業は従業員の共同体となった。この体制が、石油ショックの克服期まで有効であった」。しかし、「この体制がいまや機能不全に陥っている」という。

その理由として、「1980年代頃までは大量生産の製造業中心であり、『組織人』による軍隊型の組織が優位性を持ったが、1990年代以降、技術体系に本質的な変化が生じ、規律より創造性が、巨大さよりはスピードが、そして安定性よりはリスク挑戦が求められ、市場中心型にならざるを得ず、統制色の強い戦時経済体制の優位性は失われ機能不全に陥った」ことを挙げている。

つまり、著者は戦後体制は戦時体制の延長線上にあり、「霞ヶ関(政府・官僚)において戦時と戦後は切れ目なく繋がっている」という。その認識を象徴する言葉の使い方に「終戦」がある。「敗戦」ではないのである。単に戦争が終了したという事象的認識に立つなら、確かに戦時も戦後も切れ目はない。切れ目は、そこにではなく、戦前と戦時にあり、「1940年前後に不連続な変化を経験している」というのが著者の主張であり、「1940年体制」の根拠となっている。

この1940年体制による復興の過程で何が生じたか。まず「利益を得たのは、政府であり、企業である」。そして一方で、「戦前の華族、大地主、その他資産家が没落した。戦後経済政策は『人民』を搾取したのではなく、『資産家』を搾取したのである」ということである。

なお、本著では言及していないので若干補足すると、この「資産家」は平地部(都市部、農地部)の資産家であり、山地部の資産家は含まれていない。これは、明治期の地租改正の時も同じで山地部には手がつけられていない。山地部については、いまだかってその所有実態が正確に把握されたことがないのである。絵地図等古文書の類がいまだに生きている。結果して、現在の日本において、平地部には大地主はいないが、山林部の大地主(いわゆる山林王)は存在する。

また、著者は「何がなされなかったのかの方が重要」で、その意味において「特に重要なのは、銀行業に対して集中排除法が適用されなかったこと」で、「戦時期に形成された銀行中心の経済システムが戦後の日本にそのままの形で残ることになった」ことを指摘している。こうした銀行中心の経済システムに係わる大蔵省、日銀、民間銀行、そして通産省、政治家等々の「闘い」については本著を読めばなるほどそうであったかと当時を思い出させる。

さらに、「1940年度の馬場税制改革で導入された源泉徴収制度は現在に至るまで消費税を除けば殆ど変わっていない」。結果して、「給与所得税源泉徴収だけで決まってしまうため、サラリーマンは税制に関心を持たず、政治にも無関心になる。そもそも民主主義政治とは、税に関する制度を議会で決めることから出発している。だから、日本において、民主主義は馬場税制改革以来、存在していない」とまで言い切っている。最近ようやく、消費税問題、年金問題、道路特会問題等により、それらが自分たちの問題であるという問題意識が惹起されつつある。

こうした戦時体制の崩壊のきっかけとなるバブルとその崩壊については著者の得意とするテーマであり、具体的に言及している。注目すべきは、バブルの崩壊に伴う銀行救済として、「公的資金注入額の損失確定分10兆4,326億円、不良債権の無税償却38兆7,131億円、合計約49兆円が銀行の放漫融資の尻ぬぐいのために納税者が負担させられた」という事実(著者の推計)である。その結果、「銀行は生き延びた」のであり、「日本の金融機関の基本的な体質は変わっていない」と警鐘する。

ところで、著者は皮肉を込めて「いまに至るも少しも変わらぬ官僚の3大得意芸」として次の3つを挙げているが、そうした官僚に差配される銀行も同じとみるとなかなか含意がある表現である。

1.その時点の最高権力者に対する面従腹背

2.都合の悪い情報は一切出さない情報操作

3.自分たちが必要であるとの最大限のアピール

それでは戦時体制から脱却して日本はどこに向かうのか。著者は、「IT革命は産業革命以来の大変化であり、分散型情報システムが進歩すると、分権型経済システムの優位性が高まる。経済活動において、ルーチンワークを効率的にこなすことではなく、独創性が求められる。従って、集団主義ではなく個性が重要になる。政治的にも分権が望まれる」。つまり、もはや「国が主導して新しい時代を切り開くという発想自体が新しい時代にそぐわない」「ベンチャー企業を育成するという発想自体が矛盾(ベンチャーとは、個人や小組織の創意によるチャンスとリスクへの挑戦だからである)」であると指摘する。そして、日本はいま、「技術と制度・思想が深刻な対立を引き起こしている。新しい技術の基本的な性格が変わることはないから、制度と思想がどこかで変わるしかない」。まさにその通り、我が意を得たりである。