2016リオ・オリンピックを観て

2016年8月22日、2016リオ・オリンピックが閉幕した。心配された会場準備もなんとか間に合い、治安も何とか保たれていた。開会式もセンスのあるものだった。難民五輪選手団(選手10人)も参加し、オリンピズムの根本原則4を具現化するものであった。どういう状況下でも、与えられた環境で最高のパフォーマンスを出し切り、感動を与えるのが最高のアスリートであることを再認識させられた。

オリンピズムの根本原則 <日本オリンピック委員会サイトより抜粋> 4 スポーツをすることは人権の 1 つである。 すべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない。 オリンピック精神においては友情、連帯、フェアプレーの精神とともに相互理解が求められる。

頑張り踏ん張った日本選手

日本選手のすばらしいパフォーマンスが連日見られた。水泳の男子400m個人メドレーに始まり、陸上男子400mリレーへと、日本選手が獲得したメダルは金12、銀8、銅21で、それぞれのシーンが感動的であった。やはり、4年後の2020TOKYO開催が刺激になっているのだろうか。本当に、すばらしく期待以上の結果であった。メダル獲得後のインタビュアー、スタジオ司会者の質問等が相変わらずワンパターンのしょうもないレベルで、アスリートの矜恃を引き出す域にはなかったのが残念ではあったが。

リオ・オリンピックの国別獲得メダル数

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愛ちゃんの存在感

卓球の「愛ちゃん」が、「銅」の字を分解すると「金と同じ」と云っていたのが印象に残った。確かに、云われるとその通りである。愛ちゃんは宿舎のトイレを直したり、愛ちゃんの恋人が台湾人の為、中国の東北なまりだった愛ちゃんの中国語が、台湾なまりになっていると、中国のネットで話題になっていたりと、愛ちゃんは日本を超えて話題になっていた。小さな頃から全国民が見ていた「泣き虫愛ちゃん」が相変わらず泣き虫ながらも、責任感を持った卓球女子のリーダーとして成長している姿を見ると、なぜかうれしくなるのはなぜだろう。その愛ちゃんにも15歳の伊藤美誠選手という後継者が現れた。

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新陳代謝は進化の象徴

今回のオリンピックで特徴的なのは、レジェンドが生まれる一方で、レジェンドを追いかけ新陳代謝が起きていると云うことであった。伊調馨選手の4連覇、4連覇を逸した吉田沙保里選手がレジェンド化する一方で、彼女らを目標にしてきた国内外の若い選手が台頭してきている。

体操個人総合三連覇の内村航平選手もレジェンド化する一方、内村選手を追い詰めたオルグ選手(ウクライナ)や、内村選手の後継者に目される白井選手等、こちらも若手が台頭してきている。

すでにレジェンドだったボルト選手(ジャマイカ)も、陸上男子100m、200m、4×100mリレーの3冠を3大会連続で達成し、さらにレジェンド化した。最後の4×100mリレーの第4走者で走るボルト選手の右横のレーンで、あの陸上大国と云われたアメリカを抜き、2位で走り切った日本チームは全員若い。まさに、新陳代謝を象徴する場面であった。

前回オリンピックで惨敗した日本男子柔道は、井上康生新監督の下、全階級の選手がメダルを獲得した。まさに、生まれ変わった。こちらは監督の新陳代謝の証左であると云える。

男子柔道、復権の全階級メダル獲得。井上康生監督が変えた代表の空気。

いずれにしても、新陳代謝の進んでいるスポーツは勢いがあり、わくわくする。この意味で、新陳代謝というか、若手が台頭してこないマラソンが男女とも気になる。何かを根本的に変えないと世界との差がますます広がりそうである

世界それぞれのオリンピック そして2020TOKYOは

オリンピックの映像は世界各国それぞれで編集され放送されている。日本で見ていると、日本人選手が活躍している種目が中心でそれ以外はなかなか放送されない。当然、この逆もあるわけで、他国でみればまた違ったオリンピックになっているのだろうと推察される。世界各国のオリンピック放送の比較紹介番組があればおもしろいのだが。

アメリカで五輪を見ていると「柔道」などないかのようだ

閉会式には、着物姿の小池新東京知事が出席し、2020TOKYOに向けて五輪旗を受け取った。いよいよ4年後の開幕に向けて準備が本格化する。平和の祭典にふさわしい2020TOKYOを期待したい。負のレガシーではない、真に将来につながるレガシーが生まれることを期待したい。そこには、あらゆる場面において、イノベーション(新陳代謝)が不可欠である。オリンピックはそうした起爆剤になり得る場である。リオ・オリンピックを見てそのことを再認識した。