歴史に学ぶ ~潰百姓~

最近、新しい歴史的用語・事実を知った。「潰百姓(つぶれ ひゃくしょう)」である。その歴史的意味合いは深い。

潰百姓

「日本伝統農村の共済と村・五人組・百姓株式 ―近世農村の「潰百姓」防止対策―」(共済総合研究 第72号)を読んで「潰百姓」と云う用語・事実を恥ずかしながら始めて知った。

現在の離農・耕作放棄・後継者不足・空き農家問題等は、近世農村においても「潰百姓」問題として重要な問題であり、「日本近世の農村社会において、村や五人組は『潰百姓』と呼ばれる生産能力を欠いた農家の出現を防ぐために様々な取り組みを行っていた。村は構成員の少ない農家に対して、村落運営費を免除し、また、村や五人組は後継者のいない農家に様々な働きかけを行うなど農家経営の安定に尽力した」というように、村や「五人組」は共済的仕組みとして機能していたとのことである。

共済組織として機能していたからこそ、「組はずし」(=「村八分」)が制裁になり得たとのこと。つまり、五人組を巷間云われている監視組織として利用したのは後の為政者であったとのこと。確かに、農業は労働集約型で農繁期の作業や用水等の整備・維持・利用において農家は個々ではやっていけないのは現在でも変わらない。

「近世日本における村の構成単位は家であった。家は宅地(「屋敷地」「ムラ」)・耕地(「田畑」「ノラ」)・コモンズ利用権(「山林」「ヤマ」)が付随した村のメンバーシップである百姓株式の所持主体であった。換言すれば、村は百姓株式の管理を通じて村の環境資源を組織し、管理していた。」とあるように、農家・農地問題と山林等の管理問題とは切り離しては考えられない。

さらに云えば、そこに流れる川が形成する流域圏(山場、平場、漁場)は総合一体的な管理・活用を考えなくてはならない。現在、これらの管理はばらばらであり、権利関係も複雑になっている。

「潰百姓」防止対策は、農家経営における経済的脆弱性(農家経営の不安定性)と人口学的脆弱性(農家構成員の減少リスク)への対策であったとのことであるが、これは現代に至るも解消されていない。時代を超えた農業の持つ構造的な問題である。

網野史学の「百姓」の近代版

この延長線上にあるのが、かっての「村」にあたる現在の「農業委員会」、かっての「五人組」にあたる現在の「JA農協」、かっての「総作」に近いのが現代の「農地中間管理機構」等であるが、いずれも実態を見ると、農家・農村・農業の存続の予防・対策機能を果たしているとは云いがたい状況にある。新たな経営主体が必要となってきているのではなかろうか。

近世以前の中世までさかのぼると、網野史学によれば、「百姓」は「農民」でない、百の姓の業を営んでいたとのことである。

[参考]松岡正剛の千夜千冊、0087夜『日本の歴史をよみなおす』網野善彦

今、存続の危機にあるのは農業だけでなく、林業も危い。非常時に重機等を扱える地場建設業や工務店も疲弊している。このような個々の業種では生き残れない環境下、地場業種全体が持続する仕組みとして、地場業種(地場の農家・林家・魚家・工務店等)をホールディングした事業経営体の創発が必要ではなかろうか。これは、いわば「潰百姓」的対策機能(内部相互支援)を有する網野史学が云うところの「百姓」の近代版である。こうした事業経営体が興らないと、いまや、地域・地方の維持・活性化そのものが難しいのではなかろうか。巷間、喧伝されている「6次産業」ではこのような効果は期待できない。

[caption id=“attachment_1887” align=“aligncenter” width=“601”]百姓の近代版 百姓の近代版[/caption]

出典:東⽇本⼤震災からの復興に向けて 〜新たな価値観に基づく⾃律分散協調型社会づくりを〜、Japa日本専門家活動協会、2011 年 6 月 27 日

大磯町の周辺との歴史的関係

最後に余談であるが、冒頭の研究レポートに、東海道の宿場町であった大磯宿の助郷役に丹沢山中の横野村も組み込まれていたことを証する資料が紹介されているが、丹沢山系からは現在もアオバトが大磯町の照ケ崎海岸に海水を飲みに飛来しており、なるほどと妙に納得した。

[参考]

(1)アオバト/大磯町ホームページ

(2)幸せの(?)青い鳥・アオバトが飛来する大磯「照ヶ崎海岸」へ!