「総活躍社会・地方創生」に向けて ~ジョブ型を超えてプロジェクト型へ

筆者は「日本専門家活動協会」を主宰し、「高齢者活躍支援協議会」にも係わっている。こうした関係で、「1億総活躍社会」と云われると、確かにそれはそうだが、どうやってその政策目標を具体的に実現するのだろうかと気になる。

1億人を構成する人々は、多様な層で構成されている。その特性に応じたそれぞれの活躍の場づくりが求められている。例えば、

  • 3千万人を超えた高齢者(内、1,500万人超が後期高齢者)に健康に活躍してもらう場づくり
  • 2000万人に迫るまでに拡大した非正規雇用労働者に活躍してもらう場づくり
  • ペットの数(2,062万頭)よりも少なくなった子ども達(1,617万人)に活躍してもらう場づくり あるいは、いまや、ペットも家族の一員として位置づけ、活躍してもらうのか。
  • 常に社会の仕組みの在り様を左右してきた団塊の世代800万人に定年退職後も活躍してもらう場づくり
  • 720万世帯の専業主婦に活躍してもらう場づくり
  • 465万人と推計される雇用保蔵者(過剰雇用者、社内失業者)に活躍してもらう場づくり

等々。視点、切り口を変えれば、多種多様な層が考えられる。

0001出典:平成25年版 高齢社会白書(概要版) > 第1節 高齢化の状況

0002出典:厚生労働省HP 「非正規雇用」の現状と課題 

0003備考:総務省労働力調査」、厚生労働省「毎月勤労統計調査」、経済産業省「鉱工業指数」、内閣府「国 民経済計算」により作成。 出典:日本経済2011-2012 -震災からの復興と対外面のリスク-、平成23年12月、内閣府政策統括官室(経済財政分析担当) P10

0001出典:独法労働政策研究・研修機構HP

野口悠紀雄氏の云う1940年体制の仕組み、そして戦後の人口急増時代の仕組み等を引きずった従来の延長線上の弥縫策ではもはや日本の再活性化は難しい。自らを縛り付けている従来の規制等を改善・改革するというレベルではなく、社会的な仕組み、組織等の在り様を現在及び将来を見据えて、一から見なおすべき時期に来ているのではなかろうか。

[参考]1940年体制の例

  • 戦前は直接金融方式が中心であったが、戦時経済の要請により、銀行を経由する間接金融方式への移行が図られた。
  • 戦時金融体制の総仕上げとして1942年につくられた統制色の強い旧日銀法は1998年まで日本の基本的な経済法の一つであった。
  • 1940年度税制改正において、給与所得に対する源泉徴収などが整備され、現在まで続く直接税中心の税体系が確立された。
  •  1939年の船員保険と1942年の労働者年金保険制度(1944年に厚生年金保険)によって、民間企業の従業員に対する公的年金制度が始まった。
  •  戦時中に成長した企業(電力、製鉄、自動車、電機)が戦後日本経済の中核になった。
  •  戦時中の「統制会」が戦後の業界団体となり、統制会の上部機構である「重要産業協議会」が「経済団体連合会」になった。
  • 戦時中に形成された「産業報告会」が戦後の企業別労働組合の母体となった。
  • 戦時中に導入された食糧管理制度が戦後の農地改革を可能とした。
  •  戦時中に強化された借地借家法が戦後の都市における土地制度の基本となった。

原典:野口悠紀雄著「戦後日本経済史」、新潮選書、2008年1月 出典:仕組みの群像:[書評]戦後日本経済誌、2008/04/19

例えば、下記に見られるように、主語(あるいは当初の目的)が曖昧になっている組織は改めて、その存在の意味を問いなおす必要がある。

  • 農協(JA)は誰のために存在しているのか。農家、農業の今後に必要な組織は何か。
  • 企業・業界の組合は誰のために存在しているのか。正規・非正規を問わず従業員の今後に必要な組織は何か。
  • 経済団体は誰のために存在しているのか。日本の企業の成長に必要な組織は何か。
  • 地方自治体は誰のために存在しているのか。地方自治に必要な組織は何か。

国あるいは地方が成り立つには、働きたい人が働ける仕組み、土壌(プラットフォーム)が欠かせない。特に、将来のことを考えると、働きたい若者がきちんと働ける場づくりが欠かせない。これが出来てはじめて、子育て支援に繋がり、長期的には少子化対策となる。

ガラパゴス化に象徴されるように、わが国の企業は過剰品質・サービス気味の国内市場に依存して存立していた為、グローバル化によるコスト競争力が低下した時に、海外に工場等を移転するか、国内労働者の賃金(総額)を下げる(中高年のリストラ、若者の非正規化)という方法で対応したため、新たに就業する若者が働きたい形で働けない構造になってきている。

地方においては、働ける場そのものすら限られてきている。地方には若者の居場所がないのが実態である。

年金併用型のシニアは非正規型雇用でも問題はないが、若者に非正規型雇用が増えているのは問題である。下記の賃金カーブを見れば明らかなように、非正規状態では結婚、子育ては厳しい。少子化の一つの主たる要因がここにある。正規職での需要があっても、介護職・病院補助職に代表されるように、賃金水準そのものが低すぎる職種もあり、これまた結婚生活は難しく、離職率は高い。

0006出典:厚生労働省HP

現在の日本社会において、幸せに働ける環境にいるのは行政か、大企業・中堅企業等の社長しかいないのではなかろうか。そうした実態に目をつぶり、いかに既存の仕組みをいじってみても限界があるのは明らかである。仕組みと実態のギャップが大きい。

非正規問題に対して、「同一労働同一賃金」が云われているが、もっと正確に言えば、「同一労働同一待遇(効用)」が本来あるべき姿ではなかろうか。「待遇」には、組織に属することによるフリンジ・ベネフィットも含まれる。日本の場合は特にこの差異は大きい。フリンジ・ベネフィットを非正規に付与しないのであれば、その分、賃金に上乗せすべきである。

日本は正規労働者を中心に縮こもり、やりすごそうとしているが、そうではなく、国際市場(インバウンド、アウトバウンド)を相手に日本全体がイノベーションするしかないのではなかろうか。グローバルなネット社会がその壁を低くしているいまこそ、そうした方向に舵を切るべきである。

そのためには、生産性の低い業種・業態・企業や、農林魚業・中小企業等をむやみに補助金・政策等で延命を図るのはいかがなものか。さらには、大正時代にはじめて実施された公共事業の景気対策化がいつまでも続くのはいかがなものか。公共事業や特別会計的な補助金事業で地方行政を籠絡するのは地方の自立を妨げている。そろそろ、そうした方法は止め、企業・地方の自律を促す仕組みに切り替えるべきである。税金の使い方を変えるべきである。

このままで、ますます、日本の国際競争力は低下するしかない。財政悪化も拡大し続けるしかない。政策のリストラ、新陳代謝がなされなくては、日本・地方、企業は活性化しない。自然死するのみである。

総人口減少、少子化そして長寿化した日本において、①組織都合に合わせた人生を選択する道(いわゆる組織キャリア人生)と、②個人のライフスタイル、スキルをベースにした就業ができるように就業形態、雇用形態を多様化する、という二つの道がある。

そのいずれを選択しても、社会的な効用格差が生じない仕組みがあれば、人の生き様に多様性が生まれる。この多様性、さらには流動性こそが活性化、イノベーションの源泉である。

その突破口となるのが、何よりも若者が元気になり、結婚でき、安心して子育てできる仕組みづくりである。加えて、親の介護をしつつ就業機会を維持できる仕組みである。そして、そうした若者が東京だけでなく、地方にも輩出する仕組みである。

これを可能にする一つの方策が最近云われているジョブ型雇用(職務、労働時間、勤務地が原則限定される雇用形態)であるが、それに加えて、雇われない働き方であるプロジェクト型(欧米で云うところのフリーエージェント型)の普及を期待したい。

いつまでも、企業等組織に自分の人生・生活をすべて預ける時代ではない。個人のライフスタイル、スキルを重視したプロジェクト型就業が普及するためには、ソーシャル・フェールセーフが必要であり、個人の自律が求められている。

[参考]「ジョブ型」と「メンバーシップ型」の定義

 「ジョブ型」:職務、労働時間、勤務地が原則限定される。欠員補充で就「職」、職務消滅は最も正当な解雇理由。欧米アジア諸国すべてこちら。日本の実定法も本来ジョブ型。 「メンバーシップ型」:職務、労働時間、勤務地が原則無限定。新卒一括採用で「入社」、 社内に配転可能である限り解雇は正当とされにくい。一方、残業拒否、配転拒否は解雇の正当な理由。実定法規定にかかわらず、労使慣行として発達したものが判例法理として確立。

出典:産業競争力会議雇用・人材分科会ヒアリング用資料 「今後の労働法制のあり方」、 濱口桂一郎、2013/11/05 

世界の市場において競争力を失った大企業を守るのではなく、退出させる(人材を流動化させる)仕組みが機能すれば、他社・他業種への移行(流動化)、複業化、ジョブ型雇用、プロジェクト型就業への移行も進む。

こうした多様な働き方をするためには、組織を超えて通用するスキルの獲得・アップが必要となる。そのためには、研修等が必要となるが、それは大学の空き時間、空き教室を使えば、大学の活性化にも繋がる。大学という知のプラットフォームのシェアリングエコノミーである。

そして、新たな働きの場として、地方への移住・就業あるいは兼居兼業がある。地方のイノベーションには「若者、よそ者、馬鹿者」が必要であり、自ら働く場づくりをしていけば良い。いまは、地方でも直接、海外と結びつくことの壁は高くない。こうした仕組みづくり、場づくりを支援するプラットフォームとして、地場に根付いた民ベースのシンクタンクがあれば加速する。

こうした動きが起これば、全国に散在する空屋・空き地、耕作放棄地、手入れ放棄山林等の活用の仕方も変わる。これらの土地・家屋の利活用のネックとなるのが所有者の不明問題であるが、それは明治維新時になされていた「公有地」(所有権不明)概念扱いで公共が仮り管理し、定借で利活用希望者(農・林・魚業組合、NPO法人、トラスト等)にサブリースする仕組みを創れば良いのではなかろうか。

本来の所有者が名乗り出たときは、その時点で管理費用を相殺して所有者に還せば良い。利用しないあるいは適正な手入れをしないで所有権のみを保有すること対して課税を重くすれば良い。要するに、土地空間の利用・管理の義務づけである。

国民各層が活躍できる社会づくりに向けて、出来ること、やるべき事は多々ある。地方消滅・国家存亡の危機感を持って、個々人が変わる覚悟を持ってやるしかない。何とかなるだろう、行政がやってくれるだろうと云うことでは輝ける「未来」はない。