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言葉の軽さ、先祖返り

「3本の矢」のKPI、PDCAが回りきらぬ内に、「新・3本の矢」が打ち出された。「女性活躍社会」が加速する前に、新たに「1億総活躍社会」が打ち出された。言葉を覆い被せ、責任もとらず、前の言葉を忘却の彼方に消し去る。公言した言葉に重みがない。

アベノミクス「3本の矢」、首相官邸 アベノミクス「新3本の矢」を読み解く、日本経済新聞、2015/9/25

「女性活躍」は、まやかし~産めよ働けよの圧力 特別鼎談:「女性活躍社会」のウソとホント(上)2015年1月16日女性活躍加速のための重点方針2015、すべての女性が輝く社会づくり本部、平成27年6月26日

そして、「1億総活躍社会」。活躍したくない人、活躍したくても出来ない人まで含めて「活躍しろ」と誰がいえるのだろうか。まさに、先祖返りを象徴する言葉である。現在のNET社会は個性豊かな多様な個人が前提とされるべき社会であるにもかかわらず、戦中及び戦後の高度成長期時代のような単一集団的な総体として国民を見たようなスローガンは現代社会に生きる個人の多様性を無視している。言葉のもつ歴史的重みに対する思慮が欠けている。

「一億総活躍社会」への違和感  一人ひとりが自分らしく輝ける社会を!、ニッセイ基礎研究所、2015/10/20

「1億総活躍社会」の最大の目標は「強い経済」の実現にあるとされているが、そこに至る過程において倫理を無視した企業活動等が優先されては意味が無い。最近、表出した東芝不正経理事件や旭化成建材の基礎杭工事の偽装事件は、「ガバナンス / コンプライアンスの強化」という言葉に虚しさを覚える。

東芝不正会計の温床は、「選択と集中」にあり、PRESIDENT Online、2015年9月14日号弊社杭工事に関するお詫びとお知らせ、旭化成建材HP

最近の言葉の軽さはどこから来ているのだろうか。最近のテレビドラマを見ていても、絶叫型の場面が多い。発生(感情)の強さのみが残る。そこには、言葉のもつ重みは感じられない。違和感を覚える。

この背景には、公的立場にある者、社会的影響力のある者が公言したことに責任を取らず、逃げたり、転嫁する事が常態化していることに少なからず原因の一端がある。責任を取る清さが失われた社会は澱む。歪む。

それでは、何故、責任を取らないのか。それは減点主義社会であるからである。社会が大きく変化するときには、減点主義では時代の流れに棹させない。イノベーションを起こせない。言葉の重さ即ち責任を取れる社会づくりが求められている。