大磯を歩く

2015年9月20日(日)、快晴の中、神奈川県の大磯町を歩いた。大磯町は、「湘南発祥の地」である。江戸時代は日本橋から約70km付近に位置し、8番目の宿場町であった。そして、明治期に入ると、「日本最初の海水浴場」が開設(明治18年)され、多くの著名人もその居を構えた歴史漂う東京の箱庭的癒やしの場所である。

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自宅の最寄り駅を12:00に出て、横浜駅で乗り換え、大磯駅には若干遅れながらも14:00頃に到着。快晴である。

まずは、駅を出て、線路沿いを歩き、クラフト作家のセレクトショップつきやま」を訪れる。この「つきやま」は大磯市(おおいそいち)の出店作家たちで運営されている常設の大磯市セレクトショップとのこと。かつて吉田茂番記者たちが利用していた月山という飲み屋だった空き家を改装しており、建物は確かに古いが、昭和に育った者には懐かしい。

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つきやまを出て、そのままさらに線路沿いを歩き、「旧島崎藤村邸」に行く。途中に案内がなく、本当に道があっているのか不安になる。もう少し、町外者にやさしい道案内が欲しいと思いつつ、旧島崎藤村邸を発見。藤村お気に入りの書斎を見る。建物は大正末期から昭和初期に建てられた長屋を買い取ったとのことで、庭に面したガラス戸の大正ガラスは独特の味わいがある。

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藤村邸から、東海道国道1号)に出る道を通りすがりの方に聞き、東海道に出る。東海道松並木を歩く。途中、旧大隈重信邸・陸奥宗光邸(現 古河電工大磯荘)と旧伊藤博文邸(現 滄浪閣)・旧鍋島藩邸の間の海辺に続く小道を歩く。引き返し、続いて、隣の小道も歩く。こちらは、旧伊藤博文邸(現 滄浪閣)・旧鍋島藩邸と旧西園寺邸・旧池田邸の間にある小道である。いずれの小道も高い塀で仕切られ、中の雰囲気を味わうことは出来ない。せっかくの観光資源が活きていない。

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これらの旧邸宅エリアを海辺に沿って歩きたいが、それも出来ない。道標は海沿い方向からも行けそうな案内になっているが、実際は東海道からしか行けない。しかし、そういう案内はどこにもない。やはり、町外者には不親切との思いが募る。

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寄り道をしながら、ようやく「旧吉田茂邸」に着く。焼失した旧吉田茂邸の再建工事が進んでいるようで、建築中の建物の一部が工事囲い越しに垣間見える。庭を散策し、吉田茂銅像のまえでサンフランシスコとおぼしき方向を眺める。

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吉田茂邸から再び東海道筋を引き返し、大磯町役場の前を通り、16:40頃、大磯港にたどり着く。すでに大勢の人で賑わっている。今日は7~9月の夏場のみ開催される大磯市(おおいそいち)の夜市(17:00~20:30開催)である。このイベントの仕掛け人に伺ったところ、今日はいつもより若干少なめとのことであるが結構な賑わいである。最初(2010年9月)は少数の出店者でスタートしたとのことであるが、ここまで成長させてきたその情熱と持続力はすごい。

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この大磯市の特徴は、単なる集客イベントではなく、まちなかとも連携し、大磯町全体に活気を波及させ、引いては大磯市に来る人、出店する人に大磯を好きになって貰い、できれば定住してもらおうとするところにある。地方創生そのものである。行政主導でないところがミソかもしれない。

そのプラットフォームとして、大磯港(地方港湾、漁港)が利用されているが、臨港地区でこうした大がかりなイベントが年間を通じて開催(朝市は毎月開催)されているのは珍しい。普段は砂利の山と釣りをする人しか見かけない港で、こういったダイナミズムを興せることは、全国の地方港湾・漁港を抱える地域の地方創生にも大いに参考になる。国交省港湾局や地方自治体も、港を活用した新たな地域活性化策として協力する仕組みを拡充して欲しいものだ。

自宅から大磯町までの往復約5時間、そして現地で約4時間超歩き続け、そこにあるものを十分に利活用できていない面と、利活用できている面との両面を体中で実感した一日であった。