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新国立競技場騒動から見えたもの

History News 時評

新国立競技場の建設が揺れている。そもそも、建設以前に、旧国立競技場(正式名称:国立霞ヶ丘競技場陸上競技場)の解体工事の発注段階からいろいろ腑に落ちない事が続いていた。そして、壊した後に、いよいよ着工の段階になって、今度は建設コストの問題である。多方面からの批判が高まり、結局、計画を白紙に戻し、コンペをやり直すという事態に至った。

0001   出典:【新国立競技場】見直し決断の内幕(上)森氏を説得したA4文書 首相「私は現行計画見直す」

▼国立解体の入札やり直し、JSC大失態の全容、日経ケンプラッツ、2014/10/03 ▼新国立競技場2520億円をゴリ押ししたのは誰か、DIAMOND online、2015年7月11日 ▼【全文】安藤氏の会見資料 コストアップの詳細は「承知していない」、THE PAGE、2015.07.16 ▼森喜朗元首相 「新国立競技場の経緯すべて語ろう」、産経ニュース、2015.7.17 ▼<新国立競技場>首相「白紙」…工費圧縮、秋に代替案、毎日新聞、2015年7月17日 ▼新国立競技場計画白紙問題 デザインビルド方式の採用を検討、フジテレビ系(FNN)、2015年7月18日

建設コストの増加は掘ってみなければ分からない自然相手の土木構造物には仕方ない面もあるが、そういう施工環境の不確実性の少ない建築構造物において着工前から当初建設コスト(コンペ条件)の約2倍近くまで設計段階で費用が膨らむとは信じられない。

コンペの発注がデザインのみで、その後に設計・施工が議論されるという流れであったため、今回のような騒動になったわけであるが、コンペの条件としての建設予算制約がまったく機能していない。

これはいわゆる分割請負契約方式(分離発注方式)であるが、この方式は契約に含まれないリスクを含めて発注者が事業全体の責任を追うもので、それなりの仕切り能力が問われる。文科省系のJSC(独立行政法人日本スポーツ振興センター)にそもそもそのような能力がなかった事の証左が今回の顛末である。

見直しコンペは、報道によると、契約方式を設計施工一括のデザインビルド方式に変えたようである。発注者側にノウハウがない中で、建設コストをより意識した実施可能なデザイン・設計と、工期短縮に適した方式で理に適っている。

そもそも、今回のような大規模な建築物をデザイン優先で決めていく事にも問題があった。2020東京オリンピックパラリンピックの理念、レガシーがそもそも反映されていない。オリンピック招致に向けての見た目のデザインを優先しすぎたのではないかと思われる。

2020東京オリンピックパラリンピックの謳い文句は「安全」「コンパクト」であり、標榜したオリンピック・レガシー(遺産)は何であったのか。次世代への負の遺産ではなかったはずである。謳っていることと、実際に行われていることのギャップが大きい典型的な例である。

▼2020東京オリンピック・パラリンピック開催決定を受けて、仕組みの群像、2013/09/20 ▼ビジョン、レガシー及びコミュニケーション - 東京2020オリンピッック ▼オリンピック・パラリンピックレガシー創出に向けた文部科学省の考えと取組、文部科学省、平成27年4月10日

オリンピック・パラリンピックという一大イベントのプロジェクトマネジメントができていない。従来よく見られた「見直すには時間が無い」と云う理由で、時間切れに持ち込み、ずるずるとなだれ込む従来の決着手法がさすがに今回は許されなかったと云うこと。関係組織は立派に構成されているのに、だれにも当事者意識がなく各種の決定の責任感を持っていない。

そもそも、建設コストの確認もなくデザイン案が決定され、建設の財源確保もできていないのにどうして着工にゴーサインが出せるのか、自分の懐が痛まなければ税金で何とかなると思っているのか、「2,500億円ぐらいたいした金ではない」のか。後年度の維持管理コストの負担のことは知らないとでも云うのであろうか。確実に進む総人口減少時代に向けて次世代への負担はできる限り軽くすべきである。

専門的にはプロジェクトマネジメント能力が問われているが、事の本質は一連の決定プロセスできちんと見識を持って物申す「サムライ」が誰もいなかったことではないだろうか。ムードに流され、長いものには巻かれ、事務方が用意したシナリオに沿って演じる状況は、日本の至るところで起きている。

見識を持って腹を据えた言動ができる真の「サムライ」は今の日本にはいないのか。地方の消滅問題以前に,日本全体の劣化・消滅が気になる。さすがは日本だと世界から賞賛され、後世に誇れるレガシーとなる新国立競技場が完成することを期待する次第である。