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「WOOD JOB! ウッジョブ! ~神去なあなあ日常~」を観て

2014年5月10日からロードショウが始まる谷口史靖監督・脚本「WOOD JOB! ウッジョブ!~神去なあなあ日常~」を、4月28日に六本木ヒルズのTOHOシネマズであった試写会で観た。三重・津市美杉町がロケ地である。う~ん、良い映画であった。

ふと目にしたパンフレットに誘われ、都会の若者が林業を生業とする奥深い山里に1年間の山師の研修に行くという物語である。いいかげんな生活をしていた若者が段々と山里、山師の世界になじんでいき、1年後は逆に都会になじめず、山に還っていくという流れは表面的な刺激があふれる都会生活へのアンチテーゼでもある。

農林水産省林野庁が後援しているが後援するだけの価値はある。いまある山の木がどういうものか、植林とはなにか、山師(林業家)とはなにか、世代を超えた林業の経営がどういうものか、そして山での生活はどういうものか、この映画を観て理解され、幾人かは山に入る人(山師)が出るかもしれない。

山が身近にある田舎出身の者にとっては、何となく「そうだよな」と共感する場面が少なくない。いまどき、ヒルに血を吸われる経験を持つ人は田舎の若い人でも少ないかもしれない。庭木ですら登ることが少ないかもしれない。昔は、近くの山に登ったり、小川で遊んだり、川で泳いだりしたものだ。庭木にも登り、いろんな虫とか蛇とかに遭遇したものだ。いろんな意味で、自然の営み、生気を肌で感じていた感じがする。だからこそ、神々しさも感じるし、祭りにも意味がある。

お祭りはそもそもはそこに暮らす人が自分たちのためにするものであり、よそ者に見せるものではなかったはずだ。現在は何かというと、「経済合理性」が最優先の評価軸となっているが、それはあくまでも都市的世界での評価軸である。経済合理性の行き着く着く先は、よりグローバルに、より選択と集中にあり、そこには「人」としての営み、暮らしはない。

世代を超えた時間軸で生きる生業的な世界の評価軸は経済合理性とは異なる評価軸による仕組みを必要とする。世代を超える時間軸に於いて、定年という概念もない。体が動く限りは汗を流して働く。体が動かなければ知恵(経験知)を出す。ボーダーレスに動くグローバルマネーとは異なる信用創造・信頼関係の中で人が繋がり、人が動く。結果して、暮らす環境が維持され、暮らしそのものも維持される。

それは、「里山資本主義」でもない。従業員主義的な狭義な「人本主義」でもない。資本主義と重畳的に並立するそこに暮らす「人」をベースとした新たな営みの仕組みがあっていい。限界集落だからといって、単純に「コンパクトシティ」化するのでは知恵がない。総人口減少・少子高齢化時代の日本にもっとふさわしい国土構造や暮らしの環境の維持の仕組みづくりが不可欠である。これこそ、都市中枢に棲む人でないクラウド集合知が活かせるテーマかもしれない。

いろいろと想いと余韻の残る映画であった。