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世界遺産 富岡製糸場を観る

2016年5月15日(日曜日)、世界遺産に登録された富岡製糸場を見に行った。自宅を車で9時に出て、1時間半ほどで着いた。意外と近い。しかし、帰りは関越道が大渋滞で、寄居から東松山の間の10数km程を抜けるのに100分との掲示。動かないので、SAやPAで休憩したり、食事をしたりして、渋滞がなくなるのを待って帰宅。

さて、富岡製糸場は、平成26年6月21日 第38回世界遺産委員会 ドーハ(カタール)で「記載」の決議(世界遺産登録決定)、6月25日 世界遺産一覧表に記載(正式登録)されたもので、いわゆる産業遺産である。

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[caption id=“attachment_1949” align=“aligncenter” width=“640”]富岡製糸場パンフ20160517 国宝となっている3つの建物の高さ、幅、長さはいずれかが同じとなっているのが興味深い[/caption]

入り口で1,000円の入場券を購入し、さらにボランティア案内ガイドの説明(200円)に加わる。標準40分で一回りするとのことであるが、約1時間かけてくれた。廻りを見ていると、案内人によって、説明の力点が異なるようであるが、やはり、説明を直接聞くとよくわかる。このあと、各自、それぞれに廻る事になる。

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入場してみると、東京ドームほどの敷地にいろんな施設がある。維新後の明治5年にこうした近代的施設が完成していたとは驚きである。その後、官営から民間に経営が移っても、そして操業を終えてからもその施設を維持してきた民間企業経営者に敬意を表せざるを得ない。

[caption id=“attachment_1924” align=“aligncenter” width=“396”]IMG_2382 キーストーンに「明治五年」と刻印されている。[/caption]

富岡製糸場はフランス人のポール・ブリュナ(横浜にあったフランスの生糸買い入れ会社の生糸の検査をしていた)の計画の下、西洋の先進技術・機器と日本の伝統技術を融合してつくられたとのこと。その代表が、瓦葺木骨煉瓦造構法である。構造材(梁、柱)を木造トラス構造にし、屋根は日本瓦、壁は煉瓦(瓦職人が焼いた)、煉瓦積みの目地材はセメント代わりの漆喰、電気がなく明かり取りのために多用したガラス窓のガラスは輸入。そして、基礎は石組みである。

[caption id=“attachment_1925” align=“aligncenter” width=“640”]IMG_2381 基礎の石積みの上に、柱の基礎の高さまでの2層の煉瓦は横に平積みされているが、その上の3層目からは煉瓦を縦横に積むフランス積みが施されている。窓の蝶番もボルトナット式の輸入物。[/caption]

 

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[caption id=“attachment_1927” align=“aligncenter” width=“480”]IMG_2386 富岡製糸場の瓦屋根にはこのような丸い太陽と海を表した鬼瓦が設置されているとのこと[/caption]

[caption id=“attachment_1928” align=“aligncenter” width=“640”]IMG_2387 工場の屋根を支える木骨トラス構造[/caption]

[caption id=“attachment_1930” align=“aligncenter” width=“640”]IMG_2404 繭置き場(倉庫)の2階を支える天井[/caption]

[caption id=“attachment_1931” align=“aligncenter” width=“640”]IMG_2408 繭置きの倉庫の屋根を支える木骨トラス構造[/caption]

これは日本の伝統的な神社仏閣、城郭等の技術を想起させる。構造的な部分を日本の伝統技術を使い、工場としての新たな機能(当然、日本に技術、モノがない)ものを輸入して使用している。経営形態も先進的で、現在の就業規則、福利厚生等に引けをとらない。世界最大規模の製糸場から生産される生糸・絹糸は、世界に輸出されたとのことであるが、あの時代に最初から世界を相手にビジネスを起こすと云う気概はすばらしい。

保存修理工事中の国宝「西置繭所」を見学(ヘルメット代として200円)した。繭所を覆う仮設施設のカバーに西繭所の写真を原寸大で印刷してあり、遠目にはカバーシートとはわからない。3階建ての見学施設からは修復中の屋根が見える。国宝の保存修理は大がかりであるが、こうした事を通じて伝統的技術の継承ができることを考えれば納得がいく。

[caption id=“attachment_1939” align=“aligncenter” width=“640”]IMG_2370 建物の左側に見える煉瓦造り風の箇所は工事用のカバーシート[/caption]

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[caption id=“attachment_1936” align=“aligncenter” width=“640”]IMG_2417 見学所3階から見える修復中の屋根。瓦が外されている。[/caption]

[caption id=“attachment_1937” align=“aligncenter” width=“640”]IMG_2418 修復中の2階[/caption]

[caption id=“attachment_1938” align=“aligncenter” width=“640”]IMG_2420 修復中の1階[/caption]

[caption id=“attachment_1941” align=“aligncenter” width=“640”]IMG_2419 修復の見学施設は展望台的機能もあり、なかなか良い[/caption]

[caption id=“attachment_1942” align=“aligncenter” width=“640”]IMG_2421 西置繭所近くにある重要文化財の鉄製の水溜[/caption]

 

富岡製糸場を初めて見たが、これは政変といいう政治のイノベーションが、産業へのイノベーションにつながった証左そのものである。誠に、世界の産業遺産にふさわしい。いろいろと勉強になった。いつまでも天高くそびえ立って欲しい。IMG_2422

若冲展を観る

上野公演の東京美術館で開催中の「生誕300年記念 若冲展」(2016.4.22~5.24までの1ヶ月間の企画展)を観に行った。混雑が予想されたので、GWの谷間を狙って、5月2日に行ったが、10:15頃につくとすでに長蛇の列。当日チケット売り場にも列ができていた。数日前に通販で当日券を買っておいて良かった。立て看をみると「100分待ち」とある。建物の中に入っても、もぎりの場所まで並んで待つ。そして、ようやく、入場。確かにほぼ100分待って展示場に入ることができた。

ニュースによると、この日(5/2)に入場者数が10万人を突破したとのこと。

「若冲展」入場者数10万人突破 日本経済新聞Web刊、2016/5/2 21:06 東京都美術館(東京・上野)で開催中の「生誕300年記念 若冲展」(日本経済新聞社など主催)の入場者数が2日、10万人を超えた。10万人目となったのは東京都小金井市の内山雄二さん(68)。内山さんには東京都美術館の真室佳武館長から展覧会図録が贈られた。同展は国内外で人気の高い江戸時代の絵師・伊藤若冲の初期から晩年までの代表作約80点を紹介する過去最大規模の回顧展。今月24日まで開催、9日のみ休み。

[caption id=“attachment_1901” align=“aligncenter” width=“640”]この右側に長蛇の列。最後尾が遠い。 この右側に長蛇の列。最後尾が遠い。[/caption]

[caption id=“attachment_1902” align=“aligncenter” width=“640”]この建物を右に曲がってようやく会場の入り口が見えてくる。 この建物を右に曲がってようやく会場の入り口が見えてくる。[/caption]

[caption id=“attachment_1903” align=“aligncenter” width=“639”]IMG_2285 待ち時間の案内板[/caption]

 

展示室もすごい人混み。若冲の細密な描写を確認したいのか、一番前の列がなかなか動かない。大柄な人が前でじっといると何も見えない。テレビで放映されていた見所の講釈をたれて観ている人も多く、動かない。講釈をたれずに動いて欲しい。館員の誘導案内が適切でないことも相俟って動かない。これほど動かず混雑していてのは初めてである。

じっくり見たい人用の一列目、そこそこ観れればいい人用の二列目、三列目に分けて観ないと全体が動かない。案内誘導の仕組みが悪い。考えて欲しいものだ。

そういう流れの中で、1列目と二列目あたりを行ったり来たりしながら観た若冲の絵の感想は、確かに白色の使い方というか活かし方が際立っている。そして、一気の筆使いと細かい描写のバランスはさすがである。さらに、多くの作品を一堂に観て感じたのが、中小作品はパーツの習作的な感じがしたこと。うまく描けた習作に落款を押したのではないかと思われるほど、パーツ化している。それらの練習というか習熟を経て、大作に活かしたのではと思われた。

メイン展示の動植綵絵はさすが若冲を代表するだけある作品群である。集大成的な感じがした。しかし、釈迦三尊像は云われるほどの感動は感じなかった。細密というか丁寧に書いただけという感じである。その他もテレビで盛んに喧伝していたことと実物を見ての違いがあった。

作品の中でも、さすが宮内庁三の丸尚蔵館)は良い作品を所蔵している。ひときわ鮮明な鮮やかな作品であった。宮内庁はもっとたくさんの良い作品を所蔵していると思われるので、若冲にとらわれず、逸品の宮内庁特別展を企画して欲しいと願う。

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[caption id=“attachment_1913” align=“aligncenter” width=“448”]パンフレット パンフレット[/caption]

観おわり出口付近に来ると、関連グッズ売り場があり、ここでも会計待ちの長蛇の列があった。それを横目に外に出る。時は、13:15。足が痛い。

歴史に学ぶ ~潰百姓~

最近、新しい歴史的用語・事実を知った。「潰百姓(つぶれ ひゃくしょう)」である。その歴史的意味合いは深い。

潰百姓

「日本伝統農村の共済と村・五人組・百姓株式 ―近世農村の「潰百姓」防止対策―」(共済総合研究 第72号)を読んで「潰百姓」と云う用語・事実を恥ずかしながら始めて知った。

現在の離農・耕作放棄・後継者不足・空き農家問題等は、近世農村においても「潰百姓」問題として重要な問題であり、「日本近世の農村社会において、村や五人組は『潰百姓』と呼ばれる生産能力を欠いた農家の出現を防ぐために様々な取り組みを行っていた。村は構成員の少ない農家に対して、村落運営費を免除し、また、村や五人組は後継者のいない農家に様々な働きかけを行うなど農家経営の安定に尽力した」というように、村や「五人組」は共済的仕組みとして機能していたとのことである。

共済組織として機能していたからこそ、「組はずし」(=「村八分」)が制裁になり得たとのこと。つまり、五人組を巷間云われている監視組織として利用したのは後の為政者であったとのこと。確かに、農業は労働集約型で農繁期の作業や用水等の整備・維持・利用において農家は個々ではやっていけないのは現在でも変わらない。

「近世日本における村の構成単位は家であった。家は宅地(「屋敷地」「ムラ」)・耕地(「田畑」「ノラ」)・コモンズ利用権(「山林」「ヤマ」)が付随した村のメンバーシップである百姓株式の所持主体であった。換言すれば、村は百姓株式の管理を通じて村の環境資源を組織し、管理していた。」とあるように、農家・農地問題と山林等の管理問題とは切り離しては考えられない。

さらに云えば、そこに流れる川が形成する流域圏(山場、平場、漁場)は総合一体的な管理・活用を考えなくてはならない。現在、これらの管理はばらばらであり、権利関係も複雑になっている。

「潰百姓」防止対策は、農家経営における経済的脆弱性(農家経営の不安定性)と人口学的脆弱性(農家構成員の減少リスク)への対策であったとのことであるが、これは現代に至るも解消されていない。時代を超えた農業の持つ構造的な問題である。

網野史学の「百姓」の近代版

この延長線上にあるのが、かっての「村」にあたる現在の「農業委員会」、かっての「五人組」にあたる現在の「JA農協」、かっての「総作」に近いのが現代の「農地中間管理機構」等であるが、いずれも実態を見ると、農家・農村・農業の存続の予防・対策機能を果たしているとは云いがたい状況にある。新たな経営主体が必要となってきているのではなかろうか。

近世以前の中世までさかのぼると、網野史学によれば、「百姓」は「農民」でない、百の姓の業を営んでいたとのことである。

[参考]松岡正剛の千夜千冊、0087夜『日本の歴史をよみなおす』網野善彦

今、存続の危機にあるのは農業だけでなく、林業も危い。非常時に重機等を扱える地場建設業や工務店も疲弊している。このような個々の業種では生き残れない環境下、地場業種全体が持続する仕組みとして、地場業種(地場の農家・林家・魚家・工務店等)をホールディングした事業経営体の創発が必要ではなかろうか。これは、いわば「潰百姓」的対策機能(内部相互支援)を有する網野史学が云うところの「百姓」の近代版である。こうした事業経営体が興らないと、いまや、地域・地方の維持・活性化そのものが難しいのではなかろうか。巷間、喧伝されている「6次産業」ではこのような効果は期待できない。

[caption id=“attachment_1887” align=“aligncenter” width=“601”]百姓の近代版 百姓の近代版[/caption]

出典:東⽇本⼤震災からの復興に向けて 〜新たな価値観に基づく⾃律分散協調型社会づくりを〜、Japa日本専門家活動協会、2011 年 6 月 27 日

大磯町の周辺との歴史的関係

最後に余談であるが、冒頭の研究レポートに、東海道の宿場町であった大磯宿の助郷役に丹沢山中の横野村も組み込まれていたことを証する資料が紹介されているが、丹沢山系からは現在もアオバトが大磯町の照ケ崎海岸に海水を飲みに飛来しており、なるほどと妙に納得した。

[参考]

(1)アオバト/大磯町ホームページ

(2)幸せの(?)青い鳥・アオバトが飛来する大磯「照ヶ崎海岸」へ!

ふるさとは遠くにありてこそ価値がわかる?

2016年春分の日に、甥の結婚式があり、徳島に帰省した。前日午後に徳島に着き、時間があったので久しぶりに市内にあるというか徳島駅裏に位置する徳島城博物館と旧徳島城表御殿園を散策し、ふるさとの歴史・文化を再認識した。そして、明くる日、古民家を移築し活用した結婚式の会場をみて、歴史の遺産(レガシー)を利活用することの良さを味わった。

徳島(阿波)の歴史

徳島城博物館と旧徳島城表御殿園は、徳島中央公園の中にある。学生時代にはなかった徳島城博物館ができている。この建物に入るのは初めてである。中に入ると、徳島の歴史、特に阿波徳島藩の歴史が詳しく説明展示されている。ボランティアガイドの方にも、蜂須賀家と時の政権(豊臣家、徳川家、明治政府)との関わり、戦いの際の陣取り等を詳しく教えて頂いた。これまで知らなかったことが多い。歴史を知ることの大切さを再認識した。

[caption id=“attachment_1867” align=“aligncenter” width=“454”]庭園から見た徳島城博物館 庭園から見た徳島城博物館[/caption]

季節柄、「ひな人形の世界」という企画展が博物館の一角でされていた。その展示を見ていて、印象に残ったのが「御殿飾り」である。なかなか精緻なつくりですばらしい。徳島では昭和30年代まで、この様式の雛飾りが中心であったらしいが、現在はその伝統はなくなってしまったと説明板に書かれていた。残念である。

[caption id=“attachment_1875” align=“aligncenter” width=“457”]御殿飾り(パンフレットより) 御殿飾り(パンフレットより)[/caption]

続いて、庭園に廻る。この庭園は、枯山水の庭と池泉回遊式の庭園が合わさっている桃山様式の庭とのこと、この庭に使用されている石の多くは「阿波の青石」(学術名:緑泥片岩)である。庭園の目玉の折れ橋も長大な青石である。博物館脇にも見事な青色の青石の井戸が展示されていた。

[caption id=“attachment_1874” align=“aligncenter” width=“640”]庭園パンフレットより 庭園パンフレットより[/caption]

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[caption id=“attachment_1865” align=“aligncenter” width=“640”]IMG_2058 枯山水[/caption]

[caption id=“attachment_1866” align=“aligncenter” width=“640”]折れ橋 枯山水 折れ橋[/caption]

[caption id=“attachment_1869” align=“aligncenter” width=“640”]IMG_2065 築山泉水庭[/caption]

[caption id=“attachment_1868” align=“aligncenter” width=“640”]見事な青石の井戸 見事な色の青石の井戸[/caption]

そういえば、実家が一時期、魚を扱っていた頃、冷蔵施設がなかった時代であるが、魚を冷やすために大きな平らな青石の上に魚を並べていた。水をかけると深い青色となっていたことを思い出す。いま、あの青石は小さく割って建て替えた実家の玄関口に張られている。

古民家を活用した結婚式場

翌日、快晴の下、式場に行ってみて驚いた。いわゆる古民家を移築した式場空間である。今まで徳島にこうした施設があることを知らなかった。式場関係者に訊くと、阿波の藍の豪商の家と、滋賀県にあった武田家ゆかりの家を移築したとのこと。神前結婚・人前結婚用の施設も滋賀県から移築した茅葺きの農家風の家である。

[caption id=“attachment_1861” align=“aligncenter” width=“640”]阿波の藍の豪商の家 阿波の藍の豪商の家[/caption]

[caption id=“attachment_1862” align=“aligncenter” width=“640”]滋賀から移築した武田ゆかりの家 滋賀から移築した武田ゆかりの家[/caption]

[caption id=“attachment_1863” align=“aligncenter” width=“640”]りっぱな柱と梁 りっぱな柱と梁[/caption]

[caption id=“attachment_1860” align=“aligncenter” width=“640”]滋賀から移築した茅葺き農家 滋賀から移築した茅葺き農家[/caption]

披露宴で使用した滋賀県から移築した武田家ゆかりの家は、その柱・梁はさすがと思わせるりっぱな構造材である。そうした柱・梁を活かしながら、和モダン風にリノベーションしている。なかなか良い。

惜しむらくは、この施設のサイトではそうした建物の由来をほとんど記載していない。その由来(物語)を記すだけでもこの建物空間の価値は大いに上がる。古民家のリノベーション事例としてもっと誇って良いのでなかろうか。もったいない。

古民家はもっとその価値を見直すべきである。徳島県の山里にある祖谷の古民家を現在風の宿に再生しているアレックスカー氏も、先月(2016年2月11日)のふるさと納税未来大賞の表彰イベント「ふるさと・いいこと・フェア」(主催:ふるさと知事ネットワーク、共催:NPO法人ふるさとテレビ)のパネルディスカッションで「日本人、地方の人はもっと地域の宝に気づくべしだし、自然、歴史、風土等々は文化資産であり、オーナーシップ的にそうしたものを大事にするべきである」と指摘していた。

まさに、ふるさとは、遠くにありてこそ、その価値がわかるのかもしれない。改めて、ふるさとの歴史・文化を知り、ふるさとを応援したいものである。

冬の秩父 ~秩父神社・和銅鉱泉・三十槌の氷柱~

2016年2月6日、孫のお宮参りが嫁入り先の近くにある秩父神社(埼玉県秩父市)であり、始めて秩父神社に行った。その夜、先方のご両親に和銅鉱泉に宿を取って頂き、翌日、娘夫婦の案内で奥秩父にある三十槌の氷柱を観に行った。

秩父神社

秩父には、羊山公園の芝桜を観に行ったり、秩父錦の蔵本の酒づくりの森で販売している大吟醸のとろとろの酒粕を買いに行ったりして、その帰りに時々、日帰り温泉に入ったりしていたが、「秩父夜祭」で有名な秩父神社には行ったことがなかった。

今回、始めて、秩父神社の境内に足を踏み入れ、社殿を見て、垂れ幕を見てびっくり。「奉祝 御鎮座二千百年」、「知知夫神社」とある。知らなかった。

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秩父神社HPに記載されている由来をみると、

平安初期の典籍『先代旧事紀-国造本紀-』によれば、第十代崇神天皇の御代に知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神をお祀りしたことに始まるとされており、武蔵国成立以前より栄えた知知夫国の総鎮守として現在に至っています。

と書かれている。それが「紀元前87年の創建」ということで、今年二千百年と云うことらしい。まさに、関東有数の古社である。「秩父」もその昔は「知知夫」と表記していたとは知らなかった。

本殿の周りの壁には、左甚五郎による「つなぎの竜」「北辰の竜」「お元気三猿」が、そして正面脇には「子育ての虎」が掘られている。日光東照宮の三猿は「見ざる・言わざる・聞かざる」であるが、秩父神社の三猿は「よく見て・よく聞いて・よく話す」とのこと。こちらの方が現代風であり、前向きである。

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和銅鉱泉

秩父の温泉には、これまで、武甲温泉満願の湯日帰り温泉に立ち寄ったことがあった。今回は、今まで知らなかった和銅鉱泉に入る機会を得た。宿「和どう」も良い宿で、部屋は新館の露天温泉風呂付きのきれいな部屋であった。先方のご両親の心配りに深謝。

この温泉というか和銅鉱泉もなかなかの歴史を有している。宿「和どう」のホームページは次のようにその由来を記している。

秩父七湯のうちで最も古い歴史を持つ和銅鉱泉の“薬師の湯”。 和銅鉱泉武田信玄公が和銅金山を開始した当時より開業したと称する古き歴史を有しております。 昔この鉱泉を近郷の人々が目薬や切傷に使用し特効したと伝えられており、当和銅鉱泉が“薬師の湯”と呼ばれるようになりました。

宿に入るとすぐに大浴場に入リ、その後、食事をとった。夜の23時~24時に掃除をして男女の大浴場が入れ替わるとのことなので24時に早速入りに行った。翌朝、朝食の前にもう一度、大浴場・露天風呂に入る。そして、食事の後、少し時間をおいてから部屋に付いている露天風呂にゆったりと浸かり、秩父の湯を味わった。ここの温泉の泉質は弱アルカリ性の適温でなかなか良い。

そもそも、わが国最古の貨幣「和銅開珎」の原料となった自然銅の発見地が秩父(現 秩父市黒谷)とは知らなかった。

三十槌の氷柱

翌朝、快晴の中、娘夫婦の車で奥秩父にある三十槌の氷柱(みそつちのつらら)を観に行った。宿から、40分ほど雪道を気にしながら車で行った。着くと、結構な人が来ている。夏場はオートキャンプ場らしい。

奥秩父パンフ 20160207

秩父には三大氷柱(三十槌の氷柱、中津川の氷壁、尾ノ内百景氷柱)があり、この三十槌の氷柱は自然の氷柱らしい。しかし、その半分はここでも人工であった。見た目は人工氷柱の方が大きく派手であるが、やはり、自然の氷柱の方が味がある。

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絶好の快晴の中、秩父の歴史、風土に触れる良い機会であった。また、じっくりと巡ってみたい。

形だけの仕組みに魂を入れよう! 新陳代謝を起こそう!

世界の枠組み、仕組み、市場が大きく代わろうとしている中で、わが国は何となくこれまでの慣性で流れている感じがする。場面においては、先祖返りの様相さえ見せている。象徴的な事件も発生している。世界的な構造変化の時代の流れの中で、持続的に存在感をもって国として、組織として、そして個人として自律していくには何が必要か。

それはあらゆる面での過去の実績にとらわれない機会均等の競争的環境であり、新陳代謝であり、イノベーション(創造的破壊)ではなかろうか。不正の発覚がほとんど内部告発によるものであることが、仕組みが機能していないことの証左である。

経営トップに対するガバナンス等の仕組み ~東芝不正会計(粉飾決算)事案を例として~

創業140年の東芝の不正会計事件に見られるように、歴代3社長らが東芝及び株主から損害賠償請求訴訟を起こされている。株式会社という組織の経営の仕組みが問われている。従業員に対するコーポレートガバナンスはぎりぎりと進めている一方で、トップの不正に対するコーポレートガバナンスコンプライアンスの仕組みが実効性を有していない。取締役会や会計監査法人が機能していない。第三者委員会やマスコミも追求に腰が引けている。

東芝にかかわらず、代表取締役社長を退任しても、会長、相談役として社内の人事、経営等に関与する会社が日本の場合、ほとんどと思われる。実力会長、実力相談役等の呼称がそれを物語っている。本来の仕組みにはない機能が隠然たる力を持っているのはいかがなものか。社長を交代した意味がない。組織としての新陳代謝が進まない。それどころか、劣化が進む恐れの方が大きい。

さらにこうした事件が発生する源に、市場のニーズに合った適正な品質で競争するという世界の市場動向に、日本の製造業が対応し切れていないという問題がある。市場の新陳代謝にたいして日本の製造業が新陳代謝できず過去を引きずっている。経営と現場にギャップがあり、無理が不正会計を招いている。

東芝粉飾問題に見るモノづくり大国日本の終焉、 Video News、2015年10月10日新日本監査行政処分から見えてくる「東芝会計不正の深い闇」、郷原信郎が斬る、2015年12月24日東芝、元社長らへの損賠請求32億円に増額 会計不祥事、日本経済新聞、2016年1月28日

認可の仕組み ~化学及血清療法研究所(血液製剤偽造)事案を例として~

血液製剤の分野で国内シェアのおよそ3割を占める熊本市の製薬会社 一般財団法人化学及血清療法研究所(化血研)が血漿分画製剤について約40年にわたり、承認書と異なる方法で製造するとともに不正な製造記録を作成しこれを隠ぺいしていたことが発覚(内部告発)し、厚労省から110日間の業務停止処分(2016年1月8日付け)を受けた。日本製薬工業協会からの除名処分(2016年1月21日付け)も受けている。

40年にわたり不正製造をしてきたことがなぜ発覚しなかったのか。化血研そのものの問題はもちろんあり、そうした組織の存在は許されるものではないが、それ以上に認可の仕組み、認可後のモニタリングの仕組みが欠落していたとしか云いようがない。

非営利団体がなぜ市場性を有するワクチンや血液製剤を独占的に製造するのか。そのような仕組みで緊張感をもって、許認可審査ができるのか、製造・供給(販売)した後の品質改善・コスト削減努力のインセンティブは働くのだろうか。市場の競争と評価にさらす仕組みの方が国民、患者にとって良いのではなかろうか。

第三者委員会報告書について、化血研HP誠実な技術者の「誇り」が「驕り」に変わるときとは?-血液製剤偽造事件おとりつぶしに怯える財団メーカーたち 護送船団方式の国産ワクチン 化血研・隠ぺい問題の背景、WEDGE Infinity、2016年01月19日 11:42 - 村中璃子和解直後も不正継続…懲りない化血研の偽装体質 「安定供給」考え厳罰下せぬ厚労省のジレンマも、産経ニュース、2015.12.27

業界の仕事の仕方の仕組み ~傾いたマンション(杭データ偽造)事案を例として~

経営者、企業組織をある意味で超えた問題として、業界としての常識・慣行的仕組みが問題を発生している典型的な事例が「杭データの偽造問題」である。これは、建物や土木構造物にとって安全の基本である基礎の強度を揺るがす不正であり、それが発覚した後の対処には膨大なコストが発生する。

今回の傾いたマンションの建設は元請けから3次下請けの階層で行われている。施工前の設計(設計コンサルタント)もまた階層構造となっている。土木・建設業界でよく見られるパターンである。しかし、今回の事件発覚でわかったことは、どの階層でもきちんと施工管理がなされていなかったと云うことである。典型的な「スイスチーズモデル」である。実質的な機能・業務を行わない中間業者を排する仕組みにしない限り、チーズモデル的な事故、不正は防げない。

三井不動産、語られぬ真実 傾斜マンションの闇、日本経済新聞 電子版、2015/12/21【スクープ前編】杭問題で三井住友建設に不利な新証拠!、SAFETY JAPAN、2016年1月13日杭打ちデータの改ざん 問題の本質はどこに?、日本経済新聞、2016/1/17土木でも杭打ちデータ偽装、監督・検査で見抜けず、日経コンストラクション、2015/11/09

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最後に

改めて、仕組みの形だけ造って魂が入っていなければ仕組みを作った意味がないし、それは仕組みとは云えない。現場実態に合った形で、実効的な仕組みになっているか、常に問い続けなければならない。仕組みもまた新陳代謝しなければいけない。

子育て支援雑感

2015年12月中旬に娘が出産した。初孫である。今年の5月には息子夫婦にも子供が生まれる予定である。3人の子供を産み育て、その子供たちに2人の子供が生まれる。新アベノミクスで標榜している「希望出生率1.8」(昨年の合計特殊出生率は1.4)の達成にはもう少し孫が増える必要がある。

「ストップ少子化・地方元気戦略」(要約版)首相官邸HP

娘が里帰り出産のために出産1ヶ月前から我が家に帰ってきて、近くの産婦人科病院で出産し、その後の子育てという一連の過程で、最近云われている「子育て支援」について、あれこれ実感するというか、考えさせられることが少なくない。

自分自身のことを振り返ると、自分の子供はすべて女房の実家がある地方の病院で生まれたため、生まれる前後にそばにいた経験がない。早くて1週間後、海外出張と重なったときは生後1ヶ月後に自分の子供を見た。二人目、三人目の時は、出産直前から上の子は女房の実家から車で1時間ほどの自分の実家に預かってもらっていた。両方の実家にすっかりお世話になった。

さて、娘が妊娠し出産に当たり考えたことは、分娩の仕方で、無痛分娩できる産婦人科を探したとのこと。息子夫婦も無痛分娩を予定しているとのこと。しかし、娘は予定日を3日遅れたため、結局、無痛分娩ができず、難産の自然分娩だった。

出産後すぐに、病院に赤ちゃんを見に行ったが、病院らしくない施設・サービス仕様にびっくりした。個室はホテル仕様だし、アロマトリートメントルーム、ビューティルームまである。ちゃんとした食事ができるレストランもある。最近はこういう仕様に人気があるとのこと。

出産後4泊して我が家に帰ってきたが、それからが結構大変。2、3時間おきに赤ちゃんが泣き出す。しかし、人間の成長力はすごい。1日1日、成長しているのがわかる。出産時にいびつになった頭の形も正常になってくる。顔も日増しに赤ちゃんらしくなってくる。仕草に段々、力が入ってくる。鳴き声も大きくなる。うんちもいっぱいするようになる。

昼過ぎは割とよく寝ているが、反動で夜中に寝ない。娘は一晩中、赤ちゃんにつきあって寝不足気味。朝、女房が起きてきて赤ちゃんの面倒を見る役を交代。自分は家にいるときに、二人の手がふさがっているときに時々だっこするぐらいである。あまり役に立たない。出産後1ヶ月検診が終われば、娘と赤ちゃんは自分たちの家に帰る。今度は先方の実家の両親が面倒を見てくれる。

こうした実態を見るにつけ、赤ちゃんを出産し、育てることは実家の親の協力がないとなかなか厳しい。産後の母親の体が持たない。しかし、そうした環境にない子育て夫婦はどうするのか。どういう支援ができるのか。親の支援が得にくい場合は、夫婦で面倒を見るしかない。「さんきゅうパパプロジェクト」を実施するしかない。

さらに、その後の保育をどうするか。最近の企業等は1、2年の育休制度があるが、その後、子供を預ける場所をどうするのか。都内では保育園の問題があり、息子夫婦に聞くと、保育園のことも考えて、住む場所を探し、赤ちゃんが生まれる前に移りたいとのこと。当然、実家との行き来のしやすさも考えている。いわゆる「近居」である。

行政がこうした子育てをどこまで支援できるのか、支援すべきなのか。できることは何でもやるべしである。変な縛りや規制など最低限にすべきである。

子ども・子育て支援新制度、内閣府HP

隣の部屋で、赤ちゃんが大きな声が泣いているので今回はここまでとする。

▶2016/01/09追記 保育所に入れない!悲惨すぎる待機児童の実態…百人待ち、無認可すら入れず会社辞める、Business Journal、2016.01.09

 

「総活躍社会・地方創生」に向けて ~ジョブ型を超えてプロジェクト型へ

筆者は「日本専門家活動協会」を主宰し、「高齢者活躍支援協議会」にも係わっている。こうした関係で、「1億総活躍社会」と云われると、確かにそれはそうだが、どうやってその政策目標を具体的に実現するのだろうかと気になる。

1億人を構成する人々は、多様な層で構成されている。その特性に応じたそれぞれの活躍の場づくりが求められている。例えば、

  • 3千万人を超えた高齢者(内、1,500万人超が後期高齢者)に健康に活躍してもらう場づくり
  • 2000万人に迫るまでに拡大した非正規雇用労働者に活躍してもらう場づくり
  • ペットの数(2,062万頭)よりも少なくなった子ども達(1,617万人)に活躍してもらう場づくり あるいは、いまや、ペットも家族の一員として位置づけ、活躍してもらうのか。
  • 常に社会の仕組みの在り様を左右してきた団塊の世代800万人に定年退職後も活躍してもらう場づくり
  • 720万世帯の専業主婦に活躍してもらう場づくり
  • 465万人と推計される雇用保蔵者(過剰雇用者、社内失業者)に活躍してもらう場づくり

等々。視点、切り口を変えれば、多種多様な層が考えられる。

0001出典:平成25年版 高齢社会白書(概要版) > 第1節 高齢化の状況

0002出典:厚生労働省HP 「非正規雇用」の現状と課題 

0003備考:総務省労働力調査」、厚生労働省「毎月勤労統計調査」、経済産業省「鉱工業指数」、内閣府「国 民経済計算」により作成。 出典:日本経済2011-2012 -震災からの復興と対外面のリスク-、平成23年12月、内閣府政策統括官室(経済財政分析担当) P10

0001出典:独法労働政策研究・研修機構HP

野口悠紀雄氏の云う1940年体制の仕組み、そして戦後の人口急増時代の仕組み等を引きずった従来の延長線上の弥縫策ではもはや日本の再活性化は難しい。自らを縛り付けている従来の規制等を改善・改革するというレベルではなく、社会的な仕組み、組織等の在り様を現在及び将来を見据えて、一から見なおすべき時期に来ているのではなかろうか。

[参考]1940年体制の例

  • 戦前は直接金融方式が中心であったが、戦時経済の要請により、銀行を経由する間接金融方式への移行が図られた。
  • 戦時金融体制の総仕上げとして1942年につくられた統制色の強い旧日銀法は1998年まで日本の基本的な経済法の一つであった。
  • 1940年度税制改正において、給与所得に対する源泉徴収などが整備され、現在まで続く直接税中心の税体系が確立された。
  •  1939年の船員保険と1942年の労働者年金保険制度(1944年に厚生年金保険)によって、民間企業の従業員に対する公的年金制度が始まった。
  •  戦時中に成長した企業(電力、製鉄、自動車、電機)が戦後日本経済の中核になった。
  •  戦時中の「統制会」が戦後の業界団体となり、統制会の上部機構である「重要産業協議会」が「経済団体連合会」になった。
  • 戦時中に形成された「産業報告会」が戦後の企業別労働組合の母体となった。
  • 戦時中に導入された食糧管理制度が戦後の農地改革を可能とした。
  •  戦時中に強化された借地借家法が戦後の都市における土地制度の基本となった。

原典:野口悠紀雄著「戦後日本経済史」、新潮選書、2008年1月 出典:仕組みの群像:[書評]戦後日本経済誌、2008/04/19

例えば、下記に見られるように、主語(あるいは当初の目的)が曖昧になっている組織は改めて、その存在の意味を問いなおす必要がある。

  • 農協(JA)は誰のために存在しているのか。農家、農業の今後に必要な組織は何か。
  • 企業・業界の組合は誰のために存在しているのか。正規・非正規を問わず従業員の今後に必要な組織は何か。
  • 経済団体は誰のために存在しているのか。日本の企業の成長に必要な組織は何か。
  • 地方自治体は誰のために存在しているのか。地方自治に必要な組織は何か。

国あるいは地方が成り立つには、働きたい人が働ける仕組み、土壌(プラットフォーム)が欠かせない。特に、将来のことを考えると、働きたい若者がきちんと働ける場づくりが欠かせない。これが出来てはじめて、子育て支援に繋がり、長期的には少子化対策となる。

ガラパゴス化に象徴されるように、わが国の企業は過剰品質・サービス気味の国内市場に依存して存立していた為、グローバル化によるコスト競争力が低下した時に、海外に工場等を移転するか、国内労働者の賃金(総額)を下げる(中高年のリストラ、若者の非正規化)という方法で対応したため、新たに就業する若者が働きたい形で働けない構造になってきている。

地方においては、働ける場そのものすら限られてきている。地方には若者の居場所がないのが実態である。

年金併用型のシニアは非正規型雇用でも問題はないが、若者に非正規型雇用が増えているのは問題である。下記の賃金カーブを見れば明らかなように、非正規状態では結婚、子育ては厳しい。少子化の一つの主たる要因がここにある。正規職での需要があっても、介護職・病院補助職に代表されるように、賃金水準そのものが低すぎる職種もあり、これまた結婚生活は難しく、離職率は高い。

0006出典:厚生労働省HP

現在の日本社会において、幸せに働ける環境にいるのは行政か、大企業・中堅企業等の社長しかいないのではなかろうか。そうした実態に目をつぶり、いかに既存の仕組みをいじってみても限界があるのは明らかである。仕組みと実態のギャップが大きい。

非正規問題に対して、「同一労働同一賃金」が云われているが、もっと正確に言えば、「同一労働同一待遇(効用)」が本来あるべき姿ではなかろうか。「待遇」には、組織に属することによるフリンジ・ベネフィットも含まれる。日本の場合は特にこの差異は大きい。フリンジ・ベネフィットを非正規に付与しないのであれば、その分、賃金に上乗せすべきである。

日本は正規労働者を中心に縮こもり、やりすごそうとしているが、そうではなく、国際市場(インバウンド、アウトバウンド)を相手に日本全体がイノベーションするしかないのではなかろうか。グローバルなネット社会がその壁を低くしているいまこそ、そうした方向に舵を切るべきである。

そのためには、生産性の低い業種・業態・企業や、農林魚業・中小企業等をむやみに補助金・政策等で延命を図るのはいかがなものか。さらには、大正時代にはじめて実施された公共事業景気対策化がいつまでも続くのはいかがなものか。公共事業特別会計的な補助金事業で地方行政を籠絡するのは地方の自立を妨げている。そろそろ、そうした方法は止め、企業・地方の自律を促す仕組みに切り替えるべきである。税金の使い方を変えるべきである。

このままで、ますます、日本の国際競争力は低下するしかない。財政悪化も拡大し続けるしかない。政策のリストラ、新陳代謝がなされなくては、日本・地方、企業は活性化しない。自然死するのみである。

総人口減少、少子化そして長寿化した日本において、①組織都合に合わせた人生を選択する道(いわゆる組織キャリア人生)と、②個人のライフスタイル、スキルをベースにした就業ができるように就業形態、雇用形態を多様化する、という二つの道がある。

そのいずれを選択しても、社会的な効用格差が生じない仕組みがあれば、人の生き様に多様性が生まれる。この多様性、さらには流動性こそが活性化、イノベーションの源泉である。

その突破口となるのが、何よりも若者が元気になり、結婚でき、安心して子育てできる仕組みづくりである。加えて、親の介護をしつつ就業機会を維持できる仕組みである。そして、そうした若者が東京だけでなく、地方にも輩出する仕組みである。

これを可能にする一つの方策が最近云われているジョブ型雇用(職務、労働時間、勤務地が原則限定される雇用形態)であるが、それに加えて、雇われない働き方であるプロジェクト型(欧米で云うところのフリーエージェント型)の普及を期待したい。

いつまでも、企業等組織に自分の人生・生活をすべて預ける時代ではない。個人のライフスタイル、スキルを重視したプロジェクト型就業が普及するためには、ソーシャル・フェールセーフが必要であり、個人の自律が求められている。

[参考]「ジョブ型」と「メンバーシップ型」の定義

 「ジョブ型」:職務、労働時間、勤務地が原則限定される。欠員補充で就「職」、職務消滅は最も正当な解雇理由。欧米アジア諸国すべてこちら。日本の実定法も本来ジョブ型。 「メンバーシップ型」:職務、労働時間、勤務地が原則無限定。新卒一括採用で「入社」、 社内に配転可能である限り解雇は正当とされにくい。一方、残業拒否、配転拒否は解雇の正当な理由。実定法規定にかかわらず、労使慣行として発達したものが判例法理として確立。

出典:産業競争力会議雇用・人材分科会ヒアリング用資料 「今後の労働法制のあり方」、 濱口桂一郎、2013/11/05 

世界の市場において競争力を失った大企業を守るのではなく、退出させる(人材を流動化させる)仕組みが機能すれば、他社・他業種への移行(流動化)、複業化、ジョブ型雇用、プロジェクト型就業への移行も進む。

こうした多様な働き方をするためには、組織を超えて通用するスキルの獲得・アップが必要となる。そのためには、研修等が必要となるが、それは大学の空き時間、空き教室を使えば、大学の活性化にも繋がる。大学という知のプラットフォームのシェアリングエコノミーである。

そして、新たな働きの場として、地方への移住・就業あるいは兼居兼業がある。地方のイノベーションには「若者、よそ者、馬鹿者」が必要であり、自ら働く場づくりをしていけば良い。いまは、地方でも直接、海外と結びつくことの壁は高くない。こうした仕組みづくり、場づくりを支援するプラットフォームとして、地場に根付いた民ベースのシンクタンクがあれば加速する。

こうした動きが起これば、全国に散在する空屋・空き地、耕作放棄地、手入れ放棄山林等の活用の仕方も変わる。これらの土地・家屋の利活用のネックとなるのが所有者の不明問題であるが、それは明治維新時になされていた「公有地」(所有権不明)概念扱いで公共が仮り管理し、定借で利活用希望者(農・林・魚業組合、NPO法人、トラスト等)にサブリースする仕組みを創れば良いのではなかろうか。

本来の所有者が名乗り出たときは、その時点で管理費用を相殺して所有者に還せば良い。利用しないあるいは適正な手入れをしないで所有権のみを保有すること対して課税を重くすれば良い。要するに、土地空間の利用・管理の義務づけである。

国民各層が活躍できる社会づくりに向けて、出来ること、やるべき事は多々ある。地方消滅・国家存亡の危機感を持って、個々人が変わる覚悟を持ってやるしかない。何とかなるだろう、行政がやってくれるだろうと云うことでは輝ける「未来」はない。

言葉の軽さ、先祖返り

「3本の矢」のKPI、PDCAが回りきらぬ内に、「新・3本の矢」が打ち出された。「女性活躍社会」が加速する前に、新たに「1億総活躍社会」が打ち出された。言葉を覆い被せ、責任もとらず、前の言葉を忘却の彼方に消し去る。公言した言葉に重みがない。

アベノミクス「3本の矢」、首相官邸 アベノミクス「新3本の矢」を読み解く、日本経済新聞、2015/9/25

「女性活躍」は、まやかし~産めよ働けよの圧力 特別鼎談:「女性活躍社会」のウソとホント(上)2015年1月16日女性活躍加速のための重点方針2015、すべての女性が輝く社会づくり本部、平成27年6月26日

そして、「1億総活躍社会」。活躍したくない人、活躍したくても出来ない人まで含めて「活躍しろ」と誰がいえるのだろうか。まさに、先祖返りを象徴する言葉である。現在のNET社会は個性豊かな多様な個人が前提とされるべき社会であるにもかかわらず、戦中及び戦後の高度成長期時代のような単一集団的な総体として国民を見たようなスローガンは現代社会に生きる個人の多様性を無視している。言葉のもつ歴史的重みに対する思慮が欠けている。

「一億総活躍社会」への違和感  一人ひとりが自分らしく輝ける社会を!、ニッセイ基礎研究所、2015/10/20

「1億総活躍社会」の最大の目標は「強い経済」の実現にあるとされているが、そこに至る過程において倫理を無視した企業活動等が優先されては意味が無い。最近、表出した東芝不正経理事件や旭化成建材の基礎杭工事の偽装事件は、「ガバナンス / コンプライアンスの強化」という言葉に虚しさを覚える。

東芝不正会計の温床は、「選択と集中」にあり、PRESIDENT Online、2015年9月14日号弊社杭工事に関するお詫びとお知らせ、旭化成建材HP

最近の言葉の軽さはどこから来ているのだろうか。最近のテレビドラマを見ていても、絶叫型の場面が多い。発生(感情)の強さのみが残る。そこには、言葉のもつ重みは感じられない。違和感を覚える。

この背景には、公的立場にある者、社会的影響力のある者が公言したことに責任を取らず、逃げたり、転嫁する事が常態化していることに少なからず原因の一端がある。責任を取る清さが失われた社会は澱む。歪む。

それでは、何故、責任を取らないのか。それは減点主義社会であるからである。社会が大きく変化するときには、減点主義では時代の流れに棹させない。イノベーションを起こせない。言葉の重さ即ち責任を取れる社会づくりが求められている。

大磯を歩く

2015年9月20日(日)、快晴の中、神奈川県の大磯町を歩いた。大磯町は、「湘南発祥の地」である。江戸時代は日本橋から約70km付近に位置し、8番目の宿場町であった。そして、明治期に入ると、「日本最初の海水浴場」が開設(明治18年)され、多くの著名人もその居を構えた歴史漂う東京の箱庭的癒やしの場所である。

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自宅の最寄り駅を12:00に出て、横浜駅で乗り換え、大磯駅には若干遅れながらも14:00頃に到着。快晴である。

まずは、駅を出て、線路沿いを歩き、クラフト作家のセレクトショップつきやま」を訪れる。この「つきやま」は大磯市(おおいそいち)の出店作家たちで運営されている常設の大磯市セレクトショップとのこと。かつて吉田茂番記者たちが利用していた月山という飲み屋だった空き家を改装しており、建物は確かに古いが、昭和に育った者には懐かしい。

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つきやまを出て、そのままさらに線路沿いを歩き、「旧島崎藤村邸」に行く。途中に案内がなく、本当に道があっているのか不安になる。もう少し、町外者にやさしい道案内が欲しいと思いつつ、旧島崎藤村邸を発見。藤村お気に入りの書斎を見る。建物は大正末期から昭和初期に建てられた長屋を買い取ったとのことで、庭に面したガラス戸の大正ガラスは独特の味わいがある。

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藤村邸から、東海道国道1号)に出る道を通りすがりの方に聞き、東海道に出る。東海道松並木を歩く。途中、旧大隈重信邸・陸奥宗光邸(現 古河電工大磯荘)と旧伊藤博文邸(現 滄浪閣)・旧鍋島藩邸の間の海辺に続く小道を歩く。引き返し、続いて、隣の小道も歩く。こちらは、旧伊藤博文邸(現 滄浪閣)・旧鍋島藩邸と旧西園寺邸・旧池田邸の間にある小道である。いずれの小道も高い塀で仕切られ、中の雰囲気を味わうことは出来ない。せっかくの観光資源が活きていない。

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これらの旧邸宅エリアを海辺に沿って歩きたいが、それも出来ない。道標は海沿い方向からも行けそうな案内になっているが、実際は東海道筋からしか行けない。しかし、そういう案内はどこにもない。やはり、町外者には不親切との思いが募る。

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寄り道をしながら、ようやく「旧吉田茂邸」に着く。焼失した旧吉田茂邸の再建工事が進んでいるようで、建築中の建物の一部が工事囲い越しに垣間見える。庭を散策し、吉田茂銅像のまえでサンフランシスコとおぼしき方向を眺める。

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吉田茂邸から再び東海道筋を引き返し、大磯町役場の前を通り、16:40頃、大磯港にたどり着く。すでに大勢の人で賑わっている。今日は7~9月の夏場のみ開催される大磯市(おおいそいち)の夜市(17:00~20:30開催)である。このイベントの仕掛け人に伺ったところ、今日はいつもより若干少なめとのことであるが結構な賑わいである。最初(2010年9月)は少数の出店者でスタートしたとのことであるが、ここまで成長させてきたその情熱と持続力はすごい。

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この大磯市の特徴は、単なる集客イベントではなく、まちなかとも連携し、大磯町全体に活気を波及させ、引いては大磯市に来る人、出店する人に大磯を好きになって貰い、できれば定住してもらおうとするところにある。地方創生そのものである。行政主導でないところがミソかもしれない。

そのプラットフォームとして、大磯港(地方港湾、漁港)が利用されているが、臨港地区でこうした大がかりなイベントが年間を通じて開催(朝市は毎月開催)されているのは珍しい。普段は砂利の山と釣りをする人しか見かけない港で、こういったダイナミズムを興せることは、全国の地方港湾・漁港を抱える地域の地方創生にも大いに参考になる。国交省港湾局や地方自治体も、港を活用した新たな地域活性化策として協力する仕組みを拡充して欲しいものだ。

自宅から大磯町までの往復約5時間、そして現地で約4時間超歩き続け、そこにあるものを十分に利活用できていない面と、利活用できている面との両面を体中で実感した一日であった。